#XX 想像通りに完璧なそれ
想像通りに完璧なラーメンを食べたことはあるだろうか?
別にラーメンでなくてもいい。カレーでも、カツ丼でも、パフェでも、イチゴのショートケーキでもいい。漠然と「ああ、あれが食べたいな」と思い立ち、近所の店に入り、注文して運ばれてきたそれがまったくもって想像通りに完璧だったことはあるだろうか?
ラーメンならば麺の硬さ、スープの濃さ、トッピングのチャーシューは1枚か、2枚か。メンマは柔らかい穂先か、或いは歯ごたえある根本か。ネギは小口切りなのか白髪ネギなのか、カウンターの胡椒はGABAN? それともテーブルコショー? 箸はプラスチックか木の割り箸か。
エトセトラエトセトラのこだわりがあろうと思う。上記だけでも7回の2択が発生し128通りのラーメンがある。もちろん、そのほか多数のこだわりによって「想像通りに完璧なそれ」に出会える確率は天文学的に小さくなる。恐らくは我々は常にいくつかのこだわりについて妥協しながらラーメンを啜っているのだ。心の底で「なんだァ、ここの店はプラ箸なのかァ」というほんの小さなガッカリを見て見ぬふりをしながら生きている。80点もあれば上出来だよな、などと欲望に言い訳をしながら。
無論、おじさんもそうである。おじさんはおじさんが故に少なからずこだわりがあり、食事にしろエンタメにしろ、「ああ、ここがもうちょっと、こうだったらいいのに」といういらん考えが脳裏をよぎる。
これは半端に知識があることの悲劇である。中途半端に知識があり、選択肢を知ってしまっているがため、優柔不断な欲望が鎌首をもたげるのである。しかしそれを口から出してはならない。その言葉は誰もが不幸になる魔の呪文である。アバダケダブラである。しかも敵味方無差別の。ガンダムにしろ宝塚にしろ、古参は古参ヅラせずに新参の香ばしさを傍観することがもっとも利口な行いなのだ。
しかしながら、「想像通りに完璧なそれ」が映画館に降りてきた。
「ダンジョンズアンドドラゴンズ アウトローたちの誇り」である。
これからこの映画を観る人間は立ち去ってもいいし、留まって狂人の話に耳を傾けてもいい。
おじさんはあまり映画という娯楽に触れずに生きてきた。これは住まいが映画館がない田舎であることや、2時間も大人しく座っているのが苦痛だった子供時代に起因するが、詳しくは割愛する。
おじさんはドラマを漫画とTVゲームで学んできた。日本映画の衰退は、才能ある若人が漫画やアニメに流れてしまったからであるという言説があるが、やはり子供時代から触れられるメディアは強い。冒険、戦い、壮大なストーリー、どこまでも世界が続く感覚、愛と希望と死と絶望、漫画とゲームにはすべてがあった。
おじさんは小賢しい子供だったので、町の図書館で調べられる範囲で色々なことを学んだ。生物に強い興味を持っていた少年はドラゴンに夢中になった。なにせデカいトカゲが火を噴いて空を飛ぶのだ。ゲームを遡り、ウィザードリィを知り、ダンジョンズアンドドラゴンズを学び、J・R・R・トールキンに打ちのめされた。
しかしダンジョンズアンドドラゴンズの映画を観ると決めたきっかけは覚えていない。ただ局所的に話題だったからかもしれないし、ただの気まぐれだったかもしれない。おじさんにとって映画というのは、無駄に長く、無駄にうるさく、無駄にポップコーンの匂いがする密室に閉じ込められるものだからだ。人間は年を取ると愚かになりたいこともあるらしい。
ダンジョンズアンドドラゴンズはもう上映館も少なくなっており、おじさんは遠い映画館まで1時間半かけて車を走らせた。映画を見に行く道のりにトイレ休憩を挟むのはなかなか愚かしい行為に思えた。たどり着いた映画館はなんだか所帯じみていて、映画館という空間がかつて持っていた高級感だとか異世界感というものは感じられなかった。おじさんはあまり期待せずに、1900円を払ってチケットを買った。礼儀として500円でウーロン茶も買ったが、Lサイズが大きすぎた。これは夏の運動部サイズだ。映画館にここまで喉が渇く人間が来るのだろうか。開場とともに中段ど真ん中に鎮座して携帯電話の電源を切る。暇な時間を予告編で溶かすこの上ない不毛な時間を経て、物語は凍てついた世界を走る馬車から始まった。
とりあえず感想をば
「こんなに余計なことをしない映画は久しぶりだ!」
足し算と引き算が完璧。
ゲームにしろ漫画にしろ小説にしろ、原作がある映画というのはどれだけ原作要素を出すのか、そしてどれだけ出さないのかのバランスというパラメータがある。原作にかまけ過ぎると初見ではわけがわからなくなるし、原作を無視しすぎると本来の魅力を損なう。
この後者を浴び続けた我々は実写映画というものに対するヘイトがある。近年、力の入った作品こそあるものの決してそれがメインストリームではなく、某錬金術師や某王国や某火星開拓者、某デーモンになっちゃったよーなどが跋扈する世界である。悪夢である。終いには原作通りの映画ができただけで褒められる始末。顧客を裏切り続けてきたアコギな商売の自業自得である。
ダンジョンズアンドドラゴンズ(以下D&D)は原作がテーブルトークロールプレイングゲーム(TRPG)であること、1本の映画では表現しきれない壮大で膨大な世界観。
「この条件で良作にはならんだろ」と60~70点くらいを想定して挑んだのだが、D&Dモチーフのツボを抑えた選び方、作中用語を詳しく説明するかあっさり流すかの脚本の妙、サブクエスト発生から達成までの手っ取り早さ。なんだコレ全然ストレスなく見られるな。
移動シーンに差し込まれる、いかにもファンタジー然とした風景を走る馬。なんの説明もなく登場するホブゴブリン、蛇人間ユアンティ、猫人キャットフォーク。そのいずれもが「この世界では当たり前」と言葉なく雄弁に語りかける。
主人公パーティが結成されるまでのスピーディーさと言ったら。キャラクターのバックボーンもあっさり紹介して、彼らがどのような人物なのかセリフで説明されなくともわかるシンプルなのにしっかり味わいのあるつくり。
「個性的なキャラクターたち!」という個性のない売り文句をコマーシャルで観続けてきたおじさんはしみじみ思った。個性という調味料をバカバカぶっかけることよりも、セリフ回しやちょっとした仕草や会話など、描写のダシを手抜きせず仕上げるとこんなにキャラクターを魅力的に描ける。15分も観たころには芋をかじるホルガのことが大好きになっていること請け合いである。
4人の主人公パーティは全員がなにかしら人間性に問題を抱えているが、その欠点こそが彼らの個性であり、見方を変えたとき救いになる長所であったと分かる。21世紀にこんなにも説教臭くさくも偽善くさくも浅慮でも無学でもない「個性は素晴らしい」という表現があっただろうか!「1番弱いときに1番強いんだ!(おぼろげ)」というセリフに不覚にもグッと来てしまう。
狭義のハリウッド映画の「あるある」はご存知と思う。ヒロインがヒステリーを起こして足を引っ張る、偉そうにヘイトを集めるヤツがなかなか死なない、おっちょこちょい野郎の失敗が許せる限度を超えていてストレスが溜まる。毒にも薬にもならない無味乾燥で無意味な説教演説パート。
おじさんはこれらが大嫌いである。
これらは半機械的に組み込まれるいわばハリウッド脚本の功罪の罪である。
この映画はそれらがない。なんてシンプルで、力強いシナリオだろうか。作話の教科書に使えるレベルだ。「魅力あるものを順序立てて入れる」「余計なものを入れない」このバランスを両立することの難しさをどっしりと乗り越えた、想像通りで完璧なファンタジー作品だ。
細かい部分を
・移動シーンで湿地の遠景を走る馬の蹄が水を揺らしてなかったように思う。ソフト化したらもう1回よく観る。
・戦士ホルガのアクションシーンは敵に同情するレベルでボコボコにしている肉体的な表現が素晴らしい。アクションシーンの容赦なさが彼女の歴戦を物語り、頼もしいことこの上ない。レンガで兵士の顔面をボコボコにする、兵士の頭を兜ごと溶鉄にブチ込む、いつの間にか胸にトゲがぶっ刺さってる、の3本です。来週もまた観てくださいね。ジャンケンポン。ウフフフフ。
・詐欺師フォージ(ヒュー・グラント)と魔法使いソフィーナの、敵役としてのバランスの良さ……。フォージは詐欺師だけあって、レンガで顔面を陥没させたい憎たらしさと同時に妙な魅力が同居しており、オチも相俟って大好きなキャラクター。対してアイメイクが濃すぎて逆にいいソフィーナは敵役として「野望」と「力」を担当していると言える。正直言ってソフィーナに関しては「別に絶対倒さなきゃいけないわけじゃないしな……」と思えてしまう程度にはヘイトを溜めていない。しかしながらフォージとツルんでいることで主人公パーティの敵として立ちはだかる理由は十分すぎる。バチバチのアクションシーンにおいてラスボスとしての役割をこの上なく果たしてくれたと言えよう。
・セクシーパラディン。セクシーなパラディン。
・未熟なソーサラー・サイモン。往年の漫画読みならば間違いなくポップ(ダイの大冒険)を思い起こすであろう彼はかなり長い期間を情けないチキン野郎として過ごすが、終盤でソフィーナと魔法を打ち合うまでに成長した彼の姿は背筋にゾクゾク快感が来る。成長という世界で最も素朴なテーマが、古臭くない味付けで供されるのがたまらない。こういうのがいいんだよな、シンプルで。カッコいいよサイモン。
・ティーフリングのドルイド、ドリック。動物に変身する魔法を使う。アウルベアー(梟熊)がダイナミックに大暴れする姿は爽快。首をグリングリン動かすところが非常にキュート。クール系に見えて全くクールじゃないあたり、なんだか機動戦艦ナデシコのホシノ・ルリを思い出す。それにしてもこのパーティは女性陣に膂力が集中しすぎている。パーティで最も有能説があるが、正直みんなある程度有能なので気にならない。
・吟遊詩人(バード)、盗賊にして主人公エドガン。彼の娘が囚われていることが物語の推進力になるのだが、しっかりほどほどに情けなく、バカで賢く、きっちり〆る。ゲームを遊んでいないと分かりづらいバードだが、言葉と音楽によってパーティメンバーを鼓舞し、励まし、(いかにもTRPG的な!)思いつきのような作戦を吹き込む。ダイスに翻弄されまくる彼の姿は悩むプレイヤーを想起させ、決してスーパーヒーローではないが、自分の使命に苦悩する全身タイツよりも人間らしさを感じてしまう。エドガンの語り口調は軽妙すぎて一見すれば軽薄にも映るが、言葉が達者な彼だからこそ慎重に言葉をひとつひとつ考えて話すシーンには実感がこもる。いや、やってたことはセコい窃盗なんだけども。フォーゴトン・レルムではそれすらも愛嬌というか。まあ、そういうことでなんとか。
・チョイ役、死体の声優が豪華すぎて笑ってしまった。神谷浩史、森川智之、津田健次郎、諏訪部順一ってBLCDだろ。
我に返って
レシピがなくてダイエット記事を書かないままについて映画レビューを書き出してしまった。これはおそらく迷走するか、迷走する前に辞めるか微妙なラインに乗っている。しかしおじさんは映画も悪くないもんですねという気持ちになっており、RRRとマリオを観てみたい。しかし片道1時間半はなんとかならんか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?