#森は考える   人間に寿命があるように、地球にもほかの生物にも寿命がある。そのことを森は考えている。 

この森には樹齢が数百年を超える樹々が多い。寿命が尽きたはずの樹々も、根をしっかりはって大地を掴む。彼らは根と根を絡ませてネットワークをはり、水や養分を融通し立ち続ける。しかし永遠に生きるわけにはいかない。森にも寿命はある。大地は動く。森も動く。
 
樹々の中には樹洞を抱えているものも多く、そこを住みかとする生き物がいる。この森は生命にあふれている。フクロウもそこを根城にする。フクロウは森の主と言われているが、彼らは森の主は森であることを知っている。 いつも森の音に聞き耳をたてている。
 
雪が積もり、森が静かになっても川は流れる。森の奥のそのまた奥の山から雪の下を流れる。ふくろうが川に何度も飛び込む。しかし、日が暮れかかっても獲物はとれぬ。暗くなってやっと一匹のヤマメを咥える。森は冬の厳しさを眺めている。
 
森は海とつながっている。森がためた水は溢れて川となり海にそそぎ豊かな海を造る。海から魚たちが産卵のため川をのぼってくる。この繰り返しが何千年も続いていることを森は知っている。森はこの繰り返しがいつまで続くか知らないが、終えるべき時があることを知っている。
 
原始、ヒトは森を恐れ、崇めていた。ヒトは海辺の近くに潜(ひそ)み、海と森のイノチを分けてもらっていた。いつかヒトが数を増し、すみかと食べ物を求め、川を上り始め、森に近づいている。魚はただ川と海の行き来を繰り返すだけだが、ヒトは増え続け広がり、森を恐れることを忘れた。
 
年老いたふくろうがウバメガシの高い枝にいることにリスたちは気づいていた。リスたちはそのフクロウを畏れていたが、むやみに逃げたり隠れたりはしなかった。餌食とならないことがわかっていた。今はまだ狩りをする時ではない。ふくろうの考えを読み取ろうとしていた。
 
ふくろうは長い時間その場にいて全身の神経を集中させていた。森がかすかな音を立てている。森は動こうとしている。そうだろうか?土中のミミズもモグラも気づいていない。森に動く気配があれば彼らは逃げていくはずだ。風が吹いて樹々が音を立てて揺れても、森の音がふくろうに届く。
 
フクロウが目を閉じた。森の音が消えたのだ。まだ何もおきない。リスたちもいつもの生活に戻った。だが、フクロウは目を閉じて森の動きの映像をとらえていた。森は奥から川下に向かってなだれていく。この森を去るべき時が近い。フクロウは考えていた。
 
フクロウの雛はしばらく飛べない。樹から何度も落ち、そして静かに樹に戻る。これを繰り返しているうちにイノチを落とすものが多い。全てのイノチがこのようである。それを忘れたものがいる。ヒトだ。ヒトは増え続けている。畏れを忘れている。森の音を聞くことやめた。
 
フクロウは考える。移り住むべき森があるだろうか?ほかの森にはその森のイノチがいる。はたして迎え入れてくれるだろうか?この森のイノチの多くが死ぬことになる。生き残った者も移った先で過酷な生活を送ることになる。それはいつだ?私の生きているうちではないのか?
 
ヒトを森で見かけるようになった。また、森がかすかな音を立て始めた。フクロウはじっと聞いている。ほかのイノチも気づいた。イノチと森が一斉に動いた。森が終わる。 フクロウは逃げない。逃げる必要がない、もう充分生きた。崩れた森の土の下で考える。森はなぜ動く?  (ここまで)

まだ、知恵を持った人々が地球上に残っていた。ウィトト族である。4人の子供たちが40日間、彼らの知恵だけでアマゾンの森で生存していた。

エドゥアルド・コーン という人類学者が書いた 『森は考える 人間的なるものを超えた人類学』 という本があることを、上の文をツィッターに10日ほどかけて書いている最中に知った。 容易に読める本ではないが、多くの方に読むことを推奨する。



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