『セクシー田中さん』


一読者として
原作者、芦原姫奈子先生に哀悼の意を捧げます。

『セクシー田中さん』は男女の生き辛さを描いた少女漫画です。

仕事が抜群にできる経理部の女性、田中京子。通称田中さん(40歳)
同じ会社に勤める派遣OL、倉橋朱里(23歳)

全く違う生き方をしてきた二人が、ベリーダンスをきっかけに出会い
お互いの人間関係に波紋を広げらながら交流していく、そんなお話。

田中さんは税理士の資格を持優秀な人物として
描かれている反面、40歳という年齢も手伝ってか性的な魅力のない
人物として周囲に認知されている。
作中で「うつ向いて、勉強するしかなっかった」と語る田中さん。

田中さんの境遇を思って、私は自らの10代の頃のことを思いだした。
性的に魅力のない人物として周囲に区別されて過ごすのは、どれだけ辛いことだろう。
その事実を突きつけられたとき、どれだけ傷つくことだろう。
自分は他の誰かと比べて、可愛くない、カッコ良くない、裏ではブサイクとまで
言われる。そのことを、一体誰に相談できるというのか。

努力して変わればいいとか、将来見返してやれば良いとか、そのままで自分で価値があるとか、紋切り型のアドバイスは巷に溢れているけど。いまこの瞬間、傷付いている自分のために怒ってくれる人はいなかった。傷を抱えたまま生きるしかないと思ってた。放置するしかなかった。その傷は、命にまで届くというのに。

魅力がない人物として扱われてきた傷は、もう治ることはないと思っていた。
けれども、田中さんは言う。
好きな人が出来て、その人にベリーダンスを勧められて、綺麗だと言われた。
その人が既婚者でも、思いが届かないとわかっていても
「何度でも、背筋を伸ばそうと思った」と。

ベリーダンスは、エジプト圏発祥のもので
水着のビキニ+ヒラヒラのロングスカートのにような衣装で舞う、大胆な踊りだ。
元々は娼婦の踊りだけれれども、今では特定の誰か(夫など)のために踊られる
家庭的でポピュラーな踊りでもある。

つま弾きにさ来た人間が、叶わない恋をして、それでも美しく踊る。
その姿にどれほど励まされることだろう。

もう一人の主人公である
倉橋朱里もその一人だ。

朱里は田中さんとは正反対な人物として描かれており
可愛くて愛嬌のある23歳の派遣社員だ。派遣社員という立場ゆえか
自分一人で生きていく難しさを痛感しており、自分が若くて可愛い
内に結婚したいと思っている。

そんな中、朱里は田中さんがベリーダンスを踊っている場面を目撃し
お互いに交流を持つところから物語は始まる。

私が朱里の葛藤を見ていて感じたのが
〈若さ〉という期限付きの価値についてだ。

〈若くて可愛い内に〉というのは、呪いの言葉だ。
朱里は、まるで若くない自分には他に価値がないと言わんばかりに
色々と思い悩むわけだが・・・読んでいると、その切実さに息が
詰まりそうになってくる。

老いた自分には価値が無いのか。
可愛くない自分には価値が無いのか。

若さをなくした時、美しさをなくした時、自分に価値を見出せなく
なってしまうのではないか。

選んでもらうチャンスがある内に
自分を見てくれる人がいる内に
自分に価値がある内に、少しでもと。

若さに価値を見出す、それ自体は間違っていないと思う。
残念ながら、人間の美醜と年齢には切っても切れない関係がある。
老いずにいられる人間もいない。

だけど、たとえ自分に若さが無くなってもなお、背筋を真っ直ぐにして
歩ける人生でありたい。
若くなくても、可愛くなくても、前を向いていたい。

生きていると
男でいるのも
女でいるのも
人間でいるのも嫌になる夜がある。

いつだって家事を強要されるのは女性だし
男性は泣いちゃいけなくて、甲斐性を見せないといけない。

我々が生きているこの世界は、差別も偏見も存在する。
『セクシー田中さん』という漫画は、それを否定したり間違っているとは言わない。

確かにそこにあるもとして、それがある上でどう生きていくのか
そういう問いかけと、人間が営みの中で生み出す一縷の希望を描いている。

残念ながら、この漫画は未完になってしまう。
だがそれでも、ぜひ読んで見て欲しい。
この漫画に無関係でいられる人などいないのだから。





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