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「ライジング・サン」零 〜丁未動乱〜

 プロローグ 「ボーイズ・ミーツ・ガールズ」

 敏達十三年(西暦五八五年) 初夏、早朝

 二人の少年がいる。
 竹剣を激しく闘わせている。
 ここは大和国海石榴市(つばいち)、初瀬川の河川敷。遠く北には大王の訳語田幸玉宮を臨み、すぐ東には額田部皇后(後の推古天皇)の海石榴市宮、そしてその向こうに三輪山が見おろす要衝の地。
 夜明け前から始まった少年たちの戦いは、夜のうちに草木が湛えていた朝露がすっかり地面に吸い取られてもなお、飽くことなく続いていた。

 二人の少年……。

 一人は、切長の瞳に薄い唇をきりっと結ぶ、身なりの良い少年。
 名を厩戸といった。ヤマトの皇子である。
 もう一人は、高い鼻に、太い眉、丸太のような腕を振り回している少年。
 名を河勝、秦氏の若き当主、秦河勝といった。

 二人は同じ年でいつも一緒に遊ぶ。今年、十一歳。
 二人とも同年代の子供に比べて頭抜けて体躯が良い。

 そろそろ勝負がつきそうである。

 厩戸が隙をみて上段から渾身の一撃を見舞う。しかし、河勝はその斬撃をひらりとかわすと、返す刀で胴を薙ぎ払う。かわされた厩戸は、体勢を捻り、河勝の小手を打ち据える。
「痛ってぇ!」
 互いにそう叫ぶと、どぅっと、もんどりうって同時に倒れ込む。
「はぁはぁ……、う、厩戸、また俺の勝ちな」
 息も絶え絶えに仰向けのまま拳を突き上げた河勝は、早暁の空に勝利を宣言をする。
「はっ、はぁっ……!? カツ、お前は馬鹿か。最後まで剣を持ってたもんの勝ちに決まってるだろうが。それと、またって何だよ」
 厩戸は河勝のことをカツと呼ぶ。確かに、小手を打たれて剣を落とした河勝に対し、厩戸のそれはしっかり握りしめられていた。
「いやいや、そんなこと聞いたことねぇわ。先に胴を打った俺の勝ち。そうだろう?」
 むくっと上体を起こした河勝がすかさず抗議する。河勝の胴が自分の小手よりも一瞬早く打ったのは、厩戸もそれは自覚していた。が、彼は負けず嫌いであった。「考えが割れたな。ならば剣で勝負するしかないだろう?」
「ちっ、まったく仕様のねぇやつだなぁ。付き合ってやるよ」
 厩戸の負けず嫌いは、ヤマトでは有名である。そして、河勝のお人好しも、である。
 二人の少年は立ち上がると剣を握りしめて再び相対する。

 二人の少女がいる。
 初瀬川の土手を河川敷を臨みながら並んで歩いている。
 ここは大和国海石榴市、京の台所を支える大きな市場がある賑やかな街。市は正午に始まり日没に終わる。今は朝、喧騒にはほど遠い静かな市。

 二人の少女……。

 一人は、浅黒い肌に少年のような風貌の少女。
 名を嶋といった。蘇我馬子のお抱え工人、百済出身の帰化人、司馬達等の娘である。
 もう一人は、美しい髪に百合をかんざしにしている愛らしい少女。
 名を実都といった。ヤマトの大連、物部守屋の末娘である。

 二人は、性格が対照的であった。今年、十一歳。
 男勝りの嶋に対して、おとなしい実都は花を愛でるのが好きであった。
 そんな二人であったが妙にウマがあった。
「また馬鹿二人がチャンバラで遊んでるよ。全く仕方がないね、実都」
 河川敷でばちばちやりあっている少年たちが視界に収まる。やれやれと嶋は腰に手を当てて実都にこぼす。
「もう! 嶋ちゃん、皇子さまにそんなこと言っちゃ駄目よ」
「へぇ? 実都が大好きな河勝はどうなのさ?」
 悪戯っぽく嶋は実都の顔を覗き込む。
「す、好きって、な、何いってんの! はしたないよ、嶋ちゃん!」
 図星を突かれた実都は、顔を真っ赤にして俯いた。だが、そんな彼女にお構いなく嶋は、ずんずん土手を降りていく。そんな彼女におくれまいと、実都はとことことついてゆく。
 土手の中腹に差し掛かったあたりで嶋は、その少年たちに声を張る。
「おおぃ、馬鹿垂れども! 飯を持ってきたよ!」

 ここは、海柘榴市、ヤマトの中心。
 動乱とは程遠い、平穏な朝……。

 これは、飛鳥時代の直前、すなわち仏教伝来揺籃期に、激動の渦に翻弄されながらも、もがき、迷い、想いを貫いた四人の少年少女たちの物語である。

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