短編小説『酒煙』

べろんべろんに酔っぱらった男性の身柄を確保した。
駅前の繁華街から離れた、住宅地の街路灯の明かりの下で見つけた。
まだ夜は冷え込みが残る気候で、男性は防寒着を羽織らず、スーツだけの服装だ。
人はとことん酔うと、寒さを感じなくなる。

「え、酩酊状態の男性、確保。年齢、いくつぐらいでしょうね。ちょっとわかりません。顔が全体的に赤く染まる程度には入ってます。だいぶ飲みましたね。どうぞ」

パトカーの運転席に座ったまま、巡査長、竹吉たけよしは無線機のマイクに報告している。
街路灯に背中を預けて座り込み、両脚を路上に投げ出した男性だった。
竹吉の相棒の保科ほしな巡査長が外で、彼の世話を焼いている。
しかし男性は警官たちの存在を意に介さず、夢見心地に薄目を開けて、夜空を眺めていた。

パトカーの車内に、アルコールの饐えた匂いが充満している。
助手席にいる相棒の保科巡査長は、ずっとしかめ面をしている。
保科は自己管理を重んじて、酒を飲まないたちの警官だ。
竹吉は運転しながら、バックミラーで後部座席の方を見た。
酩酊男性は、シートに沈み込みながら、それでも何とか座ったままの姿勢を保っていた。
酩酊はしているが、目は開いている。
バックミラーの中で、二人の目が合った。
男性は竹吉に笑いかける。
彼の呼気で車内のアルコールの濃度がさらに高まった。

「お住まいがわからないと、本当に警察署で一晩過ごしてもらうことになりますよ」

保科もバックミラーをのぞきこんでいたらしい。
険のある声をあげた。
バックミラーの中の男性は、えへへ、と竹吉に口元で笑いかけるだけで、保科の警告には答えなかった。

夜の住宅地の中を、パトカーは低速でじわじわと走った。
最近はこの地域で、夜間に通行する自動車、バイクの排気音を迷惑行為として通報する事案が多い。
今日の竹吉たちにしても、通報を受ける前から先を見越してパトロールをしていた最中だった。
自分たちも夜間は、運転の仕方には特に気を付けている。
金曜日の晩は、騒音に限らず繁華街を中心に、トラブルが多くて気が抜けない。
男性が自宅住所を白状すれば送り届けるに越したことはないが、そうでないのなら、早々に警察署に送り届けて保護室で過ごしてもらうしかない。
金曜の夜は、警官は忙しい。

署で改めて尋問したうえでも、男性は口を割らなかった。
夢見心地に酔ったまま、警官たちの問いに密かな笑い声を返すばかりだ。

「我々はパトロール業務に戻ります」

竹吉たちは保護室担当の当直警官に告げて、その場を後にした。
保護室の中には、布団を敷いた簡易な寝床もある。
室内の空調も効いて、決して悪い環境ではない。
酩酊した男性から気持ちを切り替えるように、二人は駐車場に停めたパトカーに戻った。
車内には、依然、男性の残したアルコールの匂いが満ちている。

「この匂い、きついね」

保科はうめいた。
竹吉は苦笑する。

「そしたら、ちょっと寒いけど、しばらく窓開けようか」

エンジンをかけ、車の窓を全開にした。
屋外の冷たい空気が車内に入り込む。
警察署の敷地から、冷えた路上を這うように、じわじわと公道に出た。
夜風が頬に染みると同時に、酒の匂いが薄れていく気配がした。
繁華街に近づくと、街の明かりの華々しい明滅が届き、遅れて喧騒も伝わってきた。
竹吉の鼻腔で、酒の匂いがまた強くなった感覚があった。
隣の保科は、ため息をついている。

「悪いけど、次の非番、俺も飲むよ」

保科相手に、竹吉はうっかり口にしていた。

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