「隋唐帝国 対 突厥 ~外交戦略からみる隋唐帝国~」(4)
第一部、 隋・文帝の離間策と突厥の東西分裂4、「レビラト婚」と後継者
突厥が東西分裂した翌年の584年、千金公主がついに文帝・楊堅と和解し、その養女となって「大義公主」に改封されます。夫・沙鉢略可汗も晴れて隋に帰順して、「臣」を称しました。
「沙鉢略可汗の下での突厥の存続」を目指した処羅侯・染干父子の願いが叶った瞬間でした。
張啓雄氏によれば、こうして文帝と沙鉢略可汗が義理の父子となり、「天下一家」の国際秩序ネットワークが整ったと共に、「中国と胡人民族にとって、「和