#22 おじさん暇する
ここ最近、どうにも時間が余ると思っていたら、あまりしっかりと料理をしていないのだと気づいた。
というのも、おじさんは「ダイエット食は意外と金がかかる」と思ったのだ。独身男性最盛期にはこんなに野菜を食べることなどなかった。3大栄養素が満たされていれば満足していた。肉、米、粉物、パスタ、うどん・そば。これらは意外に安上がりで、食費を計算しなくても家計を圧迫することはなかった(おじさんは濃い味が苦手なので外食の習慣がない)。
ダイエットを開始して、野菜、乾物、こんにゃく等の加工食品を大量に買い込むようになる。栄養バランスを考え、カロリー計算し、そこそこの調理技術でダイエットレシピを量産した。すると突然「週に何回、野菜買ってんだ?」と我に返ったのである。
「多めに買った」4本のにんじんが溶けるように減っていく。あんなに頼もしい体格のキャベツ・大根がみるみるみじん切りになってなくなっていく。けっこうな大袋で買っている玉ねぎはいつのまにか3個になってしまっており、いっぱいだった野菜室は寝て起きたら閑古鳥が鳴き出す。冷凍庫にストックしていた冷凍フルーツはいったいどこへ行った? この消費ペースは寝てる間に丸呑みでもしていないと説明できないほどだ。おじさん家のエンゲル係数が急上昇していく。ダイエット開始してからの食費は、¥7000~8000は上昇した。おじさん1人でだ。
危機感を覚えて家計簿ソフトを導入し、特に根拠もなく¥25000/月(米・調味料等込)に設定してダイエット・節約の二重生活を始めたのが1月1日のことだ。新年からおじさんがなにやってんだ。もっと書き初めとかしろ。餅食え。
この¥25000/月(米・調味料等込)の設定が地味に辛い。おじさんはおおよそ6~7kg/月の米を消費するので、必然的に月に¥2000ほどの米代、おじさん家訓に「調味料はケチるな」とあるので月に¥2000~3000ほど調味料代がかかる。90食分の自炊をすると醤油・酒・甜菜糖・オリーブオイルなどはすごいスピードで減っていく。
残りの食材費は¥20000ほどである。野菜と卵で¥12000、肉魚で¥5000、乾物や加工食品、エトセトラで3000。机上ではこうなる。しかし肉魚¥5000というのは全くもって少ない。近年の輸入鶏肉高騰もありそれなりに厳しい。タンパク質補給用の鶏むねチップスを1ヶ月分作るとそれだけで¥2500はかかる。残金¥2500。これでは魚1匹買うにも勇気が必要になる。¥398/100gが重くのしかかる。卵も1.5倍ほどに値上がりしてしまったし、タンパク源が高すぎる。
必然的に食卓に上がるメニューは厳しい選別を乗り越えたエリートメニューになりがちで、常備菜としてきんぴら、コールスロー、ひじき煮、切り干し、ブロッコリー和えあたりの誰かが常に冷蔵庫にいる。冷凍庫には鶏ハムか茹で豚。余った野菜はまとめてスープ。2ヶ月これらばかりで代わり映えしない。しかし新しい料理にチャレンジするにも金がかかる。これが現代社会の現実である。
別に設定金額を引き上げればいいのだが、1度チャレンジしてしまったからにはやめたくない中年の意地がある。負けた気がする。歳を重ねるほど人間は生き方を変えられなくなる。おじさんは負けん気が強い。別に¥30000/月でも中年男性1人としてはかなり安めなのだが(全国平均が¥45000/月くらいらしい)、1回節約してしまうとなにかもったいない気がしてなかなか後戻りできない。人間は数値に弱い。
これらの要因が重なり、決まった料理ばかり作る→手順が最適化される→時間が節約されてしまう、スパイラルが発生する。これではいけない、停滞は後退である。もっといろいろなメニューを模索したいし、なにより退屈である。おじさんは退屈が1番嫌いなのだ。4番くらいにスポーツ。
暇すぎて初めてドット絵を打ってしまった。
おじさんは年に数回、大きな書店に足を運ぶのがささやかな楽しみなのだが、冬の間は雪と氷で閉ざされた世界に軽自動車で飛び出していく蛮勇を持ち合わせていないためになかなか行けない。おじさんは通販が好きではなく、書店で一期一会的に本と出会うのが楽しいのだ。
先日、矢も盾もたまらず未だ雪の溶け切らぬ国道へ繰り出した。土曜の道はそれなりに混んでいた。路面の見えることに油断した制限速度無視ドライバーたちがエンジンを唸らせながらビュンビュン飛ばしておじさんを追い抜いていく。こんなだから全国事故件数ランキング上位の常連なのだ。春は頭があったかくなっていけない。
道の駅へ停まりながら1時間以上かけて久しぶりに大型書店へ行った。専門書が多くて助かる。文化史やら世界史の棚をぶらつく。特設コーナーには新学期を対象にした参考書が売られている。数年前から欲しくて気になっているのだが、この歳で買うと怪しいだろうか。子供に買うように見られるかもしれないが、子供に勉強を強制するタイプの親だと思われないだろうか。これは今後、生きることが嫌になるほどのレッテルである。すべての希望を失う。
参った。迷った。流石大型書店である。食文化史の棚が全く見つからない。すでに30分以上は店内をさまよい歩いている。額から汗をかくほど歩いている。若干、不審者である。店員が早とちりで通報したとしても強く出られない状態になってしまった。
おじさんはここでも中年の意地を発動し、検索端末を使えないでいる。どうせ検索するなら通販でいいではないかという心の隙をなくすためである。しかしながら食文化の本すら複数の棚にぽつぽつと散発的に存在しているだけで、それもページ数も内容も薄いものばかりである。専門家でないおじさんすら既知の内容の本など必要ない。食文化というジャンルが学問として市民権を得だしたのは確か1970年代だったか、普遍的なジャンルであるはずなのに専用の棚がないとは。過去も現代も、学問とは仰々しいものの地位が高いのだろうか。
おじさんは意気消沈して、いかにも面白くなさそうなレシピ本の棚を見に行った。料理ブログ本、クックパッド本、これらを買う人はネット環境がないのだろうか。その人達の生活が心配になる。大型書店のレシピ本コーナーには料理人向けの、やたら大きく、やたら高い本が置いてあるのが良い。熱心な料理人がこういった本を参考に今日も試行錯誤していると思うと感慨深い。
そしてなぜレシピ本の棚に食文化本があるのかね。
結局、2冊買った。
スープという土器が生まれてから最も人類の腹を満たしたであろうメニューに限定して世界中のものが載っているので購入した。かなり分厚く、これで¥2200(税別)はお値打ち。
サムネイルから「なんだこのおしゃれなスープは、レシピとかあるのかな」と思った方はうん、「また」なんだ。済まない。 仏の顔もって言うしね、謝って許してもらおうとも思っていない。 でも、この記事を見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない「ときめき」みたいなものを感じてくれたと思う。 殺伐とした世の中で、そういう気持ちを忘れないで欲しい そう思って、この記事を作ったんだ。この記事にレシピはない。流石にそんなリテラシーのない真似はできない。買って読んで頂きたい。言うまでもないがおじさんは著者・出版社となんの関係もない。
もう1冊はまあ、機会があったら。ないとは思うが。
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