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ズボラー

芽吹き、剪定、収穫、仕分け。商品にならないキズモノはジャムに、煮詰めて煮詰めて煮詰めた濃ーいズボラがわたしです。


ユリコとわたしはズボラ友だち、すなわちズッ友だった。

昨日までは。



ユリコの家に初めて遊びに行って驚いた。
ズボラとは程遠い清潔感と解放感。
ピカピカに磨かれた窓からサンサンと降り注ぐ太陽、美しいグリーンたち。

「めっちゃ・・・綺麗やん」  

心の声が思わずでた。


だって我が家といえば、犬が歩いて棒に当たるよりずっと高い確率で、歩けば必ず何か踏む。


ユリコの家もそんなんだとばかり思っていたけど、彼女の家にはズボラの要素がどこにもない。

向かいのホーム、路地裏の窓、こんなところにいるはずもないのに。


「ちょっとユリコ〜ぜんぜんズボラじゃないやん?信じてたのにい〜!」 

5歳の長男の前で3歳児並みのタダを、こねて、こねて、こねまわす33歳を見たユリコが

「うちのタオルは家族の人数分の5枚だけ出して使ってるの。すぐに洗濯乾燥しないと次の日困るでしょ?こうすれば洗濯物が溜まらないよ」
と、教えてくれた。


ユリコ、世間ではそんなに創意工夫ができる人間をズボラとは言わんのよ。


わたしと彼女じゃズボラの定義がまるで違う。


コーヒー牛乳と、こっちー来ーるー?ぐらい違う。


だけど、いいことを聞いた。

わたしから素直さ取ったら残るの視神経だけだよ!っていうくらい素直なわたしは、帰って早速チャレンジした。



106枚あったタオルを家族分の4枚に減らす。

ヒャクロクマイ。

大小合わせて106枚!
106枚!?
106枚!?
106枚!?
106枚!?
106枚!?
合わせて636枚!?


むかし、アダムじいちゃんとイヴばあちゃんが言ってた。

「あんたも、あの子も、あそこん家のあの子も、みーんなわたしらの子どもなんよ。」
って。

だから福山雅治だって、吉沢亮だって、菅田将暉だってわたしの兄弟なわけ。
古ぼけたわたしの記憶の中でも、雅治は小さな頃から体が弱くてすぐに泣いて甘えてたし、将暉は一生側にいるから、って言ってたし、亮はいつもわたしを真っ直ぐ見てた。

そう思ったら636枚のタオルだって別に、多くない。



次の日。


タオルがない!!と騒ぐ息子たち。

「各々自力で方法考えな!!!」
と叫ぶわたし、濡れた体で布団にダイブする長男、踊り出す次男、うつむいたままティッシュで体を拭く夫。
体中に破れたティッシュがはりついて、進化し始めのイエティみたいになってた。


ごめんね。こんな母ちゃんで、こんな妻で。
明日こそ、いい母ちゃんに、いい妻になるからね。



ヒノキのような立派な木になりたくて
「明日こそなろう、明日こそなろう!」
と頑張っていたという逸話からアスナロと名付けられたあの木々たちに習って、
こっちサイドは
「明日こそやろう、明後日こそやろう!できれば今月中に!」
のウスノロとして明日も頑張ります。




福山雅治さん、吉沢亮さん、菅田将暉さん、文の関係上お名前を呼び捨てにして申し訳ありません。しげぞうさん、大好きです。


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