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過剰警備問題に揺れた1987年、スラッシュ·メタルのイベントでXと遭遇した話。HOKURIKU TEENAGE BLUE 1980 Vol.28 X『オルガスム』

X『オルガスム』 作詞:YOSHIKI 作曲:YOSHIKI 編曲:X 発売:1986年4月10日

バンドの絶頂時に起きた大惨事。

1987年4月19日は、80年代の、いや日本のポピュラー音楽史でも一、二を争う「暗い日」ではなかろうか。

この日、日比谷野外音楽堂で行われていたLAUGHIN’ NOSEのライブ中に、観客が将棋倒しとなる事故が発生。死者3名、20人以上が重軽傷を負うという大惨事となった。

バンドは責任を取る形で謹慎。前年にメジャー·デビューを果たし、人気が最高潮に達しようという中でのアクシデントだった。その後、バンドは復活するも、事故前の勢いが戻ることはなく、91年に解散してしまう(その後、再結成して現在も活動中)。

僕はこの事故を、愛知在住の大学2年生として知った。ちょうどライブやコンサートの警備のバイトをしていた時だったので、他人事ではなかった。

実際、この事故以後、全国各地のコンサートやライブ会場での警備はより厳重に行われるようになった。しかし、今度はこのことがロック・ライブの自由な雰囲気を壊し、楽しみを削ぐ結果となっているのでは?という批判が相次ぐようになる。

「過剰警備」の問題は、当時、僕が愛読していた『宝島』等でもかなり取り上げられていた記憶がある。

そんな当時の雰囲気をよく伝える映像が残っている。ザ·ブルーハーツが1987年7月4日に野音で行ったライブの映像だ。ラフィンの事故からわずか2か月半後に同じ場所で行われたこのライブは、甲本ヒロトが会場警備について言及することから始まっている。

「まいったね、今日は。動物園のような檻のなかにみんな入って。(中略)いろいろ考えさせてもらいました。警備のこと。いろんなこと。(中略)警備のやり方にしても、俺らが考えてもやらせてくれんのじゃあ。そんなやり方ではな。おれらみんなの前で歌を歌ったりしたいから、いまはしょうがないからいうんで、「わかった、大人のひとたち、やりたいようにやってみて」っていうたら、こんな檻ができあがってびっくりした」

映像からは、ヒロトのいう「檻」がどんなものかははっきりとわからない。けれど、赤いTシャツを着た警備スタッフが通路に1,2m間隔くらいでずらりと尋常でない人数が並んでいるのは見て取れる。

ただ楽しくライブを観たい観客や、自由な雰囲気を作り出したい演者から見れば仕方のないことではあるけれど、ここでは警備スタッフは自分たちの安全を担保してくれる存在ではなく、強い言葉を使えば自分たちのやりたいことを邪魔する「敵」のように扱われている。

とはいえ、同じような事故を二度と繰り返すわけにはいかない。87年からの数年間は、落としどころを求めて、様々な試行錯誤が続いた印象だ。

キング·オブ·スラッシュメタル、Xのライブ警備へ行った日。

さて、そんな会場警備をめぐる緊張感がただよう87年の夏だったか秋だったか、もはや記憶は曖昧だが印象的な現場があった。

それは当時、ブームが起こっていたスラッシュ·メタルのイベントだった。とはいえ、僕自身は当時スラッシュ·メタルなるものをまったく聴いたことがなかった。「ヘビメタの速いヤツ?」くらいの認識である。

指定された会場に行くと、まずはその小ささに驚いた。これまで自分が入った現場といえば、割と大きな1000人規模のいわば大ホールが多く、スタンディング形式のライブハウスには入ったことがなかった。通常、そういった会場で行われるライブに警備員が配置されることはあまりないという認識だった。

「この規模の会場(たぶんスタンディングで500名程度、少し大きめのライブハウス)に警備スタッフなんて要る?」というのが率直な感想だった。

思えばこれも、あの事故の余波だったのだろう。

あとは、スラッシュ·メタルのイベントという特殊性もあったと思う。警備のバイトを集めてのミーティングでは、殊更に「いかにスラッシュ·メタルのライブが過激なものか」ということが強調された。

つまりはステージングも過激なら、客のノリも過激。「なにが起こるかわからないが、とにかく事故が起こることだけは避けたい」ということらしい。

とくにこの日のイベントは、東京で人気を博しているスラッシュ·メタルのバンドがこぞって参加するのだという。なかでも「『X』というバンドのライブが別格的にヤバいから注意してほしい」ということだった。

こういったバイトにはバンドマンも多い。ミーティングのあとで、彼らからもXのライブの凄まじさを聞かされた。そして、メンバー全員かなりの武闘派であること、なかでもリーダーのYOSHIKIは輪をかけて強面なので「機材の取り扱いは慎重にやんないと、ぶん殴られるぞ!」と脅された。

「お前ら何やってんだ!」

そして、開場直前、実際に持ち場をみた時も面食らった。

持ち場はステージの真ん前。そこにタイガーロープを横一列になり数人で持ち、それ以上前に客が行かないようにしてほしいのだという。

今は小さなライブハウスでもステージの前には鉄柵があり、ステージと最前の客の間に一定のスペースを設けているのが普通だ。

この日の会場にはそれがないので、警備スタッフが柵代わりになるということらしい。

いやいやいやいやいや、無理でしょ、それは!と思ったが、そんなことを一バイトが言えるはずもない。

開場し、客が入り始めると、お客さんの方も、この状況にとまどっているのが感じられた。ライブハウスのステージの真ん前に警備スタッフがずらりと並ぶ風景は異様だったはずだ。

いよいよイベントが始まり、最初のバンドが轟音を鳴らし始める。観客は当然、ステージ前へと殺到する。それを押し返そうとする、僕ら警備スタッフ。

すぐにもみ合いのような状態になった。当たり前である。

その様子を当然ながら、ステージ上のバンドもみている。数曲終わったところで、フロントマンらしきギター&ボーカルの青年が、「お前ら何やってんだ。ライブの邪魔だろうが」的なことを、僕たちスタッフに向けて言い始めた。

至極当然の反応だとは思う。イベントの安全のために配置されているはずの僕らが、完全にイベントの妨げになってしまっているのだから。

「これがいわゆる『過剰警備』問題というものか」と、押し寄せる観客ともみ合いながら、そう思うしかなかった。イベントはまだ序盤。こんな状態をあと何時間続けるのだろう。「さすがに無理じゃないの、これ」

そう思ったのは、「上」の人も同じらしく、結局、2つか3つ目のバンドが終わったくらいのタイミングで、エスカルゴ(イベント警備会社)の社員さんから「お前らもういいから。いったん引き上げるぞ」と声がかかった。

と言っても、そこで解散になったわけでなく、一室で全員わけもわからず待機することとなった。裏では大人たちが揉めているのだろう、そんな気配が伝わっていた。たぶん、警備の引き上げを決めたのは主催者ではなく、警備側の判断だったようだ。

しばらくして、さきほど僕らをステージの上から批判したバンドのボーカルがやってきた。どうやら主催者に促されたものらしい。つまり「謝りに行ってくれ」と頼まれたのだろう。

ボーカル氏は、僕らの前に立つと、「さっきは失礼なことを言って申し訳ありませんでした」と詫びた。こちら側の社員さんは渋い表情のまま、椅子に足を組んで座り、彼を憮然とした表情で見上げている。

彼は続けて「でも、お客さんのノリを考えた警備の仕方というのもあると思うんです」と、直立不動のまま言った。「そりゃそうだ…」と内心では思った。少なくともオールスタンディングの中規模ライブハウスでやる警備の仕方ではない。

主催側としては、彼に謝らせて僕らに警備に戻ってもらう算段だったのだろうと思う。けれど、こちらの責任者であるエスカルゴ35の社員さんは、結局、僕らを現場には戻さなかった。

トリのXのライブ中に、社員さんから「ちょっと覗きに行こうか?」と誘われた。スラッシュ·メタル·シーンの雄であるというXのライブに興味津々だった僕は、当然ついていった。

ホールへと続く重い扉を開けると、瞬時に凄まじい轟音に包まれた。ステージの上では、まるで角のように髪の毛を逆立て、顔に奇抜なメイクを施したメンバー達がみえた。

観客のノリも強烈だった。最前に陣取っていた僕ら警備スタッフがいないので、前方の観客はステージにいわゆる「かぶりつき」の状態。その後ろで、多くの観客が飛び跳ねている。

「みろよ。俺らがいない方が、全然うまくいってるじゃん」

社員さんが振り返って、僕に言った。たしかにその通りで、観客の反応は激しくとも、制御不能に陥りそうな雰囲気は感じられない。この手のライブのノリに慣れている人間ばかりだったのだろう。「みんな楽しそうだなあ」と素直に思った。

そして、先ほど心ならずも謝りに来たと思われる彼に申し訳ない思いがこみ上げてきた。彼に落ち度は何もなく、当然の感想を言っただけだったのだから…。

というか、彼の指摘は完全に正しかったのだ。観客のノリを考慮しない警備は現場に混乱しかもたらさず、かえって危険が増してしまう。とはいえ観客(群衆)を100%信頼することはできない。どこでどういう線を引くのかが重要だ。しかし、それが事故の直後のこの時期では、誰にとっても適当なラインを見つけ出すことは難しかったのだろう。

今となればそう思う。

「それにしてもかっこよかったな~」と、控室に戻った僕は、先ほどちらりと観たXのライブを心の中で反芻した。意外だったのは、スラッシュのイメージに反して彼らの曲がメロディアスで「ポップ」と言ってよい内容だったことだ。

人懐っこさを感じるメロと強烈なビートの融合。その辺りが彼らの魅力であるように感じた。そして、チラ見でもすぐに伝わってきた各メンバーの絶大なカリスマ性。「これは人気が出るはずだ」と納得した。

結局、場内整理の仕事には最後まで戻ることはなかったが、トリのXのライブ終了後、機材の搬出作業などには参加した。

ステージにはつい先ほどまでの熱狂の残り香のようなものが漂っていた。

黙々と作業を続け、YOSHIKIのドラムセットをバラシていた時だ。痛恨のミスというか、彼のハイハットを派手にぶっ倒してしまった。なんでそんなことになったのか、まったくわからないが、気付いた時には「ガッシャ―ン!」という金属的な音が辺りに響き渡っていた。

よりによって強面で鳴るXの機材である。どこからかグーパンチが飛んでくるのではと身構えたが、そんなことはなかった。代わりに近くで作業をしていたバンドのローディーらしき青年の「やめてよ~。泣いちゃうよ~」という懇願するような声が聞こえてきた。「すいません!」と平身低頭しつつ、「YOSHIKIに見られてなくてよかった…」と安堵した僕であった。

機材を1階の会場外に運び出していると、そこにメンバー達の姿があった。携帯のない時代のことだ。彼らは外にいくつか設置されていた公衆電話に一列に並んでどこかに電話している最中であった。衣装もメイクもそのままである。通行人が行き交う中で、どこからどうみても異様な風体のメンバーが壁際の公衆電話にずらりと並んで通話している姿はシュールそのもので、僕は思わず吹き出しそうになった。

ラフィンはいまも活動を続ける。

あれから時は流れ、過去30年だけでいえば、ライブ中に観客が亡くなるような悲惨な事故は幸い起きていない(死亡に至らないまでも後遺症を負ってしまうような重大な事故や、落雷などの自然災害による事故、そして、スタッフの作業中の死亡事故は起きているけれど)。

それはしかし、一時期は過剰警備の問題などがあったにせよ、運営側、演者、観客それぞれが試行錯誤しつつも、コンサートの安全を担保しながら、その楽しみを極力削ぐことのない適切なバランスを有した落としどころを、現場において徐々に作り上げていったからではないだろうか。

もしそうでなければ、90年代後半から始まったフジロックやサマーソニックのような巨大ライブイベントの開始時期もすこし遅れていたか、違った形にならざるをえなかったかもしれない。

そして、ラフィン・ノーズもXも紆余曲折はありながら、いまだに現役で活動を続けている。

ラフィンのライブはフェス等で、その後も何度も観た。盛り上がるのはやはり80年代の楽曲だ。その様子は、ともすれば懐メロバンドのようにみえるかもしれない。当時少年だったであろういまや50オーバーの中年たちが、楽し気に体を揺らす様子はどこか同窓会チックでもある。

しかし、バンドのテンションにヌルさは微塵も感じられない。長い年月をロールし続けたバンドのグルーブも、還暦を過ぎたチャーミーのパフォーマンスも、なんというか時の流れに飲み込まれず耐えた者だけがまとうことのできる輝きに満ちている。

過去は変えられなくても、未来はいかようにも変えられる。月並みな感慨ではあるけれど、ラフィンのライブを観るたびに、いつもそんな風に思うのだ。



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