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「BanG Dream! It's MyGO!!!!!」を見たら叫びたくなるよというお話

大型コンテンツ「BanG Dream!」が見せた新たな可能性

「私は……バンド、楽しいって思ったこと、一度もない」

「BanG Dream!」ってこういうコンテンツなの!?

第1話冒頭、ショパンの「雨だれ」の調べと共に鬱々と耳朶を打つ雨音の中、突如として始まった修羅場に、私の中で「BanG Dream!」というコンテンツに貼っていた「キラキラのバンドストーリー」のレッテルがびりびりと剝がれていく音が聞こえました。

あまりに人間臭くて、ジメジメとしていて。
バンドに向き合う少女達のキャラクターとして愛せるか否かのギリギリのラインで行われる剝き出しの感情の応酬。その連続に、私は心をゴリゴリと削られながらも気が付けば必死にもがく彼女らの行く末を見届けずにはいられなくなっていました。

正直言って、見る人を選ぶ作品であると思います。
ストレスフリーな作品が好まれる昨今において間違ってもメインストリームに躍り出るような作風ではないし、なにより見ていて疲れる。

しかしながら、刺さる人にはとことん刺さる。グッサグサ刺してくる。
キャラクターと向き合っていたつもりがいつの間にか自分自身と向き合わされている。
グルグルと思考の渦に飲み込まれ、行き場のない感情を吐き出したくなる。
そんな力が「BanG Dream! It's MyGO!!!!!」にはあります。

10年アニオタをやってきて140字以上の感想を書いたことの無かった私が、読書感想文はコピペで済ましていた私が、こうして駄文を書き連ねなければ気が済まないのがなによりの証左かと思います。

そんな本作について、本稿では一人の少女に焦点を当てて振り返っていきたいと思います。

周囲に受け入れてもらうのに必死な少女


「なんで春日影やったの!!!」

はい、みなさん大好きなそよの激昂カットです。
まかり間違っても美少女コンテンツのキャラクターがしていい表情ではありませんね。髪の乱れ具合も大好きです。

「It's MyGO!!!!!」の魅力として、ストーリーや楽曲は言わずもがな「3Dでの画作り」も大きなポイントだと考えています。
ほぼ全カット3Dで制作されている今作。
3Dアニメに偏見を持っていたわけではありませんが「2Dアニメには劣るよな~」という凝り固まった考えが私の中にあったのですが、本作はそれを払拭してくれました。
上記のそよのカットをはじめ、ライブシーンや1話ラストの愛音など、魅力的な表情のカットを上げれば枚挙にいとまがありませんし、楽屋でメンバー各々が動き回るシーンは2Dだと地味にカロリー高くてなかなかやれないよなぁ(3D制作は素人なので見当違いだったら申し訳ありません)等と、見ていて「2Dもいいけど、3Dもいいよね」というスタンスに着地することができました。

閑話休題

いきなり話が逸れてしまい申し訳ありません。
というわけで、本稿では長崎そよに焦点を当てていきたいと思います。

長崎そよと「プライオリティ」

「私は……お母さんは?お母さんはどこがいいと思う?」

第9話にて明らかになるそよの過去。
彼女が小学5年生の時に両親が離婚し、親権は母親が勝ち取ることに。
一ノ瀬から長崎へと姓が変わり、教科書の氏名欄をぎこちない筆運びで書き慣れない苗字へと換えていきます。

両親の離婚という背景からは、そよが選択してきた「生き方」を窺い知れます。
険悪な家庭で過ごす彼女は、常に人の顔色を窺うようになっていきました。
それはひとえに自分を守るためであり、無意識の防衛本能でした。
結果として彼女は「傷つかないこと」にプライオリティを置くようになり、「嫌われないように」「受け入れてもらえるように」自分を抑え込み周囲に望まれるままに振舞っていくこととなります。
そう考えると、月の森に入学した彼女が戸惑いながら口にした「ごきげんよう」は胸を締め付けるものがあります。

吹部への入部も、コントラバスを選んだのも、そして「CRYCHIC」へ参加したのも、自身のプライオリティに従っての行動でしかなかったのでしょう。

長崎そよと「CRYCHIC」

「あれは、解散じゃない……まだ、終わってない」

長崎そよにとっての「CRYCHIC」とはなんでしょうか?
答えは「春日影」にあります。
剥き出しの感情、心の叫びを詩にする燈。
「春日影」の詞は、そんな燈が「CRYCHIC」への想いを吐露したものとなっていましたが、

祥ちゃんは、燈ちゃんの叫びだって言ってたけど……たぶん、私の叫びでもあったの」

同時に、そよの叫びでもありました。

母親に望まれるまま月の森に進学し、激変した環境の中でなんとか取り繕いながら周囲と友達っぽい関係を築いていたそよもまた「みんなといるのに独りみたいな」燈と、似たような暗がりに佇んでいました。
燈と同じく救いを求め続けていたそよにとって「CRYCHIC」は眩しくて、美しくて、暖かい。
個性的なメンバーに囲まれ、祥子というカリスマが構築する人間関係の中で明確な役割を与えられたことで居心地がいい。言ってしまえば楽だったというのもあるのかもしれません。
望まれるままに加入したそよでしたが、次第に彼女の中で「CRYCHIC」は「決して手放したくないもの」へと変化していきました。

そんな彼女の想いも空しく「CRYCHIC」は唐突に終わりを告げます。
事実上の解散。しかしそよだけは「まだ終わってない」と呟く。
「傷つかないこと」にプライオリティを置く彼女にとって、大切な居場所がなくなってしまった事実は酷い苦痛をもたらすから。
その痛みから逃れるため、彼女は「CRYCHIC」の復活に固執していくこととなります。

長崎そよと「名前のないバンド」

「そっか……羽岡にいるんだ」

「CRYCHIC」の解散から約1年、月の森高等部へ進学してもなお、そよは「CRYCHIC」復活計画のため水面下で動いていました。
計画が抱える目下の問題点。それは連絡のつかない祥子と燈の存在でした。
そんな中、偶然知り合った千早愛音がもたらした燈と祥子の情報はまさしく棚から牡丹餅、瓢箪から駒。そよは愛音を橋頭保に計画を進めていくこととなります。
さて、後ほどそよの口から「使えるから優しくしたけど、CRYCHICにはいらないよね」と語られている通り、彼女はこの時点で既に愛音のことを駒としか見ていません。
そよにとっては「CRYCHIC」こそが自身の痛みから逃れるための「唯一の手段」であるからです。
「みんな傷ついてる」だから「CRYCHIC」の復活は「みんなのため」
自身の「生き方」すなわち「傷つかないこと」にプライオリティを置く徹頭徹尾「自己中心的」な考えに向き合うことを避けていたそよは都合のいいように拡大解釈していきます。

「貴方、ご自分のことばかりですのね」

そんなそよに、祥子の言葉が突き刺さります。
「みんなのため」とのたまっているがそれは「おためごかし」だと。
この時初めて、そよは自身の「生き方」と向き合うこととなります。
目を背けていた本質。無意識のうちに身に着けていた処世術。
気づかされてしまった己の醜悪さに圧し潰されそうになりながら、グルグルと思考と感情の迷路へと迷い込んでいきます。

「そよは、わからなくなってる」


長崎そよと「My GO!!!!!」

「だったら、私が終わらせてあげる」

迷子になったそよのもとに訪れる愛音。
「話聞いてくれるまでついてくから」と、結局自宅までついてきてしまった愛音を招き入れ、紅茶まで出してしまうのがそよらしいですね。
一息ついたところで、そよが口を開きます。

「よく私と話せるね。全部聞いたんでしょ?」
「聞いたよ。むかついたけど、そよさんも人間なんだなぁって思って」
「は?」
「裏表凄いし、嘘つきまくりだし…意地悪いとことかあるでしょ?」
「喧嘩売ってるの?」
「迷子なんだって?」
「はぁ?」
「燈ちゃんが言ってたよ」
「なにそれ?」
「燈ちゃんは待ってる」
「……」
「あんたが私を要らないって言おうが、私はやるけど」
「見栄で始めたくせにっ」
「そうだよ……私たちが始めたバンドじゃん」
「だったら、私が終わらせてあげる」

愛音が見栄でバンドを始めたことをそよは見透かしていました。
立希が燈に拘っていることもお見通しだったことからもわかりますが彼女は人をよく観ています。
「見栄で始めたくせに」と意地悪く痛いところをついたはずのそよでしたが、心に絆創膏を貼ってもらった愛音は動じません。
否定せず、ただ「私たちが始めたバンドだ」と事実のみを突きつけます。
そんな愛音に告げる「私が終わらせてあげる」には、反撃の意の他に、もしかすると祥子への意趣返しの意も込められていたのかもしれません。
見栄でバンドを始めた愛音と打算でバンドを始めたそよの問答。
個人的に「It's MyGO!!!!!」で一番好きなシーンです。

「ここではじめよう もう一度」

「終わらせるため」
そよはライブ会場へ赴きます。
まだ名もなきバンドに終止符を打つために。
それなのに。
「勘違いしないで!終わらせに来たの!!」
「誓いを」裏切ったはずなのに。踏みにじったはずなのに。
振り払おうとする手を、それでも必死につかんでくる少女がそこにはいました。
有無を言わせずステージへ引き連れていく燈。
壇上から差し出された愛音の手を、そよはいよいよ振り払えません。
一度きりの「詩超絆」が、高松燈の心の叫びが、長崎そよへと向けられます。

「離さないでくれて、ありがとう」

長崎そよにとって「My GO!!!!!」とはなんでしょう?

とどのつまり、彼女は「本心を押し殺して取り繕った自分ではないナニカ」ではなく「長崎そよ」を必要としてくれる人間に、居場所に飢えていたんだと思います。
「傷つかないように」
これまで周囲が求めるままに振舞ってきた彼女にとって、「My GO!!!!!」は初めて「自己中心的」な、醜悪ともいえる本性を晒してもなお必要としてくれる存在だと言えます。

同時に燈の詞と「My GO!!!!!」と向き合うということは、そよ自身と向き合うことと同義です。
自分の「生き方」と向き合うのはしんどいものです。死にそうになるし、答えなんて出そうにもありません。
いまだ迷子のままの彼女ですが、それでも「傷つかないように生きてきた自分と向き合う」という選択ができたという点において、一歩前進できたのではないかと思います。

「迷子でもいい、迷子でも進め」




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