ブレイキングバッド論


ウォルター・ホワイトの抱擁が持つ、対象に表象されるシニフィエを転換、逆転する舞台装置としての機能。
ブレイキング・バッドを観終わる。緻密に計算し尽くされた脚本。緊張感をもたらす音楽。メスを製造するときのドラマとは思えないお洒落なカット。どれを取っても見応えのあるドラマであった。
その中でも、特に印象に残ったショットがウォルターホワイトが身近な人間に対しての抱擁という行為である。この抱擁の映像が訪れる瞬間は、常にホワイトと対象者の関係性にずれ、もしくは逆転が生じる瞬間なのである。最もわかりやすいのは、妻に対しての抱擁である。妻が浮気をしている事実を知りつつも、着実にメスの帝国を築いてるウォルター。そして重要な案件を終えたウォルターは妻に抱擁していうのである。「全てを許そう」。何も言えない妻の表情からも分かる様に、ここに妻⇄夫という相互関係の崩壊が読み取れる。従来2人に託されていた何かがあったら助け合うと夫婦というシニフィエはもうない。恐怖で全てを支配するウォルター→スカイラーという一方向的な関係性へとこの瞬間に変容するのだ。
最も印象深い実の息子フリンとパートナーの元生徒ピンクマンとの各2回の抱擁であろう。
フランとの抱擁はピンクマンとの喧嘩の後に登場する。ボコボコになったウォルターはフリンが家に訪れたとき、どうしようもなくやるせなくなり号泣をする。そこでフリンは、父親のことをそっと抱きしめる。ここでは、息子と父親の関係性の逆転が見てとれる。また、ピンクマンが家にガソリンを撒いたとき、何も言えずにもどかしいウォルターの肩を抱いたのはフリンなのだ。ここでも、ウォルターは言葉を発することはしていない。状況を理解せずに、ただ全てを受け入れる姿勢は父親そのものであり、何も言わずに抱かれてるウォルターは息子そのものではないか?
一方でピンクマンはどうであろう。ここでも重要な抱擁は2回見られる。1回目は、大喧嘩の後である。そこでピンクマンは自分が状況を理解せずに殴ったことを恥じる。そこでウォルターは、何も言わずに抱き締める。先ほどのフリンとは真逆の舞台装置としての効果がみれられるであろう。2度目の抱擁は、ピンクマンに街から出ていくことをお願いするときである。その時に見せる抱擁は、巣立っていく息子に送るものを思わずににはいられない。実の息子でないのにも関わらず、息子同様の想いを持っているウォルターとピンクマンの関係性を逆説的に示唆しているのであろう。
抱擁による対象者に託されたシニフィエの変容を見て、フリンとピンクマンの歪な三角関係を読み取ることができよう。
だからこそ、ジェシーを殺害せざるを得ないことに対して自覚的になったホワイトが実の息子に向ける物憂げな眼差しを見過ごしてはならないのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?