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夏の扉、の日。


2023.4.21
夏への扉がひらいたような、
そんな朝。

夏の匂いがする、と
記憶、が、言う。

正確には、わたしのなかの
《記憶係》が、

図書館にいる、ベテランの
穏やかな司書が、
検索結果のメモを渡すように、

『夏のハジマリの、
その、朝の訪れは、
胸が詰まるほどに
明るい予感に満ちています』

と、ささやく。

天気予報でも、夏日となる
と、報じている。

わたしは、記憶係の
声なきこえ、に、うなずき
朝の庭をゆっくりと巡る。

ルピナスの花芽。
どっしりと、かつ、可憐。
エキウム・ブルーベッダーさん。
蕾にいろが入りはじめた。
たぶん、ヒメウツギさん。
白い花がいっせいに咲いた。
ペンステモンさんも
ちいさな蕾を天へと向けて。
ジャックと豆の木、のハナシ通り、
ぐんぐん育つ、絹さやさん。
コスモスさんのこぼれ種からの芽。


バナナと牛乳で朝食とし、

暑くなるまえに、と、

アパートから持ってきた
種蒔き苗たちを、植える。

マリーゴールドさんの苗を6つ。

(花が咲いている苗2つ
まだ、ちいさな苗4つ)

おなじく、種から育てた
ダリアさんの苗たちの間に植えていく。


すてきな苗を、園芸店で
買ってきて植えるのも、楽しいが

ジブンで種を蒔いて、
育てた苗たちを、植えるのは
格別のヨロコビだ。

しかも、ダリアさんも
マリーゴールドさんも、

この、大好きな絵本の

エルサ・ベスコフ著
ラッセのにわで


あるページに出てくる花たちを

マリーゴールドさん、アスターさん、
ナスタチウムさん、たち。


庭へお招きしたい、と
昨年の初秋に思い、
種を蒔いた方々なので、いっそう
うきうきとしたヨロコビがある。


植え終えて、この方々もまた、
夏の扉だ、と思う。

夏に咲く花、みな、眩しい。

胸が詰まるほど、明るい。

ナスタチウムさんは
向かいの花壇に植えてある。


昼になり、お日さまが
さんさんと、夏の陽差しを

初老のわたしの首のうしろへ
惜しみなく、投げかけたので、

しばし、庭から出て、

(独りでいるときは、
熱中症に注意!)

ありあわせのもので
昼食を取ってから、

バスに乗って、馴染みのJAへ行った。

アゲラタムさん 2つ
フロックスさん 3つ
ベロニカ マダムマルシアさん 2つ

を、1000円くらいで購入し、

精をつけようと、デパートで
ヒレカツを買って、

またバスに乗り、
わくわくと、帰ってきた。

フロックスさんのひとつは、
若い薔薇の隣に植えた。



白髪まじりの初老のおんなのひとが

大きな袋に、苗を6つ入れて、
くたびれたスニーカーを履いて

午後2時のバス停で、
1時間に二本しか来ないバスを
独り、待っていたら、

若かった頃の、
愚かだった、わたしは、

花を植えたりするしか、
楽しみがないんだろうなあ
若さを喪うって、とても
寂しいのだろうなあ、

特に、こんな眩しい、
夏のハジマリには、

と、思っただろうが、

いざ、成ってみたら、

どんな時期のわたし、より
楽しく、明るく、

どんな時期のわたし、より、
素直で、優しくて、
朗らかで、瑞々しい、ので、

びっくり、している。

これは、ほんとうに不思議なことだ。

世間に流布する、

若さを喪ったおんなのひとへの哀れみは
(その底にうっすら渦巻く侮蔑と共に)

いったい誰が、そうだ、と

《世のコトワリ》のように
設定したのだろう。

その時、わたしは、バス停で
亡き母がかぶっていた夏帽子をかぶり、

ハルキムラカミの短編集を読みながら

(ヤクルトスワローズ詩集)

袋にある苗の重みと
膝にあるヒレカツの温みに

しみじみと、満ち足りて
《世に在た》ので、ある。


庭へ帰ってきたら、
咲いたばかりのギリアさんの
青い、球体の花に、
アゲハ蝶さんが来ていた。

夢中で、蜜を吸っていらした。

その近くでは、
蜜蜂が、ぶんぶん、
羽を鳴らしていた。

眺めているうちに
ジブンもまた、夏の庭の住人となり、

しばし、ヒトであることを忘れる。



薄暗くなるまで、
庭しごとをして

(やることは山ほどある。
やれやれ、うれしいなあ)

汗と土で汚れた衣服を
洗濯機で洗い、

風呂に入ってから、

ヒレカツと味噌汁と
納豆で、晩飯を食べた。


ビールは500mlをくい、と開けた。


それも、また《夏の扉》であった。


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