能「鐘引」私作復曲台本

※詞章は「未刊謡曲集」続11を参考とし、私に手を加えました。節章は前掲諸作に準じました

鐘引

                         無名氏 作

前シテ 里人
面-怪士、黒頭、鉢巻、水衣(着流し)、腰帯、着付-無地熨斗目、持物-扇
後シテ 龍王
面-大悪尉、白頭、鉢巻、大龍台、袷狩衣、半切、腰帯、着付-厚板、持物-扇・鹿背杖
ツレ 龍神(四人ほどが良い)
面-黒髭、赤頭、鉢巻、龍台、法被(肩脱ぎ)、半切、腰帯、着付-厚板、持物-打杖
ワキ 園城寺の僧
角帽子、水衣、白大口、腰帯、着付-小格子厚板、持物-扇・数珠
ワキツレ 従僧
ワキに同じ ただし水衣は縷、着付は無地熨斗目
同 勅使
洞烏帽子、袷狩衣、白大口、腰帯、着付-厚板、持物-扇
アイ狂言 能力
能力頭巾、水衣、狂言袴(裾を括る)、脚絆、腰帯、着付-無地熨斗目、持物-扇
同 秀郷の使者
肩衣、狂言袴、腰帯、着付-縞熨斗目、持物-扇・文
同 鯰の精
面-鼻引、毛頭巾、縷水衣、狂言袴(裾を括る)、脚絆、腰帯、着付-厚板、持物-扇
太鼓あり
作り物 宮・鐘
(宮は鐘を吊れるようにあつらえるのが良い。また鐘はツレ4人が運んで登場するので、「道成寺」のよりは小ぶりで軽量に仕立てると良い)

場所 近江
季節 不定

   先にワキ、従僧(ワキツレ)、能力(アイ狂言)の順に登場。ワキと従僧はワキ座あたりに座り、能力は笛座近くに座る。続いて勅使登場、常座で名乗る。

勅使 そもそもこれは当今に仕へ奉る臣下なり。さても江州園城寺は、勅願所として伽藍建て納まりて候。未だ撞き鐘のなき由聞こしめされ、急ぎ撞き鐘を鋳させよとの宣旨を蒙り、只今江州園城寺へと急ぎ候。(タッパイして区切りをつけ)急ぎ候ほどに、園城寺に着きて候。(ワキ座へ向き)いかに院主の御坊へ案内申し候。
能力(立って)案内とはいかなる人にて候ぞ。
勅使 帝よりの勅使立ち候由御申し候へ。
能力 かしこまって候。(ワキへ向き膝つき)いかに院主へ申し上げ候。
ワキ 何事にてあるぞ。
能力 帝より勅使の御立ち候。急いで御出で候へ。
ワキ 心得てある。(能力はもとの座に戻る。ワキ立って少し前へ出、勅使の前に膝つき)さて只今は何のための勅使にて候ぞ。
勅使 只今の勅使余の儀にあらず。鎮守伽藍は建て納まり候へども、撞き鐘のなきことを聞こしめされ、急ぎ鐘を鋳させよとの勅使にて候。その由寺中へ披露あらうずるにて候。
ワキ 宣旨かしこまって承り候。仰せのごとく、鎮守伽藍はことごとく建て納まりて候。然れども未だ撞き鐘のなく候間、鐘を鋳させんと存じ候ところに、鐘を鋳させよとの勅使なによりもって忝く候。

   使者(アイ)が文を持って登場、橋掛かり一の松あたりで名乗る。

使者 これは田原藤太秀郷の御内の者にて候。何事やらん江州園城寺へ書状を遣はされ候間、只今持ちて参りて候。(ワキ座へ向き)いかに坊中へ申し候。
能力(立って)何事にてあるぞ。
使者 これは山城国田原藤太秀郷の御内の者にて候。当寺へ書状を送られ候。この由御披露候へ。
能力 心得申し候。(文を受け取る。使者は切戸より退場。能力ワキへ向き)いかに申し上げ候。山城国の住人、田原藤太秀郷の方より当寺へ書状の候。ワキ こなたへたまはり候へ。(文を受け取り)いかに勅使へ申し候。只今山城国の住人、田原藤太秀郷の方より、当寺へ書状を越し候。すなはち御前にて披見申さうずるにて候。

    能力はもとの座に戻る。勅使はワキの横、客席寄りに座る。ワキは地謡座付近に正面向きに座り、文を開いて読む。

    何々、『かしこまって申し上げ候。さても我はからざるに龍宮に頼まれ、変化の百足を平らげしその勲功に、十種の贈り物あり。中にも妙なるはひとつの梵鐘なり。撞けばこの鐘その声妙にして、聞く人菩提に至るといへり。しかればこの鐘を園城寺へ寄進申すべきものなり。龍神に法味をなし給はゞ、あえて疑ひあるべからず』。これは奇特なる書状にて候。
勅使 いかに申し候。もっとも仰せはさることなれども、未だ目にも見えぬ撞き鐘を、当寺に寄進申すとは、あっぱれ秀郷の聊爾かと存じ候。
ワキ げにげにそれはさることなれども、かの秀郷と申すは、五常乱れぬ名将なれば、あへて疑ひあるべからず。
(不合・強)
「八歳の龍女は釈尊に、
地謡(上歌、拍合・強)
「宝珠を捧げたちまちに、宝珠を捧げたちまちに、南方無垢の成道を、唱へしためしあり。げにありがたや頼もしや、これにつけてもいやましの、法の力を頼むなり、法の力を頼むなり。(ワキは文を後見に渡して地謡座前に座る)

   地謡のうちにシテ登場。常座に立って謡う。

シテ(不合・強)
「我正法の昔より、像法の今に至るまで、湖水江海に沈み果てゝ、海人の刈る藻に棲む虫の、我から濡らす袂かな。(シオる)
ワキ 不思議やな目前に来る者を見れば、姿はまさしく人間に非ず、御法を尊む声すなり。いかなる者ぞ名を名乗れ。
シテ(ワキへ向き)これはこのうみに年経て住める龍神なるが、鐘を施入のそのために、これまで参りて候なり。
ワキ(不合・強)
「不思議やさては秀郷の、偽らざりしかねことの、
地謡(拍合・強)
「末通りなば末の世の、末通りなば末の世の、不思議なるべし、疑はで待たせ給へや。

   シテ正面に座る。以下しばらく一同着座のまま。

  (クリ、不合・強)
「それ撞き鐘といっぱ、十二因縁を表し、
シテ「十二律の響きあり、
地謡「夜昼の刻限を告ぐること、生死の迷悟を示すとかや。
シテ(サシ、同前)
「然るにこの鐘は、祇園精舎の北面に掛けし鐘なり。
地謡「玄奘三蔵渡天の時、龍神法楽のそのために、流沙河に沈め給ひしを、守護して今に至れるなり。
   (クセ、拍合・強)
「さるほどにこの湖の、龍神に敵をなす、くろがねの百足ありしなり。あるとき秀郷、瀬田の橋を渡りしに、大蛇となって行き向ひ、頼む心の末遂げて、神通の弓矢にて、たちまちに敵を滅ぼせし、秀郷がその名は、末代に隠れよもあらじ。
シテ「そのとき龍神秀郷に、
地謡「数の宝を与へしに、中にも妙なるこの鐘の、法の力による故、この寺に施入すべきなり、疑はせ給ふなと(シテ立って舞台を回る)、夕べの鐘の声立てゝ、もの騒がしき海づらに、よるかと見しが沖津波に、立ち隠れ失せにけり、波間に隠れ失せにけり。
   
    シテ、〈来序〉につれて退場(中入り)。
    〈狂言来序〉で、アイ狂言(鯰の精、以下アイと記す)登場、常座に立つ。

アイ かやうに候者は、この湖に住む鯰の精にて候。只今これへ出づること余の儀にあらず。田原藤太秀郷、園城寺へ撞き鐘を寄進申さるゝその仔細は、龍王の敵、百足を退治なされしによって、龍王喜び、様々の引き出物を、秀郷へ参らせらるゝ。その品々は、鎧、太刀、切れども尽きぬ巻物、取れども尽きぬ俵、天竺祇園精舎にありし撞き鐘なり。この撞き鐘は、足下に持つべきものならねば、園城寺へ寄進あるべきほどに、龍王に寺まで引きつけ申さるゝやうにとの御約束なれば、すなはち龍神現れ給ひ、寺中へその由御申しあり、さても奇特なることかな、さあらば急ぎ鐘楼しゅらうをこしらへ、待つべしとの御ことなれば、この湖に住むほどのうろくづは、ことごとく出でゝ鐘を引き申せとの仰せなり。すなはちこの鐘は玄奘三蔵渡天の時、流沙河にて深沙大王へ手向けのために、沈め給ひし鐘なれば、この鐘は四句の文を唱ふるなり。この声を聞く者は、長夜の闇を照らし、悟りに至り申すべし。なほもって鐘の綱を引くならば、成仏疑ひあるべからず。鯉鮒のことはいふに及ばず、蝦雑魚のたぐひまでも、罷り出で候へ。かまへてその分、心得候へ、心得候へ。(退場)

   後見が宮の作り物を大小前へ出す。
   ワキ着座のまま謡う。

ワキ(不合・強)
「さるにても不思議なりつる秀郷の、その契約を違へじと、法味をなして待ちゐたり。
ワキツレ「待つほどは苦しきものを時鳥、
ワキ「一声急げ暁の空の、
地謡「風をちこちの雲むら立って、湖の波も動揺せり。

   〈大ベシ〉で後シテ登場、常座に立つ。続いてツレ4人ほどで鐘を運んで登場し、橋掛かりに立つ。

地謡〈ノル・強〉(以下同じ)
「志賀辛崎の湖面うみづらに、志賀辛崎の湖面に、立ちくる波の、上に浮かべる鐘を守護し、(シテ鐘を見込む)
後シテ「遮竭羅しゃかつら龍王現るれば、
地謡「無数の小龍、無辺の悪龍、みなことごとく浮かみ出でゝ、この鐘の綱手に、取りつき縋りつき引くとぞ見えし(ツレは鐘を運んで舞台へ入る)、程なく寄するさゞ波や、三井寺の鐘楼に引き上げたり、目の当たりなる奇特かな。
    ここで鐘が宮の屋根に掛けられる。ツレは宮の後ろに並んで座る。シテは鹿背杖をついたまま舞う。

        (シテ〈静かなる舞働〉)

     舞台中央で舞い留め、以下に合わせて舞う。

シテ「遮竭羅龍王その時に、
地謡「遮竭羅龍王その時に、かの撞き鐘の声を出だし、衆生の迷闇を晴らさんとて、東方に向かひて鐘を撞けば、(シテは杖で鐘を撞くしぐさ)
シテ「諸行無常の響きを出だし、(以下宮の周囲を回る)
地謡「さてまた南方は、
シテ「是生滅法、
地謡「西方に向かへば、
シテ「生滅々已、
地謡「北方に向かへば、
シテ「寂滅為楽と、
地謡「撞けばその声心耳を澄まし(シテは下に居て聞き入る体)、聞く人すなはち菩提に至る(鹿背杖を後見に渡し、以下扇で舞う)、仏法興隆、伽藍繁昌に守るべしと、小龍一度に礼をなせば(下に居て鐘に向き礼をする。ツレ一同座を変えて共に礼をする。シテ立ち、続けて舞う)、夜も白々と明けゆく空に、龍神は眷属を引き連れ引き連れ、立ち帰る波の、逆巻く水に、浮き沈み、逆巻く水に浮き沈んで、また龍宮にぞ入りにける。

    シテ留拍子を踏んで終わる。一同退場。

(了)

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