【ラブライブ服飾史シリーズ】(ショート版) MOTTO-ZUTTO be with youと三宅一生  “一枚の布”とダンス

MOTTO-ZUTTO be with youの美しさ

 Aqoursのソロ楽曲の中でも、独特の美しさ、アート性を感じる曲があります。MOTTO-ZUTTO be with youです。
 小宮有紗さんの顔とスタイルが圧倒的に良いのは当然として、ライブで生み出される世界観は、EDMをベースにした音楽と澄んだ声、そして美しい衣装に起因していると思っています。
 分解して語ると、EDMというジャンルが持っている陶酔感やトランス状態をもたらす力と、白無垢や狩衣を思わせる衣装、そして激しさとたおやかさを両立させたコンテンポラリーダンスの要素を取り入れた振り付け。これらが相乗効果を生み出して、神事に似た宗教的な厳かさを生み出しているのではないでしょうか。
 今回はこのシリーズらしく、衣装に注目してみましょう。和服の要素を取り入れた衣装で現代的なエンタメを創るのは、今や珍しいことではありません。
 ただ、こうしたクリエイションを先んじて切り開いたパイオニアがいます。
 名前は誰でも聞いたことがあるでしょう。
 三宅一生。
 イッセイミヤケの創業デザイナーにして、残念ながら先日亡くなってしまった世界的なファッションデザイナーです。
 彼を語る上で必ず出てくるキーワードがあります。それが「一枚の布」です。
 この言葉こそ、MOTTO-ZUTTO be with youのステージの美しさを読み解く、一つの鍵となるのです。

“一枚の布”とは

 三宅一生の仕事が世に出たのは1963年。東京レーヨン(現:東レ)のカレンダー用の衣装でした。65年にはパリに渡り、複数のメゾンで経験を積んだ後、70年に三宅デザイン事務所を設立。71年に自身のブランド「イッセイミヤケ」のショーをニューヨークコレクションで発表し、73年にはパリコレクションへの進出を果たすなど、破竹の勢いで地位を高めていきます。
 そうした中で生まれたコンセプトが“一枚の布”でした。
 「それは洋の東西を問わず、身体とそれを覆う布、そのあいだに生まれるゆとりや間(ま)の関係を、根源から追求するものです。」(公式サイトより引用)
 ラフに解説するなら西洋のテーラリング、要するにスーツやシャツ、身体にフィットしたドレスのように構築的かつ立体的に身体を矯正する服とは異なる、布によって包まれるような和服的な要素も取り入れた考え方です。
 これは西洋の人たちにとって衝撃でした。これまで自分たちの考えてきた服の定義とは全く異なるもの。「これは服なのか、ってか服って何?どこまでが服なの?」という疑問は、同時期にコムデギャルソンやヨウジヤマモトからも投げかけられ、西洋の服の概念を揺るがしたわけです。
 わかりやすい例が名作と名高い「イカコート」など。

身体にフィットしないイッセイミヤケの「イカコート」


  一切、身体にフィットする場所を持たず、たっぷりとした生地が動きに合わせて様々な表情を見せる服です。
 こうした服によって、和服を着た際に求められる“振る舞い”が着る人間に出てきます。袖が大きく身体を包むような形の和服特有の“所作”です。
 つまるところ、スーツのように立体的に形を定めた服にはない、身体の動きによって見え方が絶えず変化する流動的な服。身体との会話がある服になっています。
 このテーマは80年代に入るとさらに深まっていき、プラスチックや金属を使用した独自の素材を開発し、その生地と身体の関係性を常に実感するような服作りへと発展していきました。
 それとは別に彼が注目したのがパフォーマンスアート。つまり、ダンスや演劇です。
 特にポストモダンバレエなどとの取り組みが多かったと言われています。バレエの文法から逸脱した、どこか不可解で不自然な動きに対して、布がどう呼応するのか。そうした一種の身体論へと三宅一生は目を向けていたわけです。

MOTTO-ZUTTO be with youと“一枚の布”

 という話を頭に入れて、MOTTO-ZUTTO be with youのステージを見ると、小宮有紗さんの身体の動きに合わせて、衣装の布が驚くほど多彩な表情を見せていることに気がつくでしょう。
 和服という“一枚の布”に限りなく近い衣服を元にした、ボリュームのある衣装によって、常に身体と布が流動的なやり取りをする様が数分のステージに詰め込まれています。
 時にバレエの動きをし、時にハイキックのように足を蹴り上げる。本来、和装では起こり得ない激しい動きと和服のせめぎ合い。
 そうした非日常的な光景の数々がEDMの持つ陶酔感と合わさって独特の空気を作り上げているのです。
 ダンスとは常に動きを止めないパフォーマンス。本来は言葉で表すべきところも、身体表現で表す、ある意味では野生的な芸術です。
 ある評論家は生地と身体の隙間の中で躍動する身体に着目した三宅の服を“野生の衣服”と呼びました。
 “野生”ということば。
 禁欲的な黒澤ダイヤが「もっと、ずっと」と願望を表に出そうとする、この曲にぴったりではないかと、あたしは思うのです。


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