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垣を結んで

 土曜日。9月に入ると子供達は行事が目白押しになる。この日は学校公開日になっており同時に合唱コンクールも行われるので、同じクラスに子供が在籍している友人と誘い合わせて学校まで出向いた。

 友人は子供が幼稚園の頃からの知り合いだ。所謂ママ友になるのだが、距離感が程よく、建前なしで何事も話せる数少ない友人だ。色々と相談したり食事に行ったり、子供たちを抜きにしても親しくさせてもらっているので、あまりママ友という括りにしたくない。

 結婚を機に地元を遠く離れた。夫以外知人のない土地で、すぐ妊娠してしまった為、孤独な日々が続いた。夫は仕事柄勤務時間がまちまちで、不在の夜は気を紛らわす為に夜に出歩いたりもした。出産後、初めての育児に不安ばかりが募って、夫に泣きながら話し相手がいないと訴えたが、子供がいるじゃんと軽くあしらわれて辛かった。子供は確かにいる、愛玩するためのペットや人形ではなくちゃんと一人の人格だということもわかっている。だが、私はちゃんと会話ができる人間と話がしたかった。子供の悩みを話し合ったり、日々の楽しみを一緒に分かち合うことのできる人間と。子供1人だけとの生活は一方通行で、成長していく様が嬉しくかけがえのない大切な存在ではあったが、ここに地元の友人や母がいればどんなにか心の支えになるだろうとずっと思っていた。

 激務の夫とは心がすれ違ってしまって辛かった。今思えば夫は夫なりにしんどい日々だったのだろう。気ままな一人暮らしに私という異分子が紛れ込んで、それがいつのまにか2人に増えた。それはそのまま大黒柱である自分にかかる負担で、酷く夜泣きをする子に眠れない日々が続いても仕事には行かないといけないのだ。乳児の世話で一杯一杯だった私とお互いにぶつかる一方で、治らない夜泣きにノイローゼのようになってしまった私は一時実家に身を寄せた。

 一月ほど実家で過ごすうちに、子供も成長した。実家から戻る頃には外に連れ出しやすくなっており、健診や散歩以外にも子育て支援センターでの短期教室などに参加するようになった。そこで知り合った数人の友人は、家もかなり近いことがわかり、毎日公園で落ち合って遊ばせる仲になった。子供が幼稚園くらいまでほぼ毎日顔を合わせ、何かあればお互いに誘い合わせて協力しあった。私の初めてのママ友達はそれからずっと今も自分の中の大切な位置にいる。かなりコミュ力の高い友人達で、人見知りの私とは学生時代では合わなかったかもしれない。だが地元の学生時代からの親友とはまた違って、子育てのしんどい時を励まし合って乗り越えたいわば戦友だ。夫の転勤で何度も引っ越しを繰り返して、今ではなかなか会えることも少なくなったが、いつでも会いたいし、ずっと幸福であってほしいと願っている。

 今住んでいる土地では家を購入した。子供達が大きくなって転校ばかり繰り返すのも難しく、転勤も一先ず落ち着いて、通勤圏内のこの地ならと決めたことだった。しかし家を買う前に引っ越した当初は、この地に腰を据える気は全くなかった。転入した子供のクラスの保護者の中にあまり仲良くなれそうな人もおらず、人見知りを発揮した私は無理に仲良くするのをやめた。当時家庭内でも問題を抱えており、体調も思わしくなく、いつ何がどうなっても仕方ないと腰掛けの気持ちで、保護者同士で仲良くなる必要はないと割り切って生活していた。井戸端会議も苦手なので下の子の幼稚園の送り迎えもさっさと帰っていたし、本当に付き合いが悪かった。

 そんなある日、子供と家路を急いでいると、前方に同じ幼稚園の制服を来た親子連れを見つけた。うちの方面にはクラスの子がいないと思っていたので嬉しく、早足で抜く際に軽く挨拶をしてみた。向こうもびっくりしながら笑顔で返してくれて、その日から送りと帰り、出会った時は一緒に通い出した。子供達は手を繋いで登園するようになり、親同士はLINEを交換した。その子も半年前に転入しており、気のおけない会話ができるようになるまでそれほどかからなかった。

 今ではそれなりにこの地に慣れて幾人も友人ができ、自分が世界にたった一人孤独であるなんて思い詰めることもなくなった。家を購入してもいいと思えた決め手は友人の存在も大きかったかもしれない。夫も子供達も私も、慣れない場所に自分の立ち位置を作り出すのに苦労しながら、それでもなんとかやってこれた。今もまだ、それぞれにもがき続けているが、どうかこの子達が指をかける岩場が少しでも頑丈であってほしいと、友人と並んで子供の合唱を聴きながら祈るように思っていた。

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