同志社大学神学部、そして慶應大学①)〜佐藤優の著作に出会う〜

 2017年3月、僕は同志社大学神学部へ進学した。元来、勉強が苦手だった自分にとって同志社の門を叩くこと自体が快挙であった。なぜ同志社大学神学部へ進学したのか。この決断をするに至った原因とも言うべき一冊の本がある。『同志社大学神学部(佐藤優)』という本だ。この本は高校の図書室で見つけたものだ。

 当時の図書室の先生、僕の高校時代の恩師はかなりの読書家で佐藤優氏の本が図書室にはずいぶんあったし、先生自身、おそらく佐藤氏の著作のほとんどを読んでいたのではないだろうか。そもそもかなりの読書家であったから、佐藤氏の著作に限らずかなりの本を先生から授かった(300冊くらいだろうか)。

 そんなわけで読書好きであった自分も先生に惹かれていき、また先生もよく私のことを気にかけてくれた。そして『同志社大学神学部』の読後感を超える読書体験はまだ経験していないと断見できるほど、それは僕の心に深く根ざしている。

 高校生の自分は読書好きと言っても小説などのストーリー性があるものというよりかは、政治や思想などについて扱った本ばかりを読んでいた。それもあってか新聞は朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、毎日新聞、北海道新聞、沖縄タイムス、琉球新報、赤旗、聖教新聞に目を通すばかりか、ネットではCNN、BBC、スプートニク(ロシア)、NYタイムズ、ネナラ(北朝鮮)などの情報を毎日チェックするほどであった。日々知識が蓄積されていく感覚がなんとも心地よかったのだ。知れば知るほど世の中の動きがわかるような気がした。

 そんな中、佐藤氏の著作に出会った。確か高校2年生の9月ごろだったような気がする。高校の図書室は3階の西側にあり、夕方になるといい具合に夕陽が差し込んでくる場所だった。午後の授業を終えた後のあの微かな疲労感を背負いながら、ほのかに感じる暖かな夕日は実に心地よかった。こういった何度も経験した状況で佐藤氏の著作に出会った。すぐに本を借りて、次の朝方には読み切ってしまった。「志望大学は同志社大学神学部」にしようと強く心に決めたのだった。

 しかし、ここから苦手な勉強に立ち向かわなくてはならなかった。


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