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ほんとうのこと、の日。


2023 5..12

種を蒔いたり、
苗を植えたら、

芽吹いたり、
花が咲くのだ、と

庭で、
それらに出会うたび

驚いてしまう、のは、

わたし自身が

ほんとうのこと、を
あまり、経験していないから

かも、しれない。


ほんとうのこと。

それは、とてもゆっくりで
萌してから、時間がかかり、

行動を、100も通過して
ある日、目と手とこころの前に
現れる。

例えば、洋服を縫う。

布を手に入れ、水を通し、
乾かしてから、紙を手に入れ、
丁寧に、型紙を取り、

布に合わせて、裁断して、
しつけ、から始める。

ミシンの調子を合わせ、
布に合う糸を手に入れ、
上糸をかけて、下糸はボビンに巻いて、

縫い始める。

襟やポケットのパーツ
裏布付け、スモッキング

さまざまなことを、
ひとつひとつ。

手慣れていなければ
糸をほどき、縫い直したり、

ボタンを選ぶことや、

ボタンホールをつくるのに
四苦八苦することもあるだろう。

夏服を、と、思って、
縫い始めたのに、

仕事の労働がたてこんで
出来上がるのが、8月半ばとなる、

そんなこともあるだろう。


しかし、とにかく
出来上がって、アイロンをかけて、

ハンガーに吊るして眺めたとき、
それは、ようやく

ほんとうの洋服、として、
たった一着、目の前に現れる。

もし、洋服を
ジブンで縫うこと、しか

それを手に入れる手段が無いなら

わたしは、ほんとうの洋服を

毎日着て、まいにち、丁寧に
畳んで、裸で眠り、

朝、大切に、それを着て
働きに出かけるだろう。


ほんとうのこと。

それは、それほど
綺羅綺羅しく、は、無い。

縫った洋服が、思ったより、
不恰好であること、もあり、

二、三度、袖を通したら
裾が、ほつれてくる、こともある。

詰めたり、繕ったり、が
必要となること、は、多々ある。


ほんとうのこと。

わたしは、この5月
ほんとうの、ジギタリスを見た。

昨年の秋に、庭の
ナニモナカッタところに
小さな苗を植えて、

一年の半分が経ち、
花が開きはじめた。


映画で、写真で、
小説のなかで、

或いは、植物園で、

わたしは、ジギタリスに
会っていたが、

ほんとうには、会っていなかった。

庭で出会う
ほんとうのこと。

それも、それほど
綺羅綺羅しくは、無い。

数年、剪定しなかった
庭の北側の紫陽花は
丈をどうしてよいか、と
曲がりくねり、

手入れが行き届かなった薔薇は
虫に喰われ、蕾が枯れ、

剪定が追いつかない木たちは、
枝を伸ばし、増やし、葉を密にし、

(百日紅のようは
蟻に棲家にされてしまい、
マサキは、もう3年以上
重度のうどんこ病に罹っている)

西側の遊歩道からやってきた
薮からしが、侵略の歩を進め

気づけば、もう、だいぶ
地下茎を伸ばしている。


ほんとうのこと。

庭に現れる、ほんとうのこと。

わたしは、《それ》が好き、だ。

昨年のこぼれ種から、
紫のルピナスが咲いた。
千鳥草の白と
カモミール。
白の場所をつくりたくて、苗を植えたのは
2月だった。
ニゲラの青。咲いてくれたから
来年からは、種から育てられる。


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