これぞカルトリサイタル!!統一教会の謎会見を見て感じたこと。

2022年8月10日、旧統一教会(統一家庭連合)の田中富広会長が記者会見を行いました。私も全部見ましたが、怒りを通り越して『いやこれぞまさにカルトリサイタル!』な感じで、田中会長には逆にあっぱれを10個くらいあげたい気持ちになりました。

何となくですが、自分が小学生時代に見ていたオウム真理教の会見(当時は毎日のように幹部連中が出ていた記憶)と似ている要素もあって、ちょっと感想をまとめてみたいと思います。

(1)人の話を聞かない一方向コミュニケーション感

田中会長は、司会の度重なる静止を振り切って、持ち時間を大幅にオーバーして自分の演説を続けました。これは質疑応答の時間を与えないためでないかとの憶測もありますが、この点に『ルールを守らない、人の話を聞かない教団の姿勢が象徴されていると思います。

普通の人であればもうこの時点でアウト、まともに聞くモチベーションをなくすと思うのですが、田中会長はひたすら話を続けます。この姿勢が、かつてオウムの上祐氏などの幹部が、雄弁にひたすら教団の正当性を主張していた時の状況と非常によく似ていると思いました。

ただオウム事件から30年、時代はSNS全盛期でメディアでも双方向コミュニケーションが求められているのに、未だにこんな一方通行のやり方でメディアジャックしようなんて、本当にカルトの本質は時代を経ても変わらないことを痛感しました。

(2)自省なし、反省なし、あるのは被害者意識だけ

田中会長は、「教団が不当に攻撃を受けている」旨の主張を繰り返していました。もちろん罪のない信者への個人攻撃はよくないですが、少なくとも統一家庭連合が社会から批判されるにはそれなりの合理的理由があるはずです。詳しくは言う必要もありませんが、裁判で様々な活動の違法性が指摘されていますし、実際に被害者が多数います。

普通、宗教法人に関わらず、営利企業でさえ大きな批判に晒された際には「なぜ批判があるのか、それを解消するにはどうしたらいいか」を検証し、反省するはずです。しかし家庭連合には自省や反省の姿勢は全く見当たらず、あるのは不当に迫害されているといった被害者意識だけ。これもまた、かつてオウムが松本サリン事件の関与が疑われた際に、不当な濡れ衣だとして大騒ぎしていた事にソックリです。

個人的には、人の道や生き方を説く宗教団体が、自省/反省できないってとてつもない矛盾だと思います。「自分の言動や行動をよく省みるようにしましょう」って、下手したら小学校の道徳で教えられるレベルのことで、それができないのはそもそも統一家庭連合の教えが宗教としてすごくレベルが低いんじゃないでしょうか。

(3)困った時の伝家の宝刀『信教の自由』

さらに田中会長が語気を強めて語っていたのが、『我々の信教の自由が侵されている』という内容です。これは言うまでもなく、オウム事件でもしょっちゅう幹部達が口にしていた言わば『伝家の宝刀』です。水戸黄門の印籠みたいなもんで、これを出されると口ごもる人がいるのも事実です。

だけど、統一は(場合によってはオウムも)基本的には宗教の皮をかぶった政治団体であり反社会的団体と捉えるべきだと個人的には思います。この点は、今回の会見で海外のジャーナリストも指摘していました。彼らは、自分達の〝シノギ”が邪魔されそうになると、『宗教』の甲羅の中に引っ込んで攻撃をやり過ごそうとしているのだと思います。いわば単に『宗教』を道具としてしか扱っていないわけで、非常に卑劣なやり口だとさえ感じます

別に多くの人は、統一家庭連合の教えを問題視してそれを弾圧しようとしているわけでなく、統一が行ってきた数々の違法行為とそれを自省しようとしない団体の体質を批判しているのです。
★反日的な教義を持つ統一と日本の政治家が結託している点は別の問題だと思います。


でもやっぱり1番の問題は、ここまで散々書いてきた内容が統一には何の意味もないということだと思います。
今回のカルトリサイタルを見ても分かるように、彼らは一方向コミュニケーションの世界に生きているので、対話や相互理解、それに基づく妥結というのが生まれようがないのです。

だからこそ、こんな連中と軽々しく政治家が関係を持つべきではないのだと強く思います。




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