虫と魚

虫を見てドキドキするのは気持ち悪いからか美しいからか

例えば蝶という生物。彼らは美しい?幾何学的な羽を持つ。蝶の羽には麻薬のような魅力があると思う。その羽の模様を見ていると、どこか違う世界に引き込まれてしまいそうな気持ちになって自然とどきどきしてしまう。蝶の羽を見て美しさを感じ取れるようになったのはごく最近だ。前までは「気持ち悪い」がほとんどを占めていた。

虫という小さな生き物は日常生活からどんどん排除されていって、今や非日常的な存在となった。昆虫の形(外見、フォルム)はとても不思議だ。つやつや光る装甲、細くて直線的で節のある足、不思議な模様がある。蝶や蚊の足はとても細い。近くでよく見てみるとちゃんと節があって、節を起点になめらかに棒状の足を動かしている。あのほっそい足のどこに筋肉と神経が通っているんだろう。バッタの足はとても太い。太くて曲線が綺麗だと思う。バッタは顔が苦手だからあまり直視できないんだけど、きっと綺麗な身体をしているに違いないと思う。ゴキブリの足は独特だ。げじげじしていて、赤茶色で、話しているだけでぞわぞわしてきた。でも彼の足だってきっときれいだ。ゴキブリをきれいなんて言う日がくると思わなかった。でも実際綺麗なんだから仕方がない。

彼らはみんな、エイリアンのような近未来のロボットのような、人間とは似ても似つかない姿かたちをしている。日常にそぐわない、生存競争に残るために適した無駄のない形をしている。だからずっと虫が怖かったのだろうか。今だってこわい。感情の見えない彼らの形は、人間である私にとってはとても異質なものに見える。でも彼らだって私と同じ生物なのだ。私だって彼らと同じ生物なのだ。小さくても異様な形をしていても静かに繁殖を続けて命を繋いでいく彼らが、ひどく愛おしくて気持ち悪い。でもとても美しいとも思う。

魚も、結構気持ち悪い見た目をしていると思う。虫よりも見慣れているから異物感は少ないが、それにしたって気持ち悪い。虫の気持ち悪さはあちこちが角張った硬そうなフォルムに理由があるのに対して、魚の気持ち悪さはあの丸いフォルムにあると思う。
美術解剖学の本を読んでいて得た知識 : 生物は丸い形から始まった。なぜなら丸はあらゆる形の中でも完璧な形だからだ。原子も地球も受精卵もみんな丸だ。だから我々も本当は丸に近い形がいいんだけど、進化の都合上・あらゆる環境に適応するためにやむなく形を変えてきた。魚の住む水の中は重力の縛りが軽いから丸の形を保ちやすい。だから水の中の生き物は丸いフォルムのものが多いんだって。たしかに魚は丸とか楕円みたいな形をしているのが多い。クラゲは分かりやすく丸い。

昆虫にはメカニカルで幾何学的な美しさがある。神様の製造物みたいだ。生物感がない。標本にしたくなるのも頷ける。それに対して魚は、生物感がものすごい。魚は滾るような生命力を内在していると思う。これは昆虫には無い。こんなに生物感を感じるのは、彼らのぎょろっとした目の印象が強すぎるせいだろうか。それとも、身体全体を使って泳ぐ姿が美しいと思うからだろうか。
魚の最も美しいと思う瞬間は、彼らが水の中を悠々と泳いでいる姿を見るときだ。魚は常に水流の中で全身を使って泳ぎ、生きている。昆虫は身体全体で生きると言うより、本体(頭部、胸部、腹部のところ)から遠隔操作で指示を出して外部接続ユニット(長い足や羽など)を動かしているように私には見える。

私は、魚の美しさは生きている時限定のものだと思う。だから水から上がった魚は普通に気持ち悪いと思う。海岸に打ち上げられたフグが口をゆっくりパクパクさせて横たわっているのとか、調理される直前の食用(になった)魚とか  生理的に無理だ。魚は水から上がると、生命力の放つ効果が美しさから気持ち悪さに変化する。彼らが生きる場所は水の外ではないのだ。私が惹かれるのは水の中を悠々と泳ぐ魚で、昆虫とは違うどきどきがある。昆虫は心をじっと見つめられるようなどきどきで、魚は心を揺り動かされるようなどきどき。人間にはない美しさを持つ彼らが羨まし?いかはどうかはよく分からないけど、芸術作品と同等の後世まで守られるべき尊い美しさだと思う。

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