「平惟茂凱陣紅葉」翻刻 五段目


〈謡次第〉おとづれ遠き庵住いほずみの、おとづれ遠き庵住の、涙よりほか友もなし。〈ナヲス〉御痛はしや女三の宮、雲井の花の御袖も、花の帽子に墨衣、御ぐしは切らせ給へども、神に等しき御身にて、恋故にこそ捨船の、尼御前の御供には、権内一人付き添ひて、都は敵に狭められ、捨てし御世をこゝかしこ、〈フシ〉さまよひ給ふぞあはれなる。
折もこそ有井玄蕃、青柳主税、手の者引き連れ出で来り、「ソレ逃すな」とおっ取り巻く。〈詞〉権内驚き、「ヤァこれこれ、聊爾せまい。何故の狼藉」と、〈地〉言はせも果てず「ヤァぬかすな。〈詞〉その尼は女三の宮、諸任公に偽首をつかました故、方々尋ね回るところ、こゝで逢ったは首玉の入った女三の宮。生け捕って手柄にせよ」「〈地〉承る」と一時に、かゝるところへ駆けつくる、柏木左衛門、妻もろとも命惜しまぬ切先に、秋の落葉と吹き散る家来、真っ青青柳力なく、有井といふて逃げ行く玄蕃、権内・左衛門双方より、畳み掛けて斬りつくれば、〈フシ〉四つになって倒れ伏す。
左衛門謹んで頭を下げ、「〈詞〉このごろ御行方を尋ぬるところ、恙なき御姿を拝し、喜ばしきその中にも、〈地〉面目なき身の誤り。宮の御身に替はるべき、落葉を連れて立ち退く不届き、まっぴら御免くださるべし」「なふ罪は左衛門様よりこの落葉、姫宮様の恋人を寝取りしとさぞお憎しみ、ほんに今さら恥しや」と、土にひれ伏し〈フシ〉詫びければ、
「アヽうたてのことを言ふ人や。〈詞〉左衛門を見初めしは、そもじと深き仲ぞとは、知らぬ先のあだし心。とくよりそれと知るならば、何しにまさなきわざはせん。十善天子の姫宮が、主ある人に心をかけし、身の罪科をかへりみて、神々への言ひ訳に、かゝる姿となりしぞや。〈地〉思ひ切ったる印の髪、尼が頭をなかうどにて、神かけて添ふてたも。頼む頼む」とばかりにて、世にしみじみとありがたき、君が詞は綸言の、冷や汗ひったり手を合せ、もったいなさと嬉し泣き、〈フシ〉何につけても涙なり。
左衛門重ねて、「〈詞〉惟茂が忠義にて、平国も御剣を取り返し、諸任追討の合戦最中、朝敵退治案のうち。御髪はおろし給ふとも、もとの姫宮となし奉り、内裏へ還御なし申さん」と〈地〉詞も終らずあまたの人音。〈詞〉権内突っ立ち、「必定諸任、姫宮を尋ね来ると覚えたり。〈地〉危し危し、こなたへ」と、しばし御身を忍ぶ草、〈ヲクリ〉木陰に「こそは隠れけれ。
阿曇諸任大勢引き具し、早戦さには勝ったんなれと、大胆不敵の面構へ、悠々と床几にかゝり、「〈詞〉ヤイ家来ども、惟茂いかほど働くとも、きゃつが首が諸任が手に握ったり。にっくきは女三の宮、草を分かって尋ね出せと、言ひつけ置きしがまだ捕へぬか。軍藤太はいづくにある、呼び出せやっ」と言ふ間もなく、「〈地〉鬼薊軍藤太、女三の宮を召し捕って参ったり」と呼ばゝり呼ばゝり阿曇が前へ引き据ゆれば、「〈詞〉ヲヽでかしたでかした、よく生け捕った。殺してしまふは手間隙いらず。まづそれまでは我が側にて酒宴の肴、ドレ顔見ん」と〈地〉薄衣取ればこしもとお丸。さしもの諸任化け者かと、肝を消して立ったりしが、「〈詞〉さてはうぬ二心、惟茂に頼まれたな」「ハヽヽヽヽいかにも、惟茂には譜代の臣と頼まれたる、茨菰次郎勝秀。汝が館にゐるうちは、汝が家来の軍藤太、今日よりは敵味方。天下を取り喰らはんとする、戸隠山より恐ろしい鬼を欺く鬼薊、〈フシ〉覚悟々々」とのゝしれば、
「ヱヽ謀に乗せられたるか、奇怪至極。ソレ者ども」「畏まった」と斬りかくるを、五人十人一掴み、〈三重〉手に立つ者も「あらざれば、
阿曇も今は死に物狂ひ、「〈詞〉ヤァヤァ諸任が軍兵ども、来れ来れ」と声の下、「〈地〉はっ」と答へて駆け出るは、〈中コハリ〉上総介惟茂、金剛兵衛、帯刀太郎、〈ナヲス〉柏木左衛門追々駆け出で、「〈詞〉汝が頼む軍兵は、一人も残らず皆殺し。四海を悩ます大悪無道、初太刀は惟茂、柏木左衛門」はらりずんと左右の肩先、帯刀太郎槍取り延べ、二の銛やっと突き通す。〈地〉三番四番は金剛・茨菰、滅多無性の鯨突き、鯨は取られて七浦浮かむ、朝敵滅びて八島の波、治まる味方の勝鬨や、かちゞ拾ふて女三の宮、落葉に権内御供し、すぐに都へ凱陣紅葉、栄へは千代に幾万年、治まり靡く平国の、御剣の威徳ぞめでたけれ。

作者  千前軒門人
         竹田出雲
         吉田冠子
         近松京鯉
         近松半二
         中邑閏助
         三好松洛

宝暦六年丙子十月十五日

〈了〉

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