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太客前夜、そして今夜

私の住む街に小さな映画館があった。デジタル化の波に取り残され、今にも潰れてしまいそうな田舎の映画館。
その映画館がシナリオコンクールを主催するらしい。
地元の映画ファンの間では少し話題になったけれど、たいした盛り上がりも見せず、なんとなく忘れられていった。
それが13年前の出来事。
そして4年後、そのコンクールで最優秀に選ばれたシナリオが映画化された。
地元でロケが敢行されたこともあり、地元では映画ファン以外の間でも少し話題になった。
さらに2年後、その映画がアカデミー賞の作品賞、最優秀主演女優賞を受賞した。
地元を飛び越えて、全国の映画ファンの間で話題になった。

百円の恋

それが、私とクリープハイプとの出会いといえば出会い。

百八円の恋

初めて聴いた時は確かに衝撃を受けた。 
こんなにも映画の内容にリンクする曲を、こんなにも切羽詰まった歌詞を、切羽詰まりまくった甲高い声で、ギターも速くてめちゃくちゃ耳に残るし、天才か?
て、これクリープハイプ?
憂、燦々の?
こんな曲もやるんだ?
これはきっと売れる。
でも、いわゆる中高生に人気のバンドなんだろうし、自分には関係ないな。
と、なんとなく思ったのは覚えてる。

けれど、実際はそんなにブレイクすることもなく。
今思えば、尾崎さんの絶不調期でもあったので、色んなきっかけを逃していたのかとも思うけれど。
そういう私も、別居と仕事と子育てと上手くいかないことが一度に押し寄せてきた時期で、その頃の記憶は曖昧。

時は流れ、地元の小さな映画館は潰れ、小さなライブハウスとして生まれ変わった。

そして2018年、そのライブハウスにクリープハイプがやってくるという。
百円の恋が生まれた場所に百八円の恋がやってくるとか、なんか凄い!映画みたい!これは行かねば!
と、私はテンション上がりまくったけれど、地元の映画ファンが沸いたかどうかは不明。

ライブに行くとなったら、最新アルバムは最低限でも聴いて行くことが礼儀だと思っている、バリバリCD世代のおばさん。
CDを聴いている時点で、もう予感はあったんだけど。

場違い感を振りまいていざライブハウスへ。
二階席の一列目のど真ん中。
映画館時代のお気に入りの席で観るライブは、若者の熱気でむせ返っていて私の日常とは別世界。
地元で開催される予定だったクリープハイプ出演のフェスが台風で中止になったこともあり、一階の盛り上がりは右往左往の地獄絵図。
本当に映画を観ているようだった。

田舎のライブハウスで、凄いなこれ。
むちゃくちゃかっこいい。
尾崎さーん、若い子達は知らないだろうけど、ここで百円の恋が生まれたんですよー。
この映画館でジャッキーチェンやトムクルーズを観て私は青春時代を過ごしたんですよー。
って、思いながら観てた。
そしたら、尾崎さんが首を傾げながら上の方を見て
「変な作りの会場ですね。二階は映画館みたいで。」
って。
ぎゃーーーーー!こっち見てる見てる
ドンドコドンドコドコドコドコ(私の頭の中の鼓笛隊が太鼓を叩いている音)
「知ってますよ。ふふっ」
シャーーーン(シンバル)
明確に、落ちた瞬間が分かりる始まり。

いや、もう分かってたのよ。CDを聴きこんでる時点でこうなることは。

「みんないいことばかりじゃないでしょ、俺だってそう。いい人ばかりじゃないし…でも自分にとっては嫌な人の方が大事な時もある」
観客に向かって吐き出しているようでありながら、自分に言い聞かせているみたいな優しい声。
さっきまで目ん玉ひん剥いて歌って、客席に向かって汗臭いとか文句言ってたのに。
緩急やばし。
魔性。

アンコールはやらない。
ふわっとした余韻じゃなくて強烈な印象を残したいから最後の曲は死ぬ気で歌うと言った「栞」
こんな世界があったんだ。
間に合った。
もっと知りたい。
また会いたい。
大げさでもなんでもなく、歳のせいなのかなんなのか震える手でスマホに入力して、家に着く頃には太客になっていた。
人たらしの当たり屋に当たりに行って、まんまとこまされた。
それだけの話。

あれから、5年。

売れたいれど媚びない。媚びないけれど好きになってくれた人のことはとことん大切にする。
そういうスタンスを貫いてきたクリープハイプが、
アリーナツアーで圧巻のステージを観せてくれた。
出会った頃は、まだ糸だったクリープハイプがコロナ禍を経て太い極太の縄になった。
その縄を結んで編んだ地引き網に、城ホの後ろの席から全部ごっそりさらわれて持ち上げられて打ち上げられたような、そんな気持ちになった。
親しみやすさが鳴りを潜めて、研ぎ澄まされ、圧倒的なプロだった。
嬉しいけれど、なんか寂しい。
あの日と同じように、尾崎さんが、大事な曲だから死ぬ気で歌うと言った「栞」
伝わってるよ。
おめでとう、ありがとう。

尾崎さんは、桜も花見も興味無いと言うけれど、私はこの先何年も、桜を見る度に、城ホ沿いの八分咲きの桜とステージに舞った紙吹雪を思い出すはず。

暮れていく空の向こうで鳴った夕方を知らせるチャイムとか
空を見上げたらステージの月よりもっと大きい月が綺麗だった帰り道とか
藪蚊に襲われながら出待ちした草叢の青臭い湿気とか

そういう情景や匂いもひっくるめて、一つ一つのライブの思い出が宝。

もう十分長く生きた気もするし、自分が主役のキラキラなんて、これから先に起こらないことは百も承知。
だから、それをクリープハイプに託し続けるのです。

#だからそれはクリープハイプ
#だからそれは真実
#クリープハイプ


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