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小倉を歩いてみる

北九州市は「地球の歩き方」で、初めて、都市単独の発行になり、しかも400ページに及び僅か2ヶ月で7万部を超える大人気となりました。恐るべし北九州の知られざる観光都市!
 そこで中心駅小倉から城下町を小倉城まで歩いてみました。
小倉駅南口(小倉城口)、駅ビルからモノレールが出発進行!
夜見るとまるでスリーナインが宇宙の旅へ、、、

駅ビル3階から飛び出すモノレール、地球の歩き方の表紙となった


ペデストリアンデッキを銀天街側に降りて、いつでも行列ができるあの有名な「シロヤ」、郷ひろみも絶賛したという揚子江の「豚まん」を過ぎて吉野家の角を右へ、京町通を紫川方面に行くと、江戸時代に城に入る橋があったという、紫川10橋の一つ、愛称木の橋「常盤橋」に出ます。長崎街道の出発点でもあります。(九州五街道の起点)
 橋の袂には56歳から17年間測量を始め、日本地図を作成した伊能忠敬の碑があります。
1828年のシーボルト事件はあまりにも有名です。ふと見上げるとリバーウオーク内にあるゼンリン地図の博物館が見え、伊能地図の小図がここで見られます。

森鴎外の小倉三部作の一つ「独身」にもこの橋の広告塔が登場します。
江戸時代には城内に入る橋で長崎街道など九州の5街道の起点でした。

紫川10橋の一つ愛称「木の橋」


虎ノ門(重要な門には薮内匠頭の家紋がある)

ジョンジャーデイ氏が設計の複合施設リバーウオークを抜けて虎ノ門から天守閣へ向かいます。このリバーウオーク北九州の場所は家老たちの住む屋敷があり二の丸があったところです。
 小倉城へ行く前に「小倉城庭園」に寄ってみましょう。
ここは細川時代は長岡佐渡の住宅、小笠原時代には御下屋敷でした。小笠原流の弓術、馬術(流鏑馬)などの解説展示や小倉織体験、池泉回遊、立礼式抹茶、当時の武家屋敷が見学でき、夜は音楽に合わせてライトアップされます。

庭園から屋敷を見る

小倉城へ行く前にしろテラスで辻利のお茶でも飲んでちょい休憩。ここでは北九州市内のお土産も買えます。

ライトアップされた小倉城

小倉城は関ヶ原の合戦で功績を上げた細川忠興が豊前の国39万9千石を拝領し、1600年に黒田長政が居城していた中津城へ、小倉は弟興元に住まわせていましたが出奔。その為今まであった毛利が築いた平城を、5年かけて大きな城を建築。忠興は城が完成する前には入城していました。
 城の特徴は、野面積みと唐造りです。 門の数48、堀の長さ8kmに及びます。
忠興は父幽斎の影響を受け茶人としても三斎と名乗り有名で、利休七哲の一人に名を連ねています。朝鮮から尊階を招き、小堀遠州の七窯の一つである上野焼きを開窯しました。
 元和元年、一国一城の令で隠居場所として中津城へ移ることを願い出て、忠利に跡を継がせました。忠利は今からおよそ400年前にワインの製造をしていました。小倉は日本で初めてのワイン製造の地なのかも知れません。
 1632年に熊本に転封後、九州の睨み役として、明石から家康の曾孫である譜代大名小笠原忠真が入城、以後230年余り続きます。小笠原家は甲斐国出身。
歌舞伎での演目で知られる、小倉騒動や白黒騒動もあり、幕末には長州から攻められ、耐えきれずに自ら城を焼き逃れて行きます。
 明治になると第12師団ができ森鷗外が軍医部長として来倉します。
 ※小倉城庭園、小倉城、松本清張記念館の3館入場券がお得になっています。
 詳しくは⇨北九州市観光案内ボランティアガイドが説明してくれます。北九州総合案内所にガイド依頼をお申し込み下さい。
 尚、7月の小倉祇園と8月のわっしょい百万夏祭りの土、日は無料ガイドを行います。

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