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夕映の街

 金曜日。夕暮れ時に出かけてふと見上げた空には、薄い雲が筆でサッとなぞったように拡がっていた。西の空から夕陽がさして、雲がピンクとグレーのまだらに染まって、まるで子供が書いた夏休みの宿題のポスターのようだと思った。ざらりとした画用紙いっぱいに拡げた、水で溶いた水彩の絵の具の色をしていた。

 夕焼け空の下、道路沿いで信号待ちをしている自転車に乗る女性は、長袖を着て足元はショートブーツの拵えで、秋の装いをしていた。ただ9月とはいえ日中は30度を超える暑さで、他の道ゆく人々は大概が半袖を着ていた。ノースリーブの薄手のTシャツ一枚を羽織ったお年寄りがいる。対面には習い事に向かうらしき親子連れが揃いのような半袖のワンピースで並んで立っており、学校帰りの男子高校生達は白いカッターシャツに制ズボンを履いて談笑していた。

 衣替えにはまだもう少し先だ。高校の前を通りがかると女子高生が並んでバスを待っていた。白いセーラーの上衣に黒っぽいプリーツスカート。 自分も中学生の頃はセーラー服を着ていたが、紺色の厚手の生地で作られた、如何にも田舎の野暮ったい感じのものだったので、軽みのある涼しげな白いセーラー服が随分洗練されたものに思えた。

 道行く人の服装もまちまち、昼間はエアコンをつけないとやりきれない日々がまだ続いている。夏と秋のあわいというには暑すぎる。だが9月の頭に較べると確実に凌ぎやすくはなっており、こうやって少しずつ季節は移ろっていくものなのだろう。世の中は前倒しに動いているので、ドラッグストアではコスメやボディケアの商品にもう金木犀の香りのものが登場していた。気温も心も何もかもちぐはぐなまま、9月が終わっていく。

 noteを書くことを暫くお休みしていた。実際には下書きに何日分かは残っているのだが、書くことに辛さを感じてしまったのが原因だった。書きたくて始めたことを、見返すのも嫌なくらいこなすだけで一杯一杯になってしまい、一度リセットしようと思った。やめようと考えたのではなく、またやりたくなったら書けばいいと、半ば自分に言い聞かせるようにして日記のことを頭の隅に追いやっていた。

 でもこの日の夕暮れに、車の後部座席に座っていた子供がふと夕焼けの美しさに気づいて私に教えてくれた。視覚から入る情報としては捉えていたのに、少し苛々してその夕焼けは美しいのだということ自体に気づいていなかった自分に愕然として、それから改めて夕焼けが美しいなと思ったのだ。短くてもいいからその事だけでもnoteに残しておきたくてまた書き始めた。

 残しておくほど日々に起伏もないのだが、それでも書くことで自分の中の気持ちに整理がつけられるならば少しずつ書こうと思う。日記を毎日書いていた夏に張り詰めていた糸は一度途切れてしまったが、不恰好でも繋ぎ合わせてもう一度紡いでいこう。これが今の私なのかもしれない。

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