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『愛』を教えてくれた人

最近人を愛するとは何だろうと考えることが多い。

私が3歳の頃にダディに出会った。お母さんとは30歳ぐらい離れていた。
結婚式にも参加して小さい私の目に映っていたのは、
周りがすごく幸せに笑っていて家族みんなが集まってる。
みんなおめかししてる。
マミーとダディーが永遠の愛を誓っている。
不思議にしか思ってなかったけど、私にもダディーがいて私の家族にこんなに
幸せな空間時間場所を作ってれる人がいるんだって思ってたはず。
もう20年以上も前のことで小さいからあまり覚えてないけど。。。

フィリピンから沖縄に移住したのは私が3歳の頃。(現在は26歳)
ダディーはもうミリタリーをリタイアしていたから、お母さんが働いて常に私はダディーと過ごしていた。

学校の送迎も弁当も買い物も夕食の買い出しも、土曜日のデートも日曜日の教会もどんな時も一緒だった。

私が学校で顔に落書きされて理由がわからず仲間はずれされた時も、お家に帰ったら大好きなダディーが私を喜ばせるためのお菓子やバービー人形や可愛い服を用意してくれてくれたり、私の機嫌を良くしてくれていたから、今思えばすごく支えてくれていたんだなって思った。

小学校の授業参観ももちろん日本語分からないのに、そこまで体調も優れていないはずなのに、笑顔できて見守ってくれてた。
私の友達にも話しかけてくれたり、放課後友達と遊べるように色々準備してくれたりしてた。

私が言葉の壁で勉強追いつかなくて引きこもってた時も無理に学校に連れて行かずお家で一緒に私の大好きなハンナモンタナのDVDレンタルしてみてくれた。

いつも私が学校の玄関に入るまで遠くから見守ってくれてたことも。

とても風が強くて寒かった日に珍しく迎えにきてくれなくて、学校から家がとても近かったけど、不審者が怖くて頑張って1人で帰った時に家の鍵が閉まって仕方なく玄関のドアの前でダディーが帰ってくるまで待ってた。
やっと私を見つけた時にハグされた時今までにないぐらいの安心感があった。

運動会も絶対に私のクラスの近い場所で日陰を選んで場所取りもしてくれてた。

小学校の高学年になるにつれて、似てるところがないことに気がついてダディーに問いかけたことがあった。
後からお母さんに本当のお父さんはフィリピンにいるって聞かされたけど、あんまり驚かなかった気がする。
私のダディーは沖縄にいてすごく大切にしてもらってるからって子供なのに反発しなかった。
十分に愛されてるって感じてたから。

中学校は、九州大会に進むぐらい強かったソフトボール部に入部した。
練習着はありえないぐらい土だらけで、洗濯するの凄い大変だったのに、いつも綺麗にしてくれてた。
ベースの中に友達連れてハロウィンも楽しませてくれたし、喧嘩しても絶対チューしてハグして仲直りしていた。

でも、だんだん体調も悪くなって弱っていくダディー。
私が中学校2年の頃すでに73歳ぐらいだったから。

部活がきつい中、部活終わりに1年ぐらい入院しているダディーのお見舞いに行くのもしんどくて、

会えなくなるのかな?とか
もう死んじゃうのかな?とか
ダディーは話せなくなるぐらい弱くなってて、
私のこともお母さんのことも認識しなくなってるのも衝撃だった。

部活やめて、勉強頑張ろうと思っていろんな賞取って喜ばせようと思った。

あの時お母さんも絶対しんどかった。
お母さんのために頑張ろうとも思って勉強もしんどかったけど自分なりに頑張った。

だから高校は推薦で入学する事ができた。
ほんとにあの時頑張ったから今の私があるなぁって思える。

長い入院生活で回復する見込みもなく酸素のチューブ外しますか?みたいなドラマに出てくるような同意書にサインしますかってお医者さんに言われたのは動画を再生できるかのように鮮明に記憶に残ってる。

その日がいつ来るかわからない日々を過ごして、最後かもしれないという日に会いに病室に行った日、様子を見て家に戻った時にまた病院から電話がかかってきて、病院に急いでまた戻った。
ついたと同時に同意書にサインした内容のまま、息を引きとった。

ダディーの最後の誕生日会

その日は泣くこと以外することがなかった。

数年経ってもダディーが生き返った夢を見るのは珍しくない。。

私もいつの間にか結婚する年になって、愛するってなんだろうなって考えることも多い。

初めて愛した人はdaddyで愛されたと感じたのもdaddy。

愛した人愛された人にもう会えない辛さって味わいたくないなって思うぐらい辛いって体験したから誰かと一緒になることも怖いと感じる。

明日また会えるとか、この後会えるとかってほんとにそんな保証はないなって思う。

でも人間っていつかは死んでいく。

愛って人を強くすることもできるけど、弱くすることもできる。
楽しいし特別だし素敵で強いものだけど、失ったらこの世の終わりかのように生きる希望失う怖さもある。

そんなリスクもあることも承知の上で、誰かに愛を与える勇気を持たないと自分も幸せになれない。

命をかけて守るものがあるってすっごい素敵だなって思う。

愛には正解もないし不正解もない。

愛は人を成長させてくれるものでもあると信じてるから今日も自分含めて誰かを愛することに命使いたいと思う。

ダディーと過ごした11年間を心に刻んで、与えてくれた愛に感謝して今日も
誰かに愛を与えていきたい。

ダディーが私を愛したように、私も誰かを愛せる日を迎えれますように。

#愛 #daddy #感謝 #私を強くしてくれた人 #ありがとう

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