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紫陽花を植える、日。


2023.6.30

梅雨どきの庭は
ひたすら、

春から伸びた
花茎を切り戻しする、

のが、大切なしごと、で、

それにより、
梅雨どきの湿気による
《蒸れ》から、

植物を、すこしでも
守ること、になる。

と、知り、

蒸し暑い日和なれど、

朝から、せっせと
鋏を持ち、庭をめぐった。


剪った花茎たちの
新しさを愛でたくて、

花瓶へ活けたり、
紐で束ねたり、する。

ボリジやタイム。
散りそうな薔薇たち
ラベンダーの花も。
蜂さんのために、半分はまだ
残しておいた。




種採りも続く。

秋蒔きの種たちが次々と熟す。


秋に蒔く、のが、楽しみだ。


庭で採取した種から、
芽が出たら、どれほど
感激するだろう。

単純なわたしは、

飛び上がって、
喜ぶかもしれない。


そうこうしていたら、
雨が降ってきた。

蒸し暑い雨、である。

しかし、紫陽花には
似合う雨、である。


いま、庭には
紫陽花が、

ひとつふたつみっつ、よっつ、とある。

青い花が咲く、古い、大きな株。
こちら、やはり大きな
柏葉紫陽花さん。
庭の北側に咲く、額紫陽花さん。
そして、庭のふた箇所に植えてある
アナベルさん。



長らく、この方たちが
庭の紫陽花さんたち、だっだが、

今年は、春に、新しくふたつ

白いお方。
ウェディングブーケ、という
名前で、ホームセンターにいた。
ピンクのお方。
ダンスパーティという名前だった。
とても、ポピュラーな紫陽花さん、らしい。


そして、先月に、ひとつ
紫陽花さんを植えた。

JAに売っていた。
赤い紫陽花だったが、
だんだん、色褪せて
アンティークないろになってきた。



わたしは、紫陽花の花は
もちろん、好きだが

実は、

冬にさっぱりと、葉を落として
茶色い茎だけの姿になる、

それが好き、だ。


枯れた庭に、
紫陽花の枯れたような枝が、
ひっそりと在る、のを見ると、

【鹿のような方々】が、
いるように、思い、

見つめてしまう。


どっしりとした大株は、ヘラジカ
あのほっそりとした、背丈のある
北の株は、ダマジカ
この、茎の細い株は幼いノロジカ

などと、冬
庭を見回しながら、思う。


春、梅雨のころに向けて
芽をぐんぐんと出して
葉を広げ、花を艶やかに
咲かせた《彼》は、


ふゆには、葉を落として
土に、角、だけを残し、

北風と共に、旅に出る。

世界の、清潔に冷えた森林を
駆けめぐり、

『俺は自由だ』と

と、深く、荒々しく、呼吸する。


このまま、あの庭には
帰らずにいようか?

とも、考えるが、

それでも、毎年
庭へ、戻ってくる。


ちいさな雀のような
クロッカスたちが

ひとくちの
砂糖菓子のような菫が

子供服についている釦のような
赤や白のデイジーが

彼の角の、近くで
無邪気に、呼ぶからだ。


紫陽花さん、
春よ、雨が降るわ
もう、醒める時期よ


と。


その声を聞き、
彼は、戻ってくる。

風に蹄を鳴らして、

いまだ、冷たい風吹く、
上空から、

庭に残っていた
自身の角を、懐かしく、見、

芽吹きのころの
優しい春のひかりを思い出し、

観念して、下りてくる。

蹄を仕舞い、
土へ、脚を埋める。


そうして、また、咲いてくれる。



そんな空想を、
紫陽花には、いつもしている。


だから、わたしは、
庭に、

こころ優しい
紫陽花群の群れ

を、増やすべく、

植えるには、ぎりぎりの時期だ、

と、思いつつ、紫陽花さんを
もうひと方、お迎えした。

庭の村の花屋さんで買った。
magical、なんて単語が
なまえについていた。
ナンニモナイトコロを耕して植えたので
木の枝で、囲んで。


紫陽花を庭に増やしたいのは
もうひとつ、理由がある。

亡き母の誕生日が、
紫陽花の花が
いちばん綺麗なころに
あるから、だ。

夏至の日に近い、
その日の庭が、

梅雨空であっても
美しくあってほしくて。


それと同じ理由で
来年は、百合も
庭に新しく植えよう、と思う。


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