埋葬しながら、の日。
2023.6.17
昨年の梅雨の頃は、
その8ヶ月ほど前に、
庭で独り倒れた父の、
病院から、
施設入所への
手続きや準備で、
庭へは、あまり来られなかった。
介護度5と認定された父を
受け入れてくださる
もろもろの条件に合う
良い施設が、
退院のリミットはこのあたりです
と、病院から提示された近くになっても
なかなか見つからず、
どうなるのか? と、
こころは、焦り、で、いっぱいだった。
しかし、知り合った
ケアマネージャーさんが、
尽力してくださり、
アパートがある町の施設に
入所できることになった。
その間、
父の住民票を移したり
入所に必要な、
細々したものを買い揃えたり、
もちろん、病院へも通い、
気がついたら、6月は
終わっていた。
父の入所を無事に終え、
7月半ば、1ヶ月ぶりに、
庭へ来ると、
そこは、
夏の草たちの《場所》になっていた。
庭の外から、
草たちが押し寄せ
小径煉瓦の隙間にまで
旺盛に、伸びていた。
花は少なく、
暑さに乾いた土と
じめじめした土が
庭を覆っていた。
ヒトが去ってしまった庭、
だと、ひと目で分かった。
アパートの町から、
汗を拭き拭きやってきた
わたしは、
休む気にもならず
部屋に荷物を置くと、
すぐに草取りを始めた。
猫じゃらしを引っこ抜き、
子みかん草を土ごと掻き、
ひどく根を張った草を、
スコップで、がしがしと掘った。
涙が出てきた。
人生とは、けっして
休むことのない過酷な川だ、
と、草たちを、むしっては
バケツに放り込みながら、
この、(わたし独りにとっては)
広い庭を、
これからどうしていけばいいのか?
と、途方に暮れた。
そうして、
一年という時間が巡った。
そのあいだ、わたしは
庭に、花や薬草を、たくさん植えた。
洋服を買うことをせずに
古い服のまま、
美容室へ行くのもやめ、
その分のお金で、苗や種や
土や肥料を買った。
今年は、
夏椿が、よく咲いてくれた。
夏椿は、
いちにちで、
花を終えるので
ぽとぽと、と、落ちてくる。
雑草が生い茂りやすい場所を
耕している、そこへ、
ぽとぽと、と、落ちてくる。
この夏も、はや、
草たちと、格闘している。
しかし、途方には
暮れていない。
すこしずつ、花を植える。
生きる、という《悲しみ》を
都度、埋葬しながら。
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