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ずっと一緒だと思っていた


何度も思い出しては
こころの奥底にしまっていること。


じぶんでも驚くほど
声をあげて泣いた6月のある日。


だいすきで、
一緒にいることが支えで、
努力する姿を本当に尊敬していて、
なんでも応援したいと思っていた、
そんな彼。


あの日から私は変わったんだなあ。


家族を失った、
本当にそういう気持ち

当たり前の存在がいなくなる


わたしはもう誰にも大切にされないのか

そう思った。
本気で思った。


ショックすぎて誰にも言えなくて
やっとじぶんの言葉で友人に伝えることができたのは
あれから2週間後だった


自分で言うけど
あれは紛れもない大恋愛だった

月1しか会えなかった時期は、
その限られた時間が嘘ではなく“夢”のように感じていて
毎回お別れの度に寂しくて泣いていた


「このエスカレーターを下るだけで泣いてたな」
「寂しくて、あえて人通り多いこの道を歩いたよなあ」
「シンデレラボーイを改札まで送ったよなあ」


悔しくて惨めなくらい思い出す。


最後の日、
遠くに消えていく姿を見届けて
消えた瞬間、また止まらない涙。

ほんとうにおわってしまった



それから、あまり人を信じることができない。
特に男性。

人に深入りされると気持ち悪くなる。
頼られすぎると逆に距離を置く。


だからわたしも適当になる。
上辺でなかよくするスキルが謎に上がる。
けど元々人に依存されやすい(男女問わず)


いいのか、わるいのか


ほんっと、今になっても思い出すって
すっごく気持ち悪いなって思うんだけど
小さくなっていく姿を思い出して
また泣けるって、相当好きだったんだねって
じぶんにまた同情をする。


東京のあちこちに散らばる思い出が
また今日もわたしの心を締めつける


忘れたい、全て。わたしの青春を。



(こういう時って
 都合よくいいことしか思い出さないんだよな)

(私の大切な友だちに無愛想な態度だったなとか
 写真撮るとき笑ってくれないとか
 誰にでもすぐ気前よく奢ってたなとか
 浮気まがいのことをしてきたなとか
 数え切れないくらい嫌なこともあるのに
 思い出とはどうして美化されてしまうのか)


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