夏もつとめて
日本最古の女性エッセイストに反論するつもりは毛頭ないが、私は夏の早朝が好きだ。
5時半頃ベランダに出ると、夕方と見間違うようなオレンジ色の朝日が雲をほんのり染めているのを見る時がある。
昼間は蒸し風呂のようになるベランダも、嘘のように心地よい。
早朝には不思議と神聖な何かが宿っているように感じる。
どんな無神論者でも「神」というものの存在が頭をかすめるのも、早朝の持つきっかいなパワーといえるだろう。
人間の生活の足音が聞こえ始めるまでのほんの数十分、新鮮な空を流れる雲と、小さく揺れる街路樹と私だけの時間をもらえる。
私の身体はけむりのように世界に溶け出し、そのうち意識だけをバッグに詰めて、空のはるかその先に待ち構える宇宙へと、もしかするともっと先までも広がっていけるような、万能感がみなぎるのも早朝の魅力だ。
すっかり悦に入り、ベランダの柵に頬ずえをついたりしていると、徐々に増え始める車の走行音やなんかで、大概現実に引き戻される。
ノースリーブから突き出た、たるんだ二の腕や、今日捨てるべきゴミで頭がいっぱいになり、すごすごと部屋へ引き上げることになる。
万能レディはどこへやら、あっという間に、目玉焼きすら上手く焼けない凡人以下へ逆戻りだ。
とはいえ、もちろん夏は夜も最高だ。清少納言の言う通り、月やホタル、今でいうと花火も味わい深い。夏祭りで初めて友人達と夜遊びに出かける思春期の少女達の紅潮した頬、なんて抽象的なものまで含めると、一瞬で消えてしまいそうな儚い美しさは夏の夜にこそ、詰まっていると思う。
改めて清少納言は、とんでもなく感性豊かな才女だ。
彼女のように才気にとんでいない私としては夏は「つとめて」も「夜」もどちらもよいという事で、どうか手打ちにしてもらいたい。
※書いてるうちにやっぱり夜が一番かもと思いながら意地を通しました(笑
清少納言神すぎる!!
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