手放すと、身軽になるよね。

手放すと、身軽になる。
文書にしてみると、当たり前すぎるよね。

こんなスペースが開催されてました。

トークテーマが、わたしのような人。

基本主張は、こちら。

おふたりに言わせると、
”あの”文脈、「大事」「得意」「好き」のうち、特に「得意」「好き」に明確に尖ったモノのない、バランスのいい人たち、らしいです。

”あの”文脈は、尖った「得意」「好き」を見つけて、そこが重なるところを使って「大事」を実現する、というロジックだけど、尖ってないのに尖ったところを見つけようとしているから、見つからなくても迷うんだよ、とのこと。

そういう人は、その尖ったものを探すことを手放して、「大事」に全振りしては?とのこと。
バランスがいい、つまりは何でもできるんだから、「大事」に全振りした方がシンプル。
(逆に、尖ったものがあるひとは、尖ったところでしか活きないから、尖ったところを見つける必要がある、と。)

納得した、同意。というのもあるけど、それとは違う気持ちがあり、せっかくだから書いてみる。

確かに、自分に当て嵌めると、「好き」は全く尖ってないね。
「得意」、逆に「苦手」は、あると思ってるけど、おふたりに言わせるとバランスのいいひと、なのかな?
まあそこはどっちでもいいわ。

その尖った「得意」「好き」を探すこと、つまりやりたいこと探しを手放す、ということについて。

わたしはすでに手放している(つもり)。

手放した結果、少なくともこの文脈において悶々としたものは無いし、わりと身軽だよ。

スペースを聴いた気持ちとしては、
自分の中で行きついていたところと、スペースでおふたりが話していたことが重なって、これでイイよね。という安心感と、
自分の居ないところで自分のことを話題にしてくれて嬉しいと思う気持ち、かな。

で、満たしたい、価値観とは、
「孤独感」と逆の状態にあるもの。
上のリンクの記事で書いた、「環」のイメージが近い。

その状態になるためには、シンプルに言えば、周囲から頼られる状態になればいい。
そのために、やってて苦しくないことをやって、周囲に利益をもたらし、自分を仲間に入れたいと思ってもらえればいい。

ところで、突然こんなことしてることのネタバラシもしちゃいます。

このトークテーマは、自分がやっててそれなりに活き活きしていると感じること。
これが、相手にとってどういう利益があるか、相手の目線が欲しいから。

相手に利益を提供するために、利益を知ろうというつもりなんです。

一点だけ、スペースの内容にあえて反論するならば、
尖ってない、というのは、過去から今までにおいて尖ってなかったっていうこと。

今後もずっとそうかもしれないし、
気づいたら尖ってるかもしれない。

まぁ、探さないけどね!
尖ってるというほどでもなくとも凹凸はあるわけだし。

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