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天高く浮く肥ゆる秋…本当の意味

「天高く馬肥ゆる秋」…
現代では、空が澄み渡って
高く見え、
馬も食欲が増して
肥える…
そんな収穫の季節という・・・
意味合いが強いのですが
実は本来の意味は違うのです。

むかし中国は、
蒙古民族あるいは
トルコ族の一派と
考えられている匈奴という
北方民族に、しばしば
辺境の地を奪われたり、
本土を侵略されました。

その歴史は紀元前から
およそ二千年以上にも渡り
歴代の王朝は、その防戦に
悩まされ続けてきたのでした。

そこで秦の始皇帝は
彼らの侵入を防ぐために
万里の長城を作ったのです。

万里の長城

匈奴の住居は、
中国本土の北に広がる
広大な草原。

春から夏にかけ、一面の草原で、
腹いっぱい草を食べた馬は、
秋になる頃は、丸々と肥え
元気いっぱいになります。

そしてそんな馬に乗って
匈奴たちは
収穫の秋になると
大挙して略奪に
やってきたのでした。

この匈奴は
乗馬と弓を得意とし、
いつも集団を作って
風のように襲いかかり、
矢の雨を降らせて人馬を殺傷し、
財宝や秋の実りをかすめては、
再び風のように
去って行くのが常でした。

紀元前の前漢の将軍・
趙充国(ちょう じゅうこく)という
人物が、その習慣性を見抜き、
「馬が肥ゆる秋には
必ず事変が起きる、
今年もその季節がやってきた」
と、警戒の言葉として使ったのが
そのはじめで、決して季節の恵を表現した諺ではなかったのでした。

トップの写真は、福岡県観光WEB
クロスロードふくおかより、
お借りしまた。


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