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my roots & history

ただいまお仕事の待機時間。
自分のことを振り返ったりする、いい時間でもあります。

ということで、人生を落ち着いて振り返ってみようと思うんだけど
ある程度箇条書きにしてみようかな。

○産まれたのは熊本県の大津、病院を出てばーちゃんち行って、ばーちゃんに抱っこされて風呂場に連れてかれて、産湯に浸からせてくれたのを覚えてる。
ちなみに、退院の時に雪が降ってたのも覚えてる。

○次に2歳くらいで、熊本の大矢野、三角といった海側の地域の農家さんや左官さんのおうちに預かってもらう
うちは、父親も母親もかんしゃくがすごかったから、ある意味では救われてた。
平野のじーちゃんばーちゃん、網川のおっちゃんおばちゃんに、カッコいい憧れの武あんちゃん、久あんちゃん、みんなありがとう

○そっから、松橋ってとこに引っ越す
ここから親と同居。
これがめちゃくちゃ大変だった。

○小学校6年生くらいでpunkやmelodic coreとかblankey jet cityとか聴き出す。
かっこいいロック大好きでした。
ちょうど中2くらいとかでEpitaphとHi-standard契約、熱かったですね。
カートが死んだのもこのくらいだった記憶。
カートが死んだニュースがラジオで流れた日の並木坂から上通りの洋服屋さんは、その話題で持ちきりだったの覚えてる。
確かskateもその頃に始めてる。

○skateで友達になった歳の近いkid's同士でつるみだす。
当時、アングラでクソかっこよかったNew YorkのMENACEてチームのビデオで、使われてたWu-tangのMethodmanの曲に、頭殴られたくらいの衝撃を受け、次の日にそっこーレコード買いに行く。
rockよりrockだった。
めちゃくちゃdopeな当時のhiphopシーンに心から夢中になった。
90年代ですね。

hiphopは不良の音楽です。
rockだってそうなんだ。

そっからは、自然と順調にstreet kid'sになっていく。
平日だろうが毎日ストリートに繰り出して、クラブ行ったりskateしたり。
頭アフロでyellow nubak履いてイキってた。(当時はNewYorkとかに行く友達や、ショップのバイヤーにコネがなかったら、熊本みたいな田舎ではなかなか手に入らなかった。)
16、17くらいで、みんなで開いたpartyは400人入れた。
箱は俺がkid'sの頃から知ってるコネであるクラブのオーナーさんが貸してくれた。

まだまだいちびりたがりの血気盛んな10代が400人集まったから悲しい事件も起こった。(当時はチーマー全盛期)
さんぴんCAMPが16か7の頃だったと思う。
you the rockのhiphop night flight
ってラジオ番組がめちゃくちゃ地域限定で始まる。
みんな自分のコネクションフルに使ってハングリーに情報を求めた。
東京の友達にわざわざテープに録音してもらって、それをみんなで回してダビングして。
毎日タワレコ行って、SOURSE、VIBEとかの洋書のhiphop雑誌とレコードチェックして。
FRONTって日本の雑誌もあって、最初は季節号だった。
今みたいにhiphop認知されてないから、常に情報にハングリーでアンテナ張ってキャッチしてた。

なんかただの懐古主義みたいになってきたので一旦カット。
色々手直しして仕上げます。、

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