ケモノ着ぐるみの秘匿性に惹かれたんだ~しんめいP著『自分とか、ないから。』を補助線に~
1. はじめに
『ケモノ着ぐるみ』と聞いて訳わからんなる人はこんな記事辿りついてないと思うので説明は割愛。ケモノ着ぐるみには、ただのコスチューム以上の深い魅力が隠されている、と思ってる。その魅力の一つ「秘匿性」について、しんめいPさんの著書『自分とか、ないから。』を思索の補助線としつつ、深夜テンションで考えてみた。キャラもってない奴が書くな~とか言わないの~(姫ちゃん)
2. ケモノ着ぐるみの「秘匿性」とは?
ケモノ着ぐるみの秘匿性。つまり、着ぐるみを着ることで普段の自分の顔やら身体やらコンプレックスやらが覆い隠され、あたかも別の存在に生まれ変わることができる、ということ。いわば第2人格だ。第2の居場所だ。そんな存在になりうるんだと思う
これは休日のわたし。こんなアラサー男児のありのまま姿Danceなんてね、需要ないから3いいねもつきませ~ん。世知辛いねぇ
まあわたし自身も、わたしの顔面とかシルエットとかフォルムとかいまさら興味ない。見飽きてるし。あとで振付の確認する時間 is so 虚無
でもこれがよ
こーんな感じに変身しちゃうと、本当のすがたなんてどーでもよくなるし、一般的に人間のIQは2に低下するといわれています。『あーーはぁーーんとぅっ』とか訳わからん嬌声もらします。わたしです。かわいいからね。しょうがないね
普段は見せられない、心に秘めたる本当の『私』を、キャラクターが橋渡しとなってくれて、表現させてくれる。内向的なあの人も、ひとたび着ぐるみに袖をとおせば、キャラから勇気と自信をもらって活動しているハズ
『私』であって、『私』でない感覚。私が着ぐるみの夢を見ているのか、着ぐるみが私の夢を見ているのか……わかんなくなっちゃった
3. しんめいP著『自分とか、ないから。』について
しんめいPさんの『自分とか、ないから。』は、普段の自分という概念をいったん手放して、社会や他人の視線から自由になることを、東洋哲学をメインテーマに据えて教えてくれる。明確な自分なんてないんだよ。自分探しとかあんま意味ないよ。じゃあこう考えてみたら(提案) ざっくりとこんな感じで理解しました。おもろいよ
わたしたちは普段、他人からの期待や評価に縛られ、揺らいでしまうことが多いと思う。社会人も学生も。老いも若きも。酸いも甘いも
それが、着ぐるみを着ることによって、キャラクターと精神も身体も融け合って『自分らしさ』の呪縛を脱ぎ捨てられるのです。逆にね。きっとね。TFかな?
4. なりきる力
このケモノ着ぐるみの秘匿性を活かすには、ただ着るだけでなく、キャラクターとしての自分を楽しむことがポイントになりそう。つまりは、なりきる力。先の『自分とか、ないから』に、こんなエピソードがある。著者がUSJに赴いた際、ハリーポッターの制服を着て、杖まで持って、むじゃきに「エクスペクト・パトローナム!」を唱える子どもに遭遇したときのこと
キャラクターになりきることで、わたしの中に新たにひとつ、ストーリーが生まれる。理解したぶん成長できる。もっと深いとこまで融け合える……映画とか演劇とか文学とかも、たぶんきっと同じですね
おわりに
ケモノ着ぐるみの秘匿性という魅力について語ってきた。この界隈の魅力は、ただ仮装や変装が楽しい! ってだけではないと思ってる。今日記したことは、血迷った時のコンパスとして、未来のわたしに参考として残そう。
「自分を隠す」ことで、あたらしい自分に出会う楽しさ……ああ、はよたらふく味わいたい。本日時点で融け合える側の人間うらやまし。わたしも早よ融け合う側の人間になりたいね
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