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横溝正史『悪魔が来たりて笛を吹く』吉岡秀隆版金田一耕助を観ました

※ネタバレ注意!
  私が金田一耕助ものを読み始めたのは昨年のことで、原作から先に読むタイプなので映画等も観たことがありませんでした。そんな折、『犬神家の一族』の実写ドラマ化の話を聞き、しかも吉岡秀隆さんの金田一耕助ということで╲絶対観たい!╱と思いました。が、我が家はBSプレミアムをつけていません。今回を機につけようかとちょっとNHKのサイトを調べましたがよくわからず、どうせならと前二作と共にDVDで購入することにしました。『犬神家の一族』も大変話題になったようでとても楽しみにしています。今回はその準備運動として吉岡秀隆版金田一の一作目『悪魔が来たりて笛を吹く』を観ました。いろいろ思うところがあって一晩考えました。では本題に入ります。

  配役は非常に的確で、役者の皆さんは大変素晴らしかったです。志田未来ちゃんの美禰子の芯の強さは原作さながらでした。美禰子はまさにこんな人だろうなあと納得させられました。二番目に殺された人(名前も書きたくない)の村上淳さんの演技もすごくて原作に輪をかけて下衆な貴族(?)でした。観ていてこのクソ野郎……!と大変不快な気分になりました。はは。菊江さんもとっても「アプレ」って感じで倉科カナさんの演技によって彼女の理解が深まった気がします。中村蒼さんの三島東太郎も本から出てきたようでした。
  もちろん吉岡秀隆さんの金田一耕助は素晴らしかったです。そうそうたるメンツが金田一耕助を演じてらっしゃいますけれど、金田一耕助のへなちょこなかわいらしさ、そして人に対しての優しさが感じられました。これは母性本能くすぐられるタイプの人たらしだなぁと思いました。

  ただ個人的な考えですが、脚本が肝心なところで原作から大きく離れているように思いました。もちろん実写化に伴って多少話を変更・省略したり登場人物を減らしたりというのはわかるのですが、それだけでは納得行かない点が見受けられました。まだ横溝正史を読み始めて一年にも満たない新参者のたわごとと言われてしまえばそれまでなのですが……。
  まず、横溝正史の描くミステリには、最終的に悲劇を乗り越え前に向かって進もうとする人の姿があり、それが陰惨な事件の後のある種の清涼剤のような役目を果たしていると考えています。それが人間の力強さであり、横溝正史の人間賛歌でもあると解釈しています。 (まぁこの姿勢は『病院坂~』にてまさに金田一耕助から批判をされている訳ですが。) 『悪魔が~』では美禰子さんがこの事件を自分なりに咀嚼してしっかり受け止め、なおかつ新宮家の二人を勇気づけるシーンが一番胸に響きます。このシーン、あのセリフが削られていることがまずショックでした。多少は前向きに頑張るよ的な雰囲気の描写はありましたが、華子さんは病んでしまったとありましたし……。華族制度の廃止により自分自身の環境も大きく変化するなか、父への敬愛を胸に前に向かって力強く進む彼女に畏敬の念を覚えたものです。太宰治の『斜陽』にも影響されたというこの作品。華族制の崩壊という事象を横溝正史はこのように解釈したんだという点でも印象的でしたから。
  また、三島東太郎の動機に納得ができませんでした。遺書を読み上げるのがドラマでは絵的に映えないからある程度筋立ての変更があるのはわかります。しかしもっとやりようがあるのではないかと疑問を覚えました。小夜子の自殺を受け入れられずともそれが玉虫家新宮家の差し金だと思い込んで確証もなく殺人を犯すのか。もともと復讐心のあったところに偶然天銀堂事件が発生し、偶然飯尾と知り合いで、偶然椿子爵と顔が似ていて、そうした諸々の出来事の積み重ねから彼はこの計画をある種の覚悟をもって立ち上げたのではなかったか。あのドラマでは諸々成り立たなくなっている感じがあります。薄っぺらくなっているような。もちろん役者さん(ここでは中村蒼さんですね)の演技がカバーしていましたが、それでも疑問は残ります。そもそも、東太郎の美禰子(と一応一彦)への兄としての複雑なしかしあたたかい感情が丸ごとカットされていて大変残念でした。むしろ驚きました。あのアンビバレントな感情の表出こそがより東太郎への憐れを誘うのに!あの描写こそ、三島東太郎という人物は元来善性を持った人物であり、そんな善性を持った人物が数々の悲劇の先にとうとう復讐鬼となってしまったその悲劇性がこの物語の眼目ではなかったでしょうか。そもそも三島東太郎による殺人の被害者はほぼ全員全然気の毒じゃなくてむしろもっとやれって感じなんですよね。ミステリ作品ってだいたいメインの事件の被害者は気の毒なものですが、この事件に関しては自業自得というか因果応報というか。仇討ちですもの。(金田一ものにはこうした傾向の作品も少なくないですが。)むしろそのなかに一人、口封じに殺される駒子、殺される必要はなかったかもしれない駒子がより悲しい存在となるのに。自決に至らざるを得なかった椿子爵の高潔さや悲劇性が際立つのに。三島自身も悲しみを背負いつつ小夜子とお腹の子のためそして自分のために死をも覚悟してあの三人に復讐するのがこの作品の切ないところなのに!
  さらにこれは私の読み違いなのかもしれませんが、金田一耕助の言動にも一言言わせてください。彼は人の持っている「秘密」というものをとても慎重に扱う人だと思っています。「秘密」の重要性をよくわかっている。人の痛みをよく知る彼は、その痛みと「秘密」が密接に絡みあっていることをよく知っているからなのでしょう。彼が「秘密」を尊重するからこそ事件の当事者たちは金田一耕助を信じ「秘密」を打ち明けるのでしょう。ですから「秘密」をむやみに大勢の前でさらけ出す人じゃない。あのドラマの展開であれば、三島の出生にかかわる重大事実を察したなら金田一耕助は事前に三島と二人で対決するはず。あんな衆人環視のなかで暴露するような人じゃない!あんなところで自分も知らなかった出生の秘密を暴かれてもどうにもなりませんよ。「あなたも、いいですか?」とあの場で尋ねてはいましたが、あの問いは結果的に配慮にはなっていませんよね。(吉岡秀隆さんの名演技のおかげで配慮しているように見えましたけれど。役者さんって凄い。)「いいですか?」っていわれてもこれから晒される事実が何か三島東太郎は知らないのだからいいのか悪いのかもわからない。判断のしようがない。金田一先生ならきっと事前に対決し、相手が納得したうえでないと他者には決して話さないでしょう。相手が警察だろうがなんだろうがそのスタンスは変わりません。だから人は探偵金田一耕助を慕うのではないでしょうか。金田一先生はそんな「秘密」を軽々しく扱う人じゃない!まだ読み始めて一年もたっていないけれど金田一先生はもっとこう、熟慮の上での配慮をする人だよ!!!(私をとどめていた理性が崩壊した。すでに何度か崩壊している気がする。)
 他にも駒子が暴行された理由を原作よりもさらにえげつなくする必要あったか?(見ていてより気分が悪くなりましたが)とか姉と弟(なんでひっくり返したんだろ?)の忌まわしい関係を皆(美禰子や一彦まで!)が知ってて見て見ぬふりしてたことにする必要があったか?(原作における子爵の自決の要因のはずですけど?)とかぐるぐる考えているとひょっとして制作サイドには華族とか特権階級に恨みでもあるのかなと疑問に思うくらいに混乱してしまいました。あるいは現代人にはこのくらいえげつない刺激にしないと事件の陰惨さが伝わらないとでもお思いになられたのでしょうかね。よくわかりませんが。
 それから、いくらなんでも背中のあざのことを知らないまま大人になるまで育つというのも無理があると思いますし。そもそも金田一先生はあざがあることにどうやって気づいたのでしょうか……。

 『八つ墓村』もDVDは購入していますので観ようとは思いますが、ちょっと覚悟して視聴しようと思います。役者さんたちの演技が楽しみです。

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