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栗笑う秋

 路地の角を曲がるとふいに金木犀が薫る。八百屋の店先では梨や柿、林檎が目立つ位置で売られるようになる。暑さも落ち着いて朝晩は冷えるほどで、ようやく秋の風情が感じられるようになってきた。昨晩の食卓には柿のサラダや無花果のケーキを並べたが、今年はまだあれを食べていない。秋の味覚の代表格ともいえる、栗のことだ。

 スーパーでも八百屋でも栗自体は見かけている。鬼皮のついたままパックに入ったもの、渋皮まで剥いて簡便に栗ご飯が作れるようになっているもの。栗は大好物だが今ひとつ食指が動かない。栗はスーパーで買うものではなく拾うものだという思いが購買意欲を鈍らせるのだろう。

 実家のすぐ裏手は畑があり、その向こうは山になっており、一帯は実家の土地だった。山の斜面沿いで果樹を栽培しており、時期になると交配や剪定、収穫などの手伝いをしたこともある。それほど高い山ではなく、幼い頃は探険のつもりで山を駆け上り、あちらこちらと歩き回ったものだった。頂上付近には小さな小屋があり、お茶や弁当を飲み食いするくらいはできたのだが、家から近すぎる為あまり使われていなかったように思う。小屋の入り口にある木の柱には、虫の死骸が張り付いており、ほとんど木に同化していた。平べったく横に筋が沢山入ったその虫を、幼い私は三葉虫かなにかと勘違いして、親にこれは世紀の大発見だからどこかに発表したほうがいいなどと力説した。しかしまるでとりあってはもらえず、それほど価値がないものなのかとがっかりしながらもなんとなく気がかりで、小屋のそばを通るたびに本当に違うのだろうかと思いながら眺めていた。

 小屋のそばから麓まで、ゆるやかなカーブを描く長く細い坂があり、アスファルトで舗装してあった。トラックが上まで上がれるようにするためだったが、その道沿いには何本か栗の木が植っていた。秋になるとアスファルトの上にいがのついた栗がたくさん落ちてくる。それを拾い集めて家まで持って帰るのは子供の仕事だった。軍手を嵌めて火箸でどんどん拾って籠に入れていく。大きくて綺麗な栗を見つけて拾うと嬉しかった。駆け降りてもすぐの距離だが、親が運転するトラックの荷台に栗と共にきょうだいで乗せてもらい、自宅まで降るのも楽しかった。

 栗はとにかく殻を剥くのが面倒だ。量が多いとより大変なので、一番手軽でよく食卓に出された調理法は茹で栗だった。虫食いを避けながら栗を選別し洗い、祖母が圧力鍋で一気に茹で上げる。ざるにあげて食卓の上に出され、食べる時は分厚い包丁で、栗を半分に割る。黄味がかった栗の身の断面が現れる。そこにティースプーンを入れて、掬いながら食べるのだ。茹で栗はほくほくとしながらも口の中でさらっとほどけて、なんとも言えない甘味と旨味が口内に広がる。渋皮のぎりぎりまでこそげとって、また次の栗に手を伸ばす。子供に大きな包丁は危ないし、ころころ転がる硬い皮の栗に包丁を入れるのはコツがいる。だから祖母や母が食べる分だけ半分に割ってくれるので、食卓には栗と共に包丁とまな板が用意されていた。

料理担当の祖母や母は渋皮煮も保存用に作っていたが、栗ご飯も秋のうちに何度か作ってくれた。そんな時は大抵食卓で祖母か母が座りながら黙々と栗の皮剥きをしていた。運動会やイベントごとの時にたくさん栗ご飯を炊いて、おにぎりにしてくれることが多かったので、さぞ皮剥きが大変だったろう。自分で料理をするようになって、栗の皮剥きをしてみると、毎年何度も栗ご飯を炊いてくれた家族はあれだけ大変なことをしてくれていたのかと、感謝しかない。栗ご飯にする時は生栗のまま剥くから、尚更手が痛くなったことだろう。今あまり栗を買わないのは、皮剥きが大変だからという事実も否定できない。

 栗を見るたびにいつも思い出す光景がある。食卓で、祖父と祖母が向かい合っていた。間には栗と包丁。珍しく諍いごとをしていたようで、祖父が大きな声で祖母に何事か畳み掛けていた。近所でも怖い爺さんとして有名だった祖父は私たちには優しかったが、家の中では絶対の権力者で、決して逆らうことはできなかった。あまりの剣幕に私は隣の部屋から祖母のことを心配しながらそっと覗き見ていたが、祖母は何事も言わず目を閉じていた。そのうち祖父は手近にあった包丁を手に取ってまな板の上でダンダンと叩き始めた。私は怖くなってどうしよう……と固まっていたが、祖母は全く動じていないように見えた。そのうち祖父は根負けしたようにプイと自室の方に戻ってしまい、残された祖母はおもむろに包丁を手に取り、また栗の皮を剥き出した。

 その光景がずっと忘れられなかった。よくある夫婦喧嘩だったのかもしれないが、祖父と祖母のそういった場面を見たのはそれが最初で最後だった。昔気質の家で、祖母はずっと祖父を立てていたし、そういうものだと思っていたが、祖母の芯の強さ、我の強さみたいなものを垣間見たようで、ものごとは自分の見ていた面だけでは測れないものだなと、幼いながらに感じていた。歳月を経て、私も結婚して年を取り、夫と喧嘩をすることやしんどいことも沢山あった。そんな時にふとあの日の祖父と祖母のことを思い出す。私たちきょうだいに暖かい居場所をずっと作り続けてくれた家族も、見せないだけで色々あったのだろう。今のこの私のやりきれない思いも、きっと親も祖父母も感じていたことがあったのだろうと。手をかけることが愛情の全てではないが、私は確かにそこから何かを受け取っていた。年毎に栗を見るたびにそう思うのだ。

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