「平惟茂凱陣紅葉」跋

「平惟茂凱陣紅葉」は、先に翻刻した「崇徳院讃岐伝記」と同じ宝暦六(1756)年の10月に竹本座で初演された五段続きの時代浄瑠璃で、作者の顔ぶれも、近松景鯉が入っているほかは、同様に二世竹田出雲・近松半二・三好松洛・中邑閏助です。内容は王朝物と言って良いもので、天下を狙う阿曇諸任の野望を挫かんとする平惟茂(正しくは「維茂」ですが、ここでは浄瑠璃の表記によります)・柏木左衛門と、その周辺人物の苦衷を描いております。
平惟茂は貞盛の養子で鎮守府将軍にまでなった人物で、すでに「今昔物語集」に藤原諸任(本作の阿曇諸任のモデルと思われます)との領地をめぐる合戦のことが記されていますが、より彼の名が知られるようになったのは謡曲「紅葉狩」で描かれる戸隠山の鬼神退治の話によるものでしょう。また正徳期の大近松の作品に「栬狩剣本地もみじがりつるぎのほんじ」なる作品があって、佳作で、江戸期を通じてしばしば上演されたそうです。本作はその後日談的内容ですが、登場人物の設定がつながっていないところがあります。むしろ、諸任・世継御前・帯刀太郎・金剛兵衛・沢菰次郎といった名を借りて、「紅葉狩」の伝説の後日談という形で、オリジナルなストーリを作り上げたといえましょう。もうひとつのプロットは、「源氏物語」若菜巻の、柏木・落葉・女三の宮の件を借りたものです。この部分では蹴鞠もモチーフのひとつになっており、四段目になると紅葉も加わって、全体的に華やかな作りであります。
性格描写では、まず惟茂をあくまで冷徹な人物として描くことで、諸任と対極をなすものとしています。また帯刀太郎や権内は、非情な決断を下しながらなかなか実行できない人情家で、これは沢菰次郎(鬼薊軍藤太)も同じタイプに属するでしょう。柏木将監の父性愛も目を引くところです。左衛門の方は、これも浄瑠璃にしばしば登場する「金も力もない色男」で、そういう人物がなんとか周囲の助力を得て成功にこぎつけるところが見どころとなっています。対して彼の周辺の女性は、兄惟茂からの命令も蹴って左衛門と駆け落ちする落葉、身を引くのも早い女三の宮、左衛門の目的を達成させようと必死になる琴鶴姫(のちの「妹背山婦女庭訓」の橘姫とお三輪を合わせたような人物)と、三者三様に強い意志を持った人物として描かれます。ほかには、惟茂の奥方の世継御前も気丈な女性といえます。総じて舞台面は出入りが多くにぎやかです。
このような点は歌舞伎向きともいえるものですので、浄瑠璃の再演はありませんでしたが、歌舞伎としては繰り返し上演された記録があります。通しでない場合、おもに四段目を数回上演したようです。


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