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北海道に見えた雲

2年前の冬、北海道に住む友人を訪ねた。

その時私は休職中で、歩く抜け殻みたいだった。ご飯も食べるしトイレにも行く、変な抜け殻。

私の頭の中に住んでいる、「こんな時間ある時なんかそうないんから、時間無駄にしてたらあかんで!」というおばちゃんと、「働いてもないのに、遊びに行くなんてどうなん…?」というおばちゃんのせめぎ合いを越えて、約1年間の休職中に、1回だけ旅に出た。前者のおばちゃんの勝利。

友人は高校生の時からの付き合いで、部活で3年間おなじ楽譜を演奏した仲だった。
年末には忘年会と称して毎年顔を合わせていたけど、ふたりっきりでご飯を食べに行ったことはなかったし、クラスも同じになったことはなかった。友達だけど、彼女がハマってるバンドとかは知らない。地元のインドカレー屋さんが好きなのは知ってる。そんな感じ。

それでも、社会人になって彼女の働いている環境や興味がなんとなく私と似ていて、SNSのDMでたまにやり取りをし合う関係だった。他のみんなと会っている時には話題にあげないけれど、DMや他の友達がやっていないSNSで顔を合わす関係。あの頃から変わらないのに、少しずつ同じように変わっていった人間同士。

彼女は、夜の新千歳空港に車で迎えにきてくれて、帰りがけにおすすめのスープカレー屋さんに連れて行ってくれた。

スープカレーを待つ間、彼女は抜け殻になった私の話を笑いながら聞いてくれた。
友人はうっすい抜け殻トークも笑って聞いてくれた。
抜け殻も、笑ってもらえると嬉しかった。

泊めてもらう家に向かう途中、闇の中を鹿の群れが原っぱを走っていくのを見た。友人はもう慣れていたけれど、ゴールデンカムイに出てくるアシリパさんの視点…!と私は感激していた。
抜け殻に、震える身が一瞬入った気がした。

ふんわり雪が寄せられている小さな町、北海道の必需品の大きなヒーター、浄水器なんていらない甘い水が出る水道、お風呂場に貼られた青森県のメンテナンス会社のステッカー、階段を上がれば冷気で肺がキュッとなる感触。
抜け殻は、1ミリずつ中身が詰まっていった。


次の日、富良野エリアに連れて行ってもらった。
いつか雑誌で見たラベンダー畑というのが見たかったのだが、見頃は夏で、もう土に生えているラベンダーはどこにもなかった。というより、土は白い世界で覆われて見えなかった。
そんなことは分かっていたけれど、私は富良野に行きたかった。行ったことのある札幌ではなくて、全く知らない富良野に行きたかった。抜け殻を埋めるためとかそんなのではなく、見たことがない世界を見てみたい、という気持ちが確かにあったからだ。旅がしたいと思ったのは、多分ここが起点だった。抜け殻の時は、気が付かなかった。

私たちは、インターネットを介してしか話さなかったことを、車内でゆっくり話した。その他にも、たくさん話をした。楽しくて笑った景色は鮮やかに思い出せるけれど、内容は全く覚えていないから、高校生の時に話した内容と変わらないんだと思う。

日がかげる前に、友人がどうしても連れて行きたいと言ってくれた場所に行った。
行ったというより、冒険に出た、の方が正しいかもしれない。
山道をずんずん進んで行って、途中ものすごい雪が降ってきて、日なんかとっくに沈んで、車道の位置を示す矢印とハイビームだけが頼りの世界。ドラクエのBGMの代わりに、彼女の好きなサカナクション。

途中寄ったチーズ工房の駐車場で見た、雪に埋もれた溝に気づかずに脱輪していた軽自動車の姿が霞んだけれど、私は助手席に乗せてもらっている身で、どうすることもできない。それどころか、友人が運転してるから大丈夫、と思っていた。友よすまない。安心をありがとう。

ハアハア言いながら連れて行ってくれた雪山に、ひょっこり現れたその場所は、
「吹上温泉 白銀荘」
間違いない。吹き上げている。白いし、真っ暗なのに、銀世界。
温泉が吹き上げているのか、雪が吹き上げているのかは分からないが、冠されたお名前を感じるのにピッタリなタイミングで連れてきてもらった。
…と、そんなことを悠長に考えるほど余裕はなくて、ハンドルを握った勇者に一刻も早く復活の呪文ホイミを唱えてもらいたくて、雪を払いながら階段を駆け上がった。


温かいお湯に包まれながら、ひんやりした雪が次々に落ちてくる感覚と景色を、私は忘れないだろう。
もう一度、この体で感じたいと思うけれど、抜け殻だったからこそ、敏感に感じられたのかもしれない。
真っ暗な空から白い雪が落ちてきて、黒くつやつやとしたお湯にとけて、なくなる。その様子をずっと眺めて、私は、指の先がじんわり温かくなるのを感じた。

勇者は遠くの方で、サウナから上がってきて、緩んだ顔をしていた。
その後にまた帰りの冒険をさせるのが申し訳なかったけれど、「全然ええで!私が来たかったから!!」の言葉に甘えた。勇者よ、安心をありがとう。

帰りの車内で、すっかり暗くなった道をまたハイビームで照らしながら、私たちは昔共に演奏した曲を歌いながら帰った。口合奏くちがっそうなる独特すぎる手法で、それぞれが過去に吹いたり叩いたりした音を歌う。私たちは県大会に向かう大型バスの中で、高校生の時に部員全員で口合奏をしたのだった。そして今、友人の車の中、北海道の夜の大地で口合奏をしている。友人が握るハンドルがマレットになって、私が握る鞄の紐が、トランペットになった。車内は、あの頃の音楽室だった。

遠く離れて過ごしていても、年に一回しか会えなくても、私たちは旅先であの頃に戻れた。街灯のない真っ暗な北海道の道が、そうさせてくれた。私は、抜け殻だったことも忘れていた。


私は4ヶ月ほど前に、アメリカに移り住んだ。
結婚し、夫の終わりの見えない駐在に帯同することにしたのだ。

外国人として生きていくのは、自分の意思で来たか否かに関わらず、大変なことに満ちている。日本では無意識でもできていたことが、全身全霊をかけて挑んでも、できない。意思疎通はできても、おかしいと思ってクレームができても、いつも20%くらい不安が残る。外国人だから。ネイティブスピーカーじゃないから。そんな目に見えない靄が、私を内側から少しずつ蝕む。

そんな中、移住前からずっとあった問題も露呈する。
母との関係だ。

私の母も色々とトラウマを抱えている人間で、私と母はどれくらいの距離でいるべきなのか、まだ分かっていない。繰り返し見る夢の中で母は優しく、笑っている。目を覚ました現実で、母は自身のトラウマに嘆きながら、同じように苦労していない(ように見える)娘に無意識の牙を剥いている。太平洋を超えた距離があっても、鋭く、時にざらりとした言葉が、私の中身を溶かしていく。


あぁ…抜け殻になりそう


そう思った時に、北海道みたいな雲を見つけた。

探してみてね

どれが…?と思うかもしれないが、私には北海道に見えた雲が、この中にある。あるんです。

その時に、2000字の思い出が、いやそれ以上のものが、蘇ってきた。
一瞬にして、私と友人との時間と、抜け殻から戻った時の温泉に浸かる感覚が吹き上げてきた。今回は抜け殻にならずに、済んだ。

勇者よ、ありがとう。前者のおばちゃんよ、ありがとう。
行こうと決めた過去の自分、ありがとう。
あの時はできなかったけれど、自分を抱きしめられた。


抜け殻OGとして生きていく以上、抜け殻に戻ってしまう恐怖は、いつも私の隣にいる。

母との関係はまだ何も解決していないし、私か母かどちらかが死ぬまで続くかもしれない。
この国に住む以上、私はどう頑張っても外国人であり続ける。もちろん努力をして、20%の不安を、10%とか5%にはしていきたいけれども。
なんなら、日本に戻っても、今の私には見えていない「抜け殻のきっかけ」なんていくらでもある。たった1年前の私や、4ヶ月前の私、昨日の私でさえ、今日の私を予想できなかったように。一寸先は、白い闇だから。

それでも、私はその度に空を見上げて、北海道に見える雲を見つけたいと思う。
その度に、真っ暗で、真っ黒で、真っ白な、北海道を思い出そう。

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