同性愛を描くこと

 以下に書くことは私自身の今の考えの整理であることを明記しておきます。

 少し前の記事に書いたように、百合、すなはち女性同士の恋愛をテーマにした作品を書いた。実は、真剣に百合を書こうと決意して百合を書いたのは今回が初めてだった。普段はBL、ボーイズラブを中心に書いている。どういう経緯でBLに触れたのかもうあまり覚えていないが、まだ子供だった頃に初めてそれに触れたのはたしかで、以来男女の恋愛よりも同性同士の恋愛、さらには男性同士の恋愛を好む傾向がとても強い。

 あくまで私の体感だが、BLはネットミームとして扱われていたというか、ネット上ではネタ扱いをされることが多かった。それを好む腐女子と呼ばれる人々、BL自体も、大げさに表現するのなら侮蔑的に扱われることが多かった。私個人はそういう風に感じている。少なくとも扱いは良くなかった。そういう印象がある。それは現実における同性愛への嫌悪感や異端視がそうさせている気もする。笑ってもいい存在、ネタにして軽々しく扱っていい存在という意識。

 そういうことにモヤモヤしながらも、私自身は「あれこれネット上でつぶやく暇があるなら書け」を信条としているので一心不乱に自分のためにものを書いてはネットにアップしたりしなかったりして、非公開のものも含めて長さやクオリティを問わなければ作品数は200を超える。(あまりに数が多く1000字ほどの掌編も多いので正確な数は把握しきれていない)別にそれで良いと思っていた。あくまで趣味だし。フィクションだし。

 ただ、ここ3年ほど、そういうわけにもいかないのではないか?と思い始めている。腐女子である私もフィクションのBLを通して同性愛を「消費」しているのではないか? 一種の異端視をしているのではないか?
 そんな疑問がある。
 フィクションはフィクション。それで間違いない。間違いはないが、それを免罪符にしてはいないか?という気持ちもある。
 少なくとも、「なぜ同性愛をテーマにしたものを書くのか?」そこに対する自分なりの答えを持ちたいと思う。もっと突き詰めるなら「なぜ同性愛をテーマにしたものが好きなのか?」。

 百合文芸4で一次選考を通過した作品を読み返し、これが男2人だったらこういうことをさせただろうか、と考える。もっと違うことをさせていた気がする。体の一部分を相手と交換するとして、もっと違う部位をもっと荒っぽく、猟奇的な風にさせていたかもしれない。では、男女だったら? そしたらそもそも書いていないかもしれない。少なくとも恋愛感情ではなく連帯感とか相棒ぽさを押し出していた気がする。

 少し前に見た「魔界探偵ゴーゴリ」というロシアの映画を見てとてもグッと来たシーンがある。(映画自体もゴーゴリの作品に絡めたセリフもあり映像も豪華でなかなか面白かった)絶体絶命のシチュエーションの中、主人公ゴーゴリひとりでは行えなかったことが協力者の手を借りることで可能になる、というシーン。男2人のシーンだ。やたらとグッと来た。そして考える、これが男女ペアなら、あるいは女2人ならそこまでグッときていたか?
 実はこの協力者、この後の騒動で死ぬことになる。これ男女だったらどうなっていたかな、と考えた時にふと思い浮かんだシーンがある。協力者の遺体を前に涙しこの事態の解決を決意するゴーゴリのカットだ。実際の映画にそんなシーンはない。けれど、もしも協力者が女だったらそんなシーンが入っていたんじゃないのかと思い、私はその空想のシーンに男女間の恋愛感情(あるいはいずれそうなる淡い感情)を見出して、むしろ「男女がいればそれは恋愛関係に発展する」とどこかで思っている自身の思い込みに気づき自分にげんなりしてしまった。

 百合文芸4で一次選考を通過した作品に登場する「真由子」はフィクションにおける私の好きなタイプのキャラ。上品(あるいは美しい)見た目で欲深く傲慢。それなりに賢く社会性もあるが結局最後は刹那的な快楽を好むタイプ。そういうイメージで描いた。これは男女どちらのキャラにも共通する自分の好みである。pixivに投降した創作BL小説「バビロンの心臓」に登場する「ハーライ・三鷹ユリアン」もそのタイプ。こっちは刹那主義快楽主義の要素がさらに強い。そんなどうしようもない人に振り回される人、の構図が好きで、これは男2人でも女2人でもあまり変わらない。(このあたりは美少女に振り回されたいドタバタラブコメと同じ精神性な気もする)男女2人組でも楽しいな良いな、と思える。
 だけど「この関係、この温度感は女2人でないと(あるいは男2人、男女2人組)ダメだな」と思う関係性も存在する。この線引きがどこから来ているのか、考えている。

 いっそ、自分が男女どちらを恋愛対象にしているかとか、これまでに自分が築いてきた誰かとの関係性がそう思わせているんだろうか、とも思う。まだ、その答えは出ていない。一生出ない気もする。けれど、今曲がりなりにもBLを専門にした雑誌やレーベルに小説を投稿し始めた身としてこのあたりのことにはきちんと向き合わないといけない気がしている。フィクションだからこそそのあたりに責任を持つべきなんだろうなと思っている。

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