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友人たちに会ったはなし

 3連休の間、久々に友人たちに会った。いろいろあってここ3年程会えておらず、念願叶って、という感じだった。あんまりにも久々だったから、あの頃みたいにおしゃべりできるだろうかとちょっと不安に思ってもいたのだけれど、会った途端に「久しぶり~~!」といったもののそのあとは特に違和感もなくケタケタ笑ってた。あの頃は毎日友人たちに会っていて、飽きもせずずっと一緒にいてそれが当たり前で本当に「友達と遊ぶので忙しい」って感じだった。今回久しぶりに会っても、友人たちとの温度感はあのころと変わらず、あまりにしっくり自分に馴染んで、「友達と遊ぶので忙しい」って思ってたのも当然のことだなと思ったりした。宿であの頃みたいにくすぐりあったり、ラフしたり、そういうのを変わらず許してくれるのが懐かしく嬉しかった。

 宿でお風呂に入っているとき、部屋の方から友人たちの笑い声が聞こえてきてそれがあんまりにも幸せだった。それから、宿に戻った時におかえりって言ってくれる声があって、それもすごくうれしかった。普段一人で暮らしているのでなおさら。別にそれは誰でも良いわけじゃなくて、友人たちだから嬉しいのだなと思っている。「あの子たちが楽しそうにしているな」という実感が得られて嬉しいし、「この子たちに迎え入れてもらっているな」という感覚にホッとしていた。

 少し前までは、本当にほぼ毎日、しょっちゅう友人たちと一緒にいて、はしゃいだりからかいあったりして大笑いして、家にお泊りに行ったり、カラオケでオールしたり、お出かけしたりしてた。そんなだから、みんながばらばらの場所に行く日の別れ際は本当にさみしかった。一人になった帰りのバスの中でさみしさのあまりに泣き出すくらい。
 って話を今回初めて友人たちにしたら、あの時は本当にさみしかったねって(人によっては自分も泣いたよって)言ってくれて、それがなんだか嬉しかった。あの頃自分が向けているのと同じ温度の感情を自分も向けてもらっていたのが分かって(変な表現だけど)報われたような気がした。一度、友人たちと神奈川に旅行に行ったことがあって、その時も別れ際は本当にさみしかった。中華街の最寄駅から横浜駅に向かう電車の中で「電車が横浜に着かなかったらいいのに」「横浜が一生脱出不可能の本物のダンジョンになったらいいのにね」って半ば本気で言ってたりした。

 そんな具合だから今回も別れ際は寂しくて泣いてしまうんじゃないかと思っていたんだけど、名残惜しさ寂しさはありつつ泣かずに済んだ。別れ際、手を握るのはなんだか気恥ずかしくて友人たちの手首のあたりをそっと握って少しだけ寄りかかって「さみしい」「またね」って挨拶した。私の手首を握り返してくれて、身を寄せたのを拒まないでいてくれたのが嬉しかった。
 別れることを前ほど寂しく思わなかったのはあの頃よりも自分が大人になったからな気もするし、単純にこうやってまた会えることを知っているからなのかもしれない。電話だっていつでもできるし。

 とかなんとか考えてみるけどよく分かんないや。結局いっつも、友人たちのことを考えては、最後にはあの子たちが健やかに過ごせているならそれで良いやって思ってるよ。

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