【雑感】狩野川花火大会 「空を取り戻した日」

 記事というのは〝事柄を記す〟ものであって、一応は記事を書いてどうにかこうにか、生活費を稼いでいるあたしは、記事というものに矜持やプライドみたいなものを、なんとなくだけど持っている。今この瞬間、キーボードを叩いている理由は、あたしにとって夏を夏と認識するための儀式のようなイベントが3年ぶりに開かれたことへの興奮が、自分の内面だけで処理しきれなくなったからだ。雑に吐き出す、〝雑な感想〟。だから雑感だ。
 夏を夏と認識すると、肌だけではなく、頭というか心が暑くなるし、熱くなる。熱くなった人間は、大体にしてむさ苦しく、恥ずかしい言動をとるものだ。だから、柄にもなくこんな文章を書いて後から後悔するんだと思う。でも、それでいい。

 狩野川花火大会に初めて行ったのは、確か3年前だった。
 本当はその前にも行ったのだけど、台風で中止になって、腹いせにオタク共と降雨量と同等量のお酒を飲んだのを覚えている。
 それはそれで楽しかったのだけど、花火はその比ではなかった。
 まず、打ち上げが近すぎる。
 狩野川の対岸の発射台が余裕で見える位置にあって、打ち上げる時の「キュボン!」という音まで聞こえる。あんなものは、戦争映画の迫撃砲でしか聞いたことがない。東京ではありえない。真上に打ちあがる花火の迫力は尋常ではないし、尺玉なんか上がろうものなら、真上どころか頭の後ろで炸裂する。仰け反って見るような形だ。
始まる前には市長さんやら実行委員長さんやらのご挨拶まであって、これが良い味を出していると思う。ローカル感がいいのだ。
 あたしにとって沼津のローカル感はとても特別で大切だ。
 いわゆる〝聖地〟に行く時、どうしても気分はテーマパークになる。町のそこら中にフラッグがあるし、マンホールもキャラだし、バスでは千歌の声が音割れしながら鳴り響く。まるでディ〇ニーランドのような楽しさだ。テンションが上がる。
 ただ、ディ〇ニーランドに行って「あぁ、ここでミ〇キーは生まれ育ったんだな」とはならない。いや、濃いファンはなるのかもしれないけど、あたしはならない。だからこそ、沼津でそこに住む人の生活感というか、日常の呼吸のようなもの、現実感を感じると、逆にキャラが生々しく、そこに生きているような気分になる。それが、たまらなく好きだ。
 沼津夏祭り、狩野川花火大会の最中は、地元の人たちがみんな浮かれている。子供もだけど、サラリーマン風のおじさんも、ちょっと厳ついお兄さんも、全員。地域の祭りは、地域の人たちのためのものだ。そこを歩くと、やっぱり余所者感というか、悪い意味ではなく疎外感を感じる。自分が町から浮いて、町の輪郭が際立つ。
 際立った輪郭の中に、当然のようにAqoursがいて、町に馴染み、溶け込んでいる。
 いよいよ、彼女たちは、本当にここに生きていると実感する。
 町に溶け込んだAqoursと、異邦人のあたしたち。
 3年前、そんな夢見心地の中で、花火が打ちあがって、全員が熱狂した。
 その時に、誰ともなく言ったのを覚えている。
 「毎年来よう、年取って、サンシャインが終わっても、この日はみんな集まろう」
 それにデカい声で応えた瞬間、狩野川花火大会は、あたしが夏を夏と認識するための儀式になった。異邦人として見上げた空は、あたしたちにとっても大切な宝物になった
 そして、儀式も宝物も唐突に奪われた。
 奪われている期間、悪いことばかりではなかった。去年から、自分は好きなことを生業にしていて、そうして迎えた最初の夏だった。でも、夏が夏であるためのピースは、欠けたままだ。
 ついにそれを、取り戻したのだ。
 3年ぶりの花火が上がって、みんなが息を飲む中で、あたしはトイレを口実に席を立った。河川敷から階段を上がって、狩野川の土手を歩く。
 花火は当然、あたしを待たずに次々と打ちあがる。
 空も、川辺も、水面も、鮮やかで明るい。
 そして、全員が上を見上げていた。
 不意に泣きそうになった。
 よく、「前を向いて生きる」というけど、あたしは同じことを言葉にするなら「高く跳ぶ」という表現の方が好きだ。前を向いて歩いた結果、それは平行線かもしれない。でも、高く跳べば、今より上に手が届くじゃないか。
 全員が上を見上げていた。
 前どころか、下ばかり見てしまいそうな時間を乗り越えて、全員が上を。
 視線の先には、あの日と同じ、花火が咲く空があった。
 大好きな曲に『空を取り戻した日』というのがある。詩的な曲名だ。
 それを引用したくなるほどに、あたしはのぼせかえっていた。
 空を取り戻したからには、上を見よう。
 もっと、良くなると信じよう。
 たとえば、あたしは、
 来年こそ、花火を見て笑うみんなの口元が見たい。

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