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群馬でゲルニカ

ピカソが描いた、反戦のシンボルとしてあまりにも有名なゲルニカ。
ピカソ本人が制作を許可したというほぼ原寸大のタぺストリーが、世界に3枚だけ存在しています。原田マハさんの小説「暗幕のゲルニカ」で取り上げられているアレ。NYの国連本部に飾られているというのは有名な話。しかし、その中の1枚を群馬県立近代美術館が所有しているということは、あまり知られていないかも知れません。夏のあいだ、一般公開されるというので、家族で足を運んでみました。

私が、ゲルニカと初めて出会ったのは、小学校6年生の図工の授業でした。ちょうど湾岸戦争の直後で、先生たちが何かを私達に伝えようとしてのことだと今となっては分かります。原寸大のゲルニカを学年の児童数に分割して、ひとりひとりが一部分を担当し、学年みんなで卒業制作の壁画を作りました。30年経ってもこの一連の授業は記憶に鮮やかで、今でも私にとってゲルニカは特別な作品です。(数年前に小学校の同級生とその話題になり、彼女もよく覚えていると言っていたのが何だか妙に嬉しかったり…)

なので、新婚旅行でスペインを訪れ、マドリードにあるソフィア王妃芸術センターで本物と向き合ったときは、しばらくその場から動くことができませんでした。

そのゲルニカに、群馬で会えるの⁉ネットニュースでタペストリーの存在と、常設展での一般公開を知った時は本当にびっくりしました。ぜひ行きたいと思ったけれど、娘はまだ4歳。一緒に見るのはまだ早いかな、でも群馬の森って公園もあるみたいだし夫と遊んでてもらえばいいかな…といろいろ考えていた時に、私の考えが浅はかだったと反省する出来事がありました。

新聞をひろげて、ウクライナのキーウで起きた痛ましい一件についての記事を読んでいるとき、娘が側にきて私の腕に強くしがみつきながら、一枚の写真を指さして「この赤ちゃんはどうしたの?寂しそう…お母さんはいないの?」と聞いてきました。それは、栄養失調で国境なき医師団が保護した赤ちゃんの写真でした。お母さんは助からなかったとのこと。その説明をしながら、娘の様子を見ていて、彼女は戦争のことを知ろうとしている、彼女なりに考えようとしている、被害にあった人の、この赤ちゃんの気持ちを想像しようとしている、と分かりました。娘と並んで一緒にゲルニカを見ようと決めた瞬間でした。

群馬県立近代美術館の2階、ぐるりと常設展を巡り(なかなか見応えのある各展示室でした!)一番奥の少し暗い部屋に足を踏み入れると、ソフィアで感じた衝撃に似たものが全身に走りました。

原画よりも少し茶色がかった色味。ガラスケースによる保護もなく、ごくごく至近距離からその柔らかそうな厚みを感じられる展示に驚きました。

正面のベンチに並んで座り、話をしました。

なんの絵だろう?何が見える?

馬、お日様、赤ちゃん?お母さんは抱っこしてるけど、ニコニコしてないね。赤ちゃんも泣いてる。

泣いてるね、どうしてかな?どんな気持ちかな?

悲しい、あと怒ってる。すごく怒って、あーっ!って叫んでる。暗くて怖いって泣いてる。

そんな話をする間、夫は静かに後ろに立ち、娘の言葉を聞きながらゲルニカを見ていたようです。

彼女の中に何が残ったのかは分かりません。でもきっとこれが、彼女とゲルニカとの出会い。4歳の娘と戦争との出会いです。

私は小さな一人前さんとして彼女と接っすることを常としているのですが、これからも子どもには分からないと勝手に判断することなく、大事なことを共有して暮らしていきたいと思います。


note初めての記事でした。若干緊張しながら書いてみました。読みにくい部分も多かったかと思います。最後まで読んでいただき、ありがとうございました✨

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