三浦春馬は人生の走馬灯の様だ。

俳優・三浦春馬さんが
私達の目の前から居なくなってから
今日で4年になるという。  

私は特に『推し』の俳優さんや女優さんがいるわけではないが
心に響く、心に訴える演技を魅せてくれる人の事はしつこく(笑)覚えている。

その最たる人が三浦春馬さんだ。 

私が初めて『この役者さん、凄いな』と三浦春馬さんを認識したのは
『僕がいた時間』というドラマであった。

難病のALSを患う大変難しい役どころ。
しかし
彼の演技には
単に台本をなぞるのではなく
このテーマの背景にある様々な問題も
おざなりにせず
現実を深く捉え
真剣に真摯に取り組んでいる事が
嘘偽りなく伝わってきたのである。

そして
目線一つにも、指先の微かな動きにも
命に向き合う
三浦春馬さんの迫真に迫る演技は
強く深く胸に刻まれるものがあった。

彼には他のどの俳優さんとも違うものがある。
一言では巧く表現できないが
彼の様な表現者は
後にも先にも
三浦春馬以外にいない、と断言できる。

彼が演じた
『キンキーブーツ』のローラも
恐らく三浦春馬さん以上のローラを
創り上げられる役者さんは居ないのではないだろうか。

最後の映画となってしまったが、
全身全霊を込めて演じたであろう五代友厚役の『天外者』は映画館に二度足を運んだ。

彼はどの役も、完全にその人物になりきる。
のだが、
どの役でも、そこに必ず『人間・三浦春馬』が生きているのである。

それは
押し付けがましくもなく
邪魔するわけでもなく
とてもさり気なく
しかし
確かに意思を持って
息づいているのである。

その役の人物の中に
人間・三浦春馬が確かに存在しているのだ。

表現者というものは
ただ巧いだけでは深みがない。
『巧い』だけでは 
感心はしても感動は生まれない。

私には『これは間違いない』と自負している考え方がある。
それは
表現者が『表現』するものには
必ずその人の『生き様』が出る。
ということだ。

どんな生き方をしてきたか
何を思い何を大切に生きているのか
それが演じる全てに
滲み出てくるのだ。
『演ずる』といことは逆を返せば
『自分に嘘はつけない』ということ。

三浦春馬という人は
きっと
恐ろしいまでに純粋な心を持っている人なのではないだろうか。
そして
(私がイメージする)芸能界という世界には凡そ相容れない
真直で思いやり深い人なのではないだろうか。

それ故に
孤高の人だったのかも知れない。

彼の演技を見ていると
そんな事を思うのである。

人生の走馬灯。
三浦春馬さんが駆け抜けた30年は
めくるめく速さで
様々なシーンを彩り
そこに宿る
優しさと清らかさは
今でも多くの人々の心に
止まることなく
消えることなく
決して色褪せず
廻り続けているのではないだろうか。

まだまだ
彼の表現する姿を観たかった。
本当に勿体ないと心から思う。
大いなる損失であると。

そして
まだ未だに
もう三浦春馬の演ずる姿を目にすることが出来ないという実感がない。

また
目の前に現れて
心を震わせてくれる演技を
魅せてくれる様な気がしてならない。

三浦春馬さん。
貴方は今、何を思うのだろうか。

走馬灯は廻り続ける。
消えることなく
めくるめくシーンを乗せて
終わりのない命の様に。

きっと
また会えると。

2024年7月18日

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