『ご飯』

最近、ご飯の事しか考えていない。

悩む事が当たり前だと思えている日常。
仕事だったり、将来、生活の事だったり。
それ以外の大抵の悩みは、僕にとっては全て特別な悩みだ。
とりわけ、毎日毎日訪れる悩みが、『食』なのである。

人間の味覚が、年齢を重ねると共に成長していくという事は、既に医学的に証明されている。
子供の頃は美味しさを感じられなかった「わさび」も、今ではつけ過ぎて頭痛がする程に好きだし(鼻からツーン癖になるよね)、「なんで辛いものの真横に甘い物を置くかねえ!?」と思っていたカレーに添えられた「福神漬け」なんて、今では居てくれないと駄々をこねるレベル。(大人の駄々は醜いぞ。へヘっ)

牡蠣、珈琲、ミョウガ、生姜、柚子胡椒、白身魚···、子供の頃は美味しさを理解する事が出来なかった食べ物違が、大人になった今では美味しくて美味しくてたまらない。(ピーマンとアスパラガスはいまだに苦手。)
好きなものが増える事は良い事だけれど、そうなれば自然と悩みも増えていく。
「アレも食べたいし、コレも食ベたい」と、全てが正解という中で、ひとつに選択する事は非常に困難だ。

更に悩む時間が長引く程に、お腹はグーグーと空いてゆく。空けば空く程に「最高な一食を食べたい」となって、ハードルが上がる→更に悩む。という負のスパイラル。

「そこに金額という軸を作れば、もっと選択肢を絞れるのでは?」
って思うじゃない?いや、違う。
さしてお金をかけずとも悩みすぎてく程に、この国の食は選択肢が多い。
コンビニだって、ファストフードだって、閉店間際のスーパーだって、美味しいものが沢山あるんだから。贅沢な悩み。

年齢を重ねる事は良い事だ。
子供の時に想像していたよりも、ずっと楽しいし。自由だし。ただこんな所にトラップがあると思わなかった···。
味覚の成長。

この文章を書いている現在(18:07)、今晩の夕食に悩んでいる。
ただお腹が空き過ぎた後に食べた念願の一食で
「あれ?案外量が食べられないな···。」
っていう現象ありませんか?
夕食のバイキングに備えて昼食抜いたら、夜にあんまり食べられない現象。
あの現象はなんていうんですかねえ?
ああなりたくないから、とりあえず一発、ゼリー食ベました。
大満足みかん。
大満足みかん。
大満足みかん。

・・・、これで満足しちゃう現象、
なんていうんですかねえ?

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