あたしは〝幻ヨハ〟を読み切れなかった Aqoursと虹ヶ咲 地方と東京 焦りとヌジャベス

「ハナマルはSDGsじゃねえよ」

 待ちに待った「幻日のヨハネ」の放送が先月末から始まりました。
 冒頭、「トカイ」なるブレードランナーみたいな街で夢破れて故郷に呼び戻されるヨハネですが、2年ぶりの地元にも関わらずド田舎扱いで、まぁめちゃくちゃに文句言ってブー垂れるわけです。
 「ほぼ200年前だろこんなん」みたいなデフォルメされきった田舎の街並みを描き、キャラにここまで文句言わせて「いくら沼津じゃなくてヌマヅだからって大丈夫かよこれ」と思ったのが最初の感想。さすがに怒られるでしょと。
 そんな心配をしているうちにハナマルが登場。どうやら地元の食材を使ったパンを作って売っているようです。これを見て思ったのは「なるほど。地産地消で地元の良さを生かした商品を作って道の駅に卸したりしてる、高感度でオーガニックとかSDGsにも興味がある今どきの高感度な若者か!今っぽい!」ってこと。その後も色々とストーリーが動いていきますが、前情報含めて考えたのは「上京したけど合わなくて、地元に戻ったらみんなそれぞれ頑張って楽しくやってて、地元も悪くねぇな!ってなるお仕事アニメ系か!面白そう!」くらいのもんでした。
 なんて話を友人としたら開口一番言われたのが小見出しにもある「ハナマルはSDGsじゃねえよ」でした。
 地方の地元からまた別の地方の大学へ進学し、卒業と同時に上京して数年経つ彼は、ぽつぽつと語り始めました。
 曰く、自分の地元はどんどん人が出ていき、子供が減り続けて閑散としてる。一方で、東京へ出てきてから久しぶりに帰るとみんなもう所帯を持って、よくも悪くも自分よりずっと早く〝大人〟になっている。
 「地元への気持ちとか、久々に見たハナマルがちゃんと大人になってるの見た時の焦りとか、全部わかるんすよ。すげえ刺さって…… ハナマルがSDGsの仕事しててすげえとかじゃないんすよ」。そしてこうも言います。「俺にとっては虹ちゃんの方がよほどファンタジーなんです」。
 それを聞いてハッとしました。
 自分は東京生まれ。つっても、駅前がすぐ畑の郊外というかガッツリ田舎エリアですが。ただ、ああいうライフスタイルの子たちは高校以降、比較的身近でした。流石にガーデンシアター借りて何かやろうぜなんて猛者はいませんが、面白いことあるなら知り合いの知り合いとかで繋がって企画立てるなんてのは珍しい話じゃない。面白いことに貪欲で、その腹を満たすには十分なネタがあるのが東京という街です。虹ヶ咲はあたしにとってファンタジーではありませんでした。
 ふと思うのです。
 あたしは〝幻ヨハ〟を読み切れていないのでは、と。


 

虹ヶ咲はヌジャベス

 この会話の数日前、あたしは虹ヶ咲の劇場版OVAを観に行っていました。衝撃を受けたのは最初のR3BIRTHの新曲「Feel Alive」。「こんな本格的なローファイヒップホップをラブライブでやるんか!」とのけぞったわけです。てか、これビートがモロにヌジャベス系じゃんと。
 ローファイヒップホップとは古いジャズやらR&Bやらレゲエやらなどからサンプリングして作ったヨレ感のある、いわゆる〝チルい〟ビートを使ったヒップホップ。その先駆者となったのがヌジャベスというDJ、トラックメーカーでした。得意としたのはピアノなどを上手く使った情緒的で切ないビートで、残念ながら故人ですが天才的なセンスのアーティストです。
 先ほどの友人との会話でこの「ヌジャベスっぽさ」と虹ヶ咲が頭の中で繋がったわけです。
 このヌジャベスという人、生まれは西麻布で拠点は宇田川町。もうシティボーイ・オブ・シティボーイです。レコード店なんかもやっていたのですが、常にアーティストたちの溜まり場で、そこで様々な交流が生まれていました。
 そんな彼の音楽は本当におしゃれで洗練されています。あたしはよく「コーヒーでもウイスキーでも似合う音楽」と評するのですが、切なく、深みがあり、どこか品の良さが漂う音楽です。
 活動期間は95年から。当時はまだヒップホップは不良の音楽のイメージが強かった時期です。厳しい生まれや環境、そこで生まれる抗争や犯罪、苦しみ。そんなことがテーマになることが多いのがヒップホップでしたから、ヌジャベスの洗練された雰囲気はその点でも革新的だったわけです。
 当然、Aqoursが不良って話じゃありません。沼津は平和だし、みんな本当にいい人です。
 ただ、Aqoursには「学校がなくなるかもしれない」という焦りが行動原理にあります。それががむしゃらなパワーに繋がり、彼女たちの魅力を作っていく。形は違えど、「このままで終わりたくない」というトラディショナルなヒップホップの行動原理とこれは少し親和性があるわけです。
 対して虹ヶ咲は別にスクールアイドルをやらなくても学校はなくなりません。放課後、街に出て遊んでいるだけでも十分楽しく過ごせてしまう。そこに〝焦り〟はない。
 あたしはこれを踏まえて虹ヶ咲自体がヌジャベス的だなって思うのです。
 東京という大都市と安定した学校を背景に楽しいこと、かっこいいことをただやりたいから本気でやる。飛躍しすぎかもしれませんが、それが「Feel Alive」のようなヌジャベス的な曲に繋がったのかなとも感じています。

あたしは〝幻ヨハ〟を読み切れなかった

 さっきも言いましたけど、あたしは東京の田舎生まれ。虹ヶ咲みたいなマンモスお金持ち高校に通ったこともありません。駅前は畑で、10年ちょっと前は素行の悪い中坊が小金井公園で抗争し、名前だけ聞いたことがあって恐れてためっちゃ喧嘩強いお兄さんが丸くなってバーで楽しく飲んでる姿を見たみたいなエピソードが何個もあるくらいには田舎育ちです。ただ「まぁこういう子たちいるよね」くらいはナチュラルに読み取れる程度には虹ヶ咲は身近なのです。
 ただ、友人はそれを「ファンタジー」と呼んだ。
 対して、田舎とはいえ生まれ育った東京を出たことのないあたしは、ヨハネの〝焦り〟を読み取れなかった。
 ハナマルとの再会シーンは今風のSDGsな仕事をしていることが重要なのではなく、地元で大人になっているハナマルの姿からくるヨハネの焦りが重要だったのです。
 あたしは〝幻ヨハ〟を読み切れなかった。
 素直にそう認めなければなりません。
 

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