「安倍晴明倭言葉」翻刻 三段目

〈地〉三公その人にあらざれば、三光明らかならずとかや。御堂の関白道長公、あくまで栄耀栄華に誇り、宝祚を傾け九五の位に昇らんと、南の院に別殿を構へ、昼夜を分たず姦曲邪智を〈フシ〉めぐらし給ふぞうたてけれ。
日頃悪事の密談に、邪智を吹き込む早木大学、神璽の御箱もろともに、木の実一枝折り持って参上すれば道長公、「〈詞〉ホヽ大学、あはたゞしき体何事なるぞ」「さん候、御庭前の柑子、時ならぬに木の実を結び候。橘・柑子は常盤の国の木の実にて、仙人これを食して長寿を保つ吉事の木の実、〈地〉君を祝して一枝折り取り候」と御前に直し置き、「〈詞〉かゝる吉事の候に、大凶事は神璽の御箱、何者とも知らず、〈地〉御宝蔵へ忍び入り封捻じ切り、神璽を奪ひ取り候」と、申しもあへぬに大きに驚き、「〈詞〉三種の神宝、二品は先だって紛失、さるによって神璽は道長留め置きしに、奪ひ取りしは察するところ、法皇に心を寄すつやつばらが仕業ならん。何かにつけて疑はしきは、摂津守頼光。この間より招けども、今において来らぬは曲者。ことをゆるがせに計れば、海内に謀反人絶えず。〈地〉只今急に使を立て、異議に及ばゞ召し捕り来れ」と、せきにせき立つ御顔色。大学ハット領掌し、「〈詞〉それがしもその儀を存じ、今朝火急に頼光方へ、お召しの使立てたるところに、俄かの病気にて枕上がらず、歩行とても叶はねば、参内御免とぬっぺりこっぺり。その手は食はぬこの早木、すぐに使を馳せ遣はし、『〈地〉病気ならば庭上まで乗り物御免、早く参れ』と急ぎの口上。追っつけ参上仕らん」と相述ぶる。「〈詞〉ヲヽよく計らふたり。疑ひもなふ頼光は、法皇に与せんず。神宝の紛失旁もってうさん者、生けおいては妨げ。〈地〉力者を選んで討ち取れ」と、仰せも未だ終らぬところへ、取次の下司罷り出で、「〈詞〉摂津守頼光、只今参上」と訴ふる。「ヲヽさぞあらん。我が君にもお待ち兼ね、〈地〉只者ならぬ嗚呼おこの者、てだてを示し合はさん」と、押っ取り刀で駆け行けば、道長公も御油断なく、用意の御太刀膝元に引き寄せ、〈フシ〉今や今やと待ち給ふ。
早程もなく摂津守頼光、病苦なれども上を憚り、手舁きに舁き込む乗り物の、四方を囲む力者ども、槍引っ提げて引っ添へば、後詰めには早木大学、手に余らば討ち留めん」と油断せぬ面、眼を配り、それと掛け声一時に、槍押っ取って乗り物越し、ゑいゑい声にて突っ込めば、鉄石なんどに当たるがごとく、微塵に折れたる素槍の穂先。「ヱヽ手ぬるい大学、そこ退け」と、御太刀引っ提げ大床に躍り出で、「〈詞ノリ〉武勇優れし頼光なりとも、何ほどのことあらん。引きずり出して斬りさいなめ」〈地〉かしこまって乗り物の、戸障子微塵にめりめりめり、引き出だすは頼光ならで、辺りも輝く白糸威。「コリャどうぢゃ、コリャどうぢゃ」と呆れる大学はったとねめ、殿中響く大音上げ、「〈詞ノリ〉この道長を欺くは、片腹痛ききゃつらがてだて、刑罰初めその鎧斬罪せよ」と罵り給へば、「ヤレ待ち給へ、しばらくしばらく。摂津守頼光が、申し上ぐる仔細あり」と、〈ハルフシ〉声もなまめく裲襠姿、ぼんじゃりとしてきっとして、一際立ったる御所の内、おめず臆せず御白洲を、しとやかに歩み出で、「〈詞〉頼光が妻夕なぎ、夫の名代、〈地〉恐れながら参上」と、申し上ぐれば道長公、「〈詞〉ムヽ頼光が連れ添ふ女か。再三まろが招けども、病気と言ひ立て来らぬ故、乗り物まで許せしに、所々の戦に血をあやせしこの鎧、頼光なりとまろを欺くにっくき仕方。立ち帰って連れ来れ、立ってうせう」と雷声、〈地〉取り付く島も夕なぎ御前、胸を据ゑたる裲襠さばき、御側近く両手をつき、「〈詞〉これはこれは我が君様、そふお聞きあそばすりゃ、お腹の立つは御もっとも。この間より我がつまも、折悪しき病の床、一向枕上がらぬ故、お断り申せしところ、ありがたい君の勅諚、お白洲まで乗り物を、御赦免あれど持病の眩暈、一向人事をわきまへねば、参内するは却って憚り。台命の御召しに女づれの恐れあり、武士の魂は鎧兜、先祖より伝はりし、源家重宝の膝丸は頼光も同じこと。お召しの御用夕なぎに〈地〉仰せつけられくださりませ」と申し上ぐれば道長も、少しは和らぐ面の色。「〈詞〉ムヽ名代とあるからは、尋ねる品々返答せい。駒牽きの儀式より、顔出しせぬは必定法皇に心を寄せ、まろを滅ぼす心底ならん。二つには神璽の御宝紛失せしも合点行かず。汝が知らぬことあるまじ。サァ明白に白状せい、〈地〉返答あらば言へ聞かん」とてっぺい下しに決めつけられ、はっと思へど笑ひに紛らし、「〈詞〉ホヽヽヽヽ、これはこれは。何事の御用ぞと存ぜしに、夫が出仕怠る故、我が君様のお廻り気。かう申せばおはもじながら、見かけと違ふた悪性者、参内にことよせて、お女中様の袖褄引き、〈地〉文玉章は数限り。それをわたしに見つけられ、言ひ訳ならねば思はずも、内を出兼ねるこの遅参。夫も心すまぬやら、朝夕の看経に、神様よりは道長様、道様々々と祈られます。〈詞ノリ〉それ故にわたしはおろか、渦中のをなご子供まで、物見遊山は申すに及ばず、〈地〉地主権現の花盛り、嵯峨や御室の遅桜、通天高雄の紅葉が谷、〈詞〉東山の松茸狩り、〈地〉新更科や広沢の、〈詞ノリ〉月見はなほも道長く、長道せねばならぬ故、道といふ字がもったいなく、〈地〉道を踏まずに乗り物で、行けども舁き手がしっとんしっとん、とんとんとんと踏まねばならず、もったいないと思ふ故、徒士廻り供廻り、綿入り草鞋を履かせます。それほど大事に存じまするに、お疑ひは恐れながら、我が君様には似合ひませぬ。〈詞ノリ〉また神璽の御宝、盗んだかとおっしゃるは、それはあんまりおどうよく。この春も預かりし、友切丸紛失にて、すってのことに痛い腹、思ひ出すのも身が縮まる。我が身つめって痛さとやら、何のまぁそんなこと。その上に天皇様、御親子ともにお行方知れず。法皇様にも同じこと、盗んでからがあてどなし。さしづめおまへが天子のお位。御仁心御賢徳、戸ざゝぬ御代とは今この時。あなたがなければ世は常闇、早ふ御即位あそばしませ。道長天子の御代万歳と、〈地〉口から出次第言ひ次第、ハヽハヽヽヽおめでたふござりまする」と〈フシ〉口覆ふ。
道長公も口車にふはと乗せられ「コリャ夕なぎ、〈詞〉まろを祝する汝が言ひ訳、このたびは聞き届ける」と〈地〉柔和の顔色夕なぎ御前、塞がる胸の戸も開く、中門の方より下司が案内にて、土民四、五人どやどやと、這ひ回って白洲に出で、「〈詞〉おらどもは津の国茨木の百姓ども。この間のお触れ状に、陰陽師安倍晴明といふお尋ね者、見つけ次第連れ参れとおしゃます故、柳黒もじ、杉すはうまで探してみても、晴明といふ御楊枝はないといひます。物知りに尋ねたれば、占ひ師のことぢゃとある故、幸ひ都から宿替へしてきた占ひ師、こゝな又作がまへど津の国安倍野にゐた時、保名の息子童子が幼な顔に似たといふ故、よそながら問ふたれば、又作が目かどに違はず、小さい時の安倍の童子、今の名は晴明と聞いた故、禁中様からお召しなさるゝと、鉄棒振ってやうやうと連れて参りました。〈地〉一かどの御褒美頂きたふ存じます」と地に鼻つくれば、「〈詞〉でかした、でかした。御褒美は大学が、追ってよろしく計らはん。まづ晴明を呼び出だせ」かしこまって百姓ども「お召しお召し」と声々に、〈中ヲクリ〉呼ばゝり「御門へ立ち出づれば、
陰陽頭安倍晴明、今は町家に交はりて、麻の居士衣も物ふれど、昔にかはらぬ人品骨柄、「召しによって参上」と、白洲に頭を下げければ、「〈詞〉ヲヽ待ち兼ねし晴明。汝に尋ぬる仔細あり。手短く言ひ聞かさん。逐電した法皇に従ふか、今一天の主となる、この道長に従ふかそれ聞きたい」「ハァこれはまたお尋ねに及ばぬこと。法皇は仏道に入って御行方知れず、禁中は空位にて下々にいふ空き家同然。君御位に即き給ふ上からは、普天の下率土の内、〈地〉王土にあらずといふことなし」「〈詞〉ホヽでかした、でかした。褒美をくれん、それそれ大学、〈地〉台の物持参せよ」はっと仰せに持ち出づる、白木作りの菓子箱一つ、大床に差し置けば、「〈詞〉勅勘の罪を御赦免あり、〈地〉あまっさへ拝領のこの一品ありがたし」と立ち寄れば、早木大学ずっと出で、「〈詞〉久しう牢人してゐれば、辻占ひの滅多算、陰陽の博士心もとない。易を試す試みに、箱の内の色品を、〈地〉占ひみよ」といはせも立てず、にっこと笑ひ、「〈詞〉これしきに何占ひ。青々とせし柑子二つ」と〈地〉蓋を取れば、以前の枝付き。大学びっくり「さってもあふたり、占ふたり」といふを耳にも聞き入れず、御前に向ひ「〈詞〉時ならぬ庭前の柑子、木の実を結び候は、君において大不吉」と〈地〉言上すれば眼を怒らし、「〈詞〉柑子は仙家の玩び、長寿を保つ不老の果物、不吉とは道長が、吉事を挫くそゝごとか」「イヤイヤ、声と文字とはかはれども、好事門を出でず、悪事千里を行くといふ、王者を戒む教への詞」と、〈地〉いふにさすがの道長も、胸にきっくり「〈詞〉ムヽハヽヽヽヽ、箱の内よく占ふたり。汝が胸に畳み込む、その色品はまろが知る。幸ひなれば晴明に、只今見する者あり」と、〈地〉神璽の御箱取り出だし、「〈詞〉これはこれ三種の神宝神璽の御箱、仔細あって拝見許す。箱を開かぬそのうちに、宝の有無を考へよ。〈地〉もし仕損ぜば手は見せぬ」と、見下す眼に晴明も、はっと階下に両手をつき、「〈詞〉天子だにこの内を拝見なされぬこの神宝、我々が口にかけ、〈地〉申し上ぐるも恐れながら、君の勅諚違背はならず」と、しばらく思惟し考ふる、胸は冷汗に仰天の、色目をけどる大学が、「あるかないか、返事はどふぢゃ、どふぢゃどふぢゃ」とせり立てられ、思案一決、「〈詞〉いかにも神璽の御宝、箱の内に御座あり」と、〈地〉申し上ぐるを女気の、側からあぶあぶ「コレ申し、〈詞〉あるかないかゞ違ふやいな、よふ考へて御らふじ」と、〈地〉よそに知らせば見向きもせず、「〈詞〉いよいよ神璽の御宝、紛失は仕らぬ」「ムヽ神璽の御宝いよいよあるか」「いかにも左様」「汝が占ひ相違はあるまい。大切な御宝なれど、あるといふが面白い。明後ひつじの上刻まで汝に預くる。その時神璽ないといはゞ、引っ括って逆磔さかばっつけ」と、〈地〉抜き差しならぬ詞詰め。晴明はちっとも動ぜず、「〈詞〉時刻を待たず只今これにて御目にかけん」と、〈地〉蓋引き開くればコハいかに、中にはけやけき首桶一つ。はっと驚く夕なぎ御前、大学なほも詰め寄って、「〈詞〉この首桶を神璽とは、占ひ違へた大馬鹿者」と〈地〉反り打ちかくれば「ハヽヽヽヽ。〈詞ノリ〉この首桶こそ天津御末、三の君御親子は天下の宝、すなはち神璽。それがしが隠れ家にかくまひ申せど、御賢慮に見透かされしは絶体絶命。〈地〉神の御末の御若緑、首討って差し上げん」と〈フシ〉領掌すれば、
「〈詞〉あっぱれ晴明、でかいたでかいた。しかと神璽をこの箱に納め返せ」〈地〉はっとお受けの詞に夕なぎ、「〈詞ノリ〉これ申し晴明殿、すりゃ天皇の御首を」「ヲヽサ差し上げて恩賞受ける」「アノおまへが」「ハテくどい」と、〈地〉詰め合ひ詰めあふ二人の争ひ、中を隔つる早木大学、「〈詞〉おのれが夫頼光は、知れてある作り病。本復までこの膝丸人質」と、〈地〉聞くより夕なぎ「今にもあれ朝敵起こり、〈詞ノリ〉君を囲まば頼光が着慣れし鎧取って打ち掛け、〈地〉何万騎あるとても、斬り払ふは守護の役、〈詞〉夫の膝元話さぬ膝丸、人質にはなるまい」と、〈地〉互に引き合ふ鎧の草摺。関白須弥の崩るゝ大音、「〈詞ノリ〉この膝丸を人質とは、小さいちいさい。虚病にもせよ何にもせよ、参内のときまろが面談、違背せば一時に滅却。コリャ晴明、明後未の上刻に検使を遣はす。その時ちっさが首受け取り、それまで親子は汝に預ける。首綱掛かった二人のやつばら、〈地〉帰れやっ」とありければ、はっとお受けは難儀と難儀、「〈詞ノリ〉そんならいよいよ天皇の、お首を討ちなさるぢゃまで」「ハテさてくどい夕なぎ殿。さいふこなたは頼光殿、しかとお味方」「アイこの夕なぎが受け合ふた。いよいよお首を」「ヲヽこの胸に」「アノこの胸にや」「こなたも」「おまへも」〈地〉この胸にと、互に胸と胸の内、明かし兼ねたる大事の場、上には主従悦喜の眉、下には二人が塞がる胸、預かる神璽は親子しんしの命、屠所の未のさるにても、かはりの鎧は軽からぬ、重き思ひはこの首桶、睨む道長、隔つる二人、互の心谷の雪、〈三重〉解けぬ思ひぞ「切なけれ。
いとし子は寿命を延ぶる薬にて、命を削る剣かや、剣を渡る茨木の、里にすぎはふくだもの店、かけし弓矢は侍に似たる烏の鳥威し、隣は安倍晴明が、人相考へ看板に、近在近郷聞き伝へ、朝から詰める片隅に、我が子の童子は父に似て、机離れぬ書物好き、明けて九つ塔を積む、〈フシ〉子故に智者もなかりけり。
「〈詞〉もっと頤上げたり。ヲヽ良い相ぢゃ、額広く平かに、第一寿命長く、子孫繁昌至極の人相。荀子に非相の篇あれども、形の吉凶は争はれぬ。漢の高祖は股に七十二の黒子あって帝王となり寿いのちながし。喜んで帰らっしゃれ」「ハァアもっとも。私が鼻の先に、みっちゃが八十八あれば、升かけまでは生きませう。長生きは恥多しとは、〈地〉今聞こえた」とさゞめき立ち、〈中ヲクリ〉皆々「打ち連れ帰りけり。
前垂れの似合ふほどまでなり果つる、身の歌占は白紙の、障子ひそひそ「〈詞〉女房ども、お二人は御安泰なか」「アイ、三の君様はいつもの草子ご覧なされ、帝様も御機嫌よふ」「よしよし、朝餉あさがれいよりほどもあり、お菓子でも上げたいが」「申し小棚にかちんがござんす」「ヲヽそれそれ。〈地〉侘びたる中の御くだもの、柴折焚いてぼやぼやと、焚いてあげふ」と立ち上がる。「〈詞〉アヽコレ、そりゃ私がいたします。朝夕の御配膳も、なぜ言ひつけてはくださんせぬ」「イヤそふでない。お小さふても一天の御主、時なればこそ三枚敷の常寧殿、自身にお給仕なと申すがせめてもの御もてなし。天文の博士安倍晴明が、料理人するも時世時節。そなたも昔の晴明が奥とばし思やんな。辻山伏の女房、とうから言ひつけておくに、まだ物言ひが直らぬ。今の様にかちんぢゃのおあしのと、御所詞は近所の聞こえ、嗜みやたしなみや」「サイナ、よふ合点してゐるけれど、けふはお二人のお伽で九献が過ぎてな」「ソレその『九献』がもふ悪い。つゐ『酒』といやいの」「ホンニそれそれつゐ忘れて、〈地〉アヽ恥し」と袖覆ふ、〈フシ〉その育ちこそ恥しき。
軒端並べて巣立ち鳥、友呼びにくる幼な子の、後から内儀が「〈詞〉コレコレ竹童、またわやくして読み物の邪魔しやんな。ほんに毎日おやかましうござんせう」「アノおきはさんのおっしゃること。にぎやかで良い友達」「イヱイヱ、親の手にさへ余る悪さ。年はひとつ弟なれど、内方の童子様のおとなしさ、晴明様の子供の時の名をすぐに、二代の安倍の童子様。血筋は争はれぬ、一寸外へ出ずに、手習学問、上根なことはい。どふぞあの子にあやからふと、この子の名も竹童子とつけたれど、手習はせずに、斬り合ひしたり悪あがきばっかり。もふ明日から子供集めて、相撲取ることならぬぞ」「ムヽ相撲取るのが悪いかや。それでもかゝ様もとっ様とちょこちょこ相撲とらんす。そんならあれも悪あがきかや」「ヱヽつべこべと憎てらしい。そんなこといふものか」「ホヽヽヽヽ。イヤ子たちといふものは正直なもの」「イヱイヱ正直ぢゃない、ありゃみなうそ。今の様な口答へ、とっ様が聞かしゃんしたら、大抵のこっちゃあるまいぞや」「イヤとっ様は夕べ悪あがきしくたぶれ、よふ寝入ってゐやしゃる」と、〈地〉ひょんな意見に母親も、〈フシ〉赤らむ顔は娘なり。
「ハヽヽヽヽ」と笑ひと共に、開いた戸口は隣の与五作、「〈詞〉アヽやれやれ、竹童めが意見で、俺が相撲の手目上げをった。したがなんぼ隠しても、見通しの相見殿、俺は夜通しで昼寝の最中。かゝたしなめ、内が空いてあるのに俺一人寝さしておいて、大事の男を鼠が引いたら、晩から不自由にあらふがな」と、〈地〉叱ればほんに袖口に、〈中フシ〉笑ひ包んで内へ行く。
晴明も何気納戸口、「〈詞〉ヱ与五作殿、今朝からお声を承らぬ。サァサァこれへ」「イヤそのもとも大勢の人相見でほっとぢゃあらふと控へてゐた。思へば灯台もと暗しと、つゐにこちらが相を見てもらふたことがない。気にかゝるはこの倅が行末、ついでに見てやってくだされぬか」「ホヽゥ、御子息の人相は毎日見てゐる。六府三停よく慣れ合ひ、生長に従って富み栄へ、寿く極上々の人相」と、〈地〉聞いて落ち着く隣の喜び、羨むもまた母の情。「〈詞〉ホンニ申し、陰陽師身の上知らずと、こちの子の相はどふぢゃゑ」「ヲヽもとより倅は人に優れて立身出世、大果報ある生まれつき、寿命は百まで確かな相」「イヤコレそりゃ見立てが違ふた。何にも知らぬこの与五作が見立てには、そちの子の人相は、短命も短命、けふ一日の命と見た」「ヤそりゃまた何として」「〈地〉何故ぞいな」と驚く夫婦。「〈詞〉イヤびっくりせまい。けふうちの命といふことは、息子殿の人相より、親御の人相に顕れてある。おとゝゐ御堂の関白殿から俄のお召しは、かくまふてある帝様の詮議手詰めになって、あの子をかはりに斬る心であらふがな。最前壁越しの立ち聞き、奥にござるは一天の御主と、聞かぬ先から知ってゐます。コレ隠さしゃってくださりますな。安倍晴明様ともいふお方と、縁あればこそ隣同士、お心安ふいたす冥加、御夫婦のおためには、命でも差し上げふと思ひ込んでゐる男、お包みなさるは恨めしい。ヱヽ一合でも侍の米食ふたら、さほど疑ひもなされまい。根性まで見下げられる、町人に生まれたが口惜しいはい。〈地〉口惜しうござります」と、ひれ伏す涙しみ込みし、〈スヱ〉畳に見ゆる真実心。
「〈詞〉ヲヽ過分なり与五作。推量に違はず晴明が所存、とっくより一決せり」「〈地〉ヤァアそんなら童子は殺さるゝか。夕べにもけさにも、なぜこの母にはおっしゃらず、立身の果報のと、けふ死ぬるが何の果報。どふよくやいぢらしや。イヤイヤイヤ、なんぼでもこればっかりは」「〈詞〉ヤァ未練至極。まさかの時は倅をと、平生に言ひ聞かせおくをどこへ聞く。長生きして晴明が倅、死して一天の君と呼ばるゝは、この上もなき立身出世、果報ではあるまいか」「イヤ申し、その果報を与五作に売ってくださりませぬか。人の出世をかち落として、近頃無体な所望なれど、この竹童めも大概同じ年格好、どふぞこいつに果報を譲ってくださりませ」「ムヽもっともの所望なれど、この晴明が倅を斬るは君のため、何のよしみもなきそちが子を、殺すべきいはれなし」「イヤいはれがござります。この竹童めは春の大病ですでに死ぬるところを、おまへ様の祈りのかげで助かった命、おまへに返せばもともと。是非この望みは」「イヤイヤイヤ。君の大事に我が子をかばふ、不忠者の晴明と言はする気か」「そんならこの与五作を、恩知らずと言はすお心か。どふあってもこの竹童を」「イヽヤ我が子を」「我が子を」と、〈地〉どちらを聞いても女気の、道理至極の胴欲に、〈フシ〉恨み様さへ涙なり。
晴明やゝ思案を定め、「〈詞〉いつまでいふても同じ争ひ。所詮運を天に定め、我が子の命を籤取りして、勝った方をお役に立つれば、恨みは残らじ、なんと何と」「〈地〉アヽ聞き届けし」と与五作が、菓店の鳥威し、「幸ひのこの弓矢、〈詞〉面倒な籤取りより、賭け的の勝負が近道」「ヲヽ面白しおもしろし。〈地〉童子来れ」と膝近く、「コレコレ与五作、御籤のかはり正直の、二人の子供に弓引かせ、的は垣根に咲いたる菊。養ひ育てし親々が、寵愛劣らぬ花の首、射切った方が御身替り。かの菊慈童が百歳もゝとせまで、生き延ばゝりし白菊の、齢を散らす二人の童子、幼けれども忠臣の、家名の花を世に咲かせよ」と、勇むは忠義、恩愛の、花にも涙はらはらはら、子は露ほども白菊の、兼ねてぞ父が心あて、〈フシ〉置きてもまどふ親心。
母は千草と乱るゝ胸、我が子の矢先外れよかし、むごい気ながらよその子に、命の的を射させてたべと、祈る隣の子は外れ、負けよと思ふ我が小菊、花の喉首ふっつと射切り、「勝った勝った、わしが勝った」と、何にも知らず喜ぶ子、ハァはっとばかりに取り乱す、女房をはったと睨み、「〈詞〉ヤァ覚悟の上に何泣くこと。その涙を晴明は、半年前に流したはい。今日に極まる命、時刻が移る、サァ用意」「アイ」「ヱヽまだぐどぐどと。眼前御籤の矢が当たったは、いよいよ倅を殺せとある、神仏の御指図、嘆くは神明の心にさかふ、罰を知らぬか、たはけ者」「アイ、罰を思ふも子があってこそ。〈地〉いとしかはいの子を殺す、この上の罰があろかいな」と、〈スヱ〉わっと叫べばもらひ泣き、
「〈詞〉ヱヽ与五作が思ひ込んだ、大事の的を射損じをって、童子様をといふてから、定業は是非がない。内方はお取り込みぢゃに、せめてこちの仏壇で、御回向なと申しましょ。なんまみだなんまみだ、〈地〉竹童こい」と手を引いて、泣く泣く出づるよその子を、羨ましげに歌占が、見やり見返り見かはせば、夫の顔も秋日和、〈色ヲクリ〉時雨の「間へと連れて入る。
然る折から表の方、京家の武士と看板の、揃への六尺供回り、若党前後を挟箱、〈コハリ〉心は草にもおく霜を、歩むがごときしとしと足、「〈詞〉晴明が宅これなり」と、〈地〉申し上ぐれば乗り物立てさせ、悠々と立ち出づるは、剃下げ頭の釘抜き奴、四方に目をつけ「〈詞〉ヤイ家来ども、身が呼び出すまで汝らは、近辺に控へてをれ」「〈地〉ハァはっ」と答へも忍び声、互にひそめき笹原の、陰に皆々遠ざけて、門口に小腰をかゞめ、「〈詞〉ちとお頼み申したふごはります」〈地〉案内は誰そと出で向ひ、「〈詞〉ホヽお使ひはどれからお出で」「イヤ左様ではごはりませぬ。あなたにはよく人相を御らふじると、承り及んで拙者めも、でっかちなく出世を望む身だから、貴人の相があるか見てもらひたふごはります」「安いこと、安いこと。〈地〉サァサァ近ふ」と膝と膝、「〈詞〉ヲヽなかなか良い人相」「イヤとくと御らふじませう。何とこの面が貴人と見えますか、但し下郎と見えますか、承りたふごはります」と〈フシ〉押し返せば、
「〈詞〉ムヽ、いや気遣ひめさんな、貴人の相はの毛で突いたほどもない。下郎も下郎、ゑのころと傍輩。人相の面〈地〉かくのごとし」とありければ、「〈詞〉ヘヽヽヽヽ。二合半のこのなりを御らうじて、下郎の相とは押し推と申すもの」「イヤイヤイヤそふでない。下郎といふは、衣服でなく面体でなく、心の下郎といふこと。御辺は大身の侍、何ぞや夜盗非人のごとく、身を化け散らし偽り表裏。武士に肝心の誠がなければ、下郎といふが誤りか」と、〈地〉やり込められて立ち直り、「〈詞〉さすがは晴明。誠は御堂殿の忍びの目付、斑鳩修理といふ者。この茨木の茅屋にかくまふた天皇が首、三日がうちに持参せんと、その方が請け合ひなれども、古狐の安倍晴明、逃さぬ様にこっちから押しかけた。つゐぶち斬ってサァ渡せ」「ヲヽ、さあらんとこそ思ひつれ。〈地〉すなはちとくより用意せり。〈詞〉ヤァ女房、片時も早く、御首討って持参せよ。〈地〉歌占々々」と呼べどもさらに〈フシ〉答へなし。
「コハいぶかし」と一間のうち、駆け入り見れば南無三宝、童子も母も行方なし。さもあれいかにと尋ぬる隈々、何かは知らず白紙の、障子の裏に書き付けたり。「『〈詞〉書き残す一通り。自ら女心の浅ましさ、一旦覚悟は致し候へども、切るに切られぬ輪廻に迷ひ、童子を連れ身を隠し申し候』。〈地〉ハァ見違へたる不所存者」憎さ切なさせん方なさ、「イヤ俄かの当惑心得ず。〈詞〉ソレ家来ども」〈地〉はっと一度にばらばらばら。「〈詞〉アヽこれこれ、聊爾せまい」「ヤァ胡乱者、渡さずば込み入って家探しせうか」「イヤそれは」「〈地〉なんと何と」と罵る声々、千の矢先を胸板に一度に受くる苦しみの、真っ只中へ分け入る与五作、「〈詞〉待ったまった。家探しに及ばぬ、その帝様は私が、討ってお渡し申しませう。イヤサこれこれ晴明殿、もふかうなったら是非がない。手詰めの難儀と見たによって、我が子より大切な、こちの帝を斬って出す、ノ合点か」「ハッア過分」〈地〉忝けれど我が心の、残念さはいかばかり。「〈詞〉サヽもっとも、もっとも。大事のお人を殺すこっちゃもの、俺ぢゃてゝまっさら、木竹の枝切る様にはござらぬ。たゞ案じるは御最期が未練で、こちらが様な町人百姓の子と一口に、いはれては口惜しい。〈地〉この上のお慈悲には、しばらく御猶予くださりませ」と、願へば斑鳩、「〈詞〉ムヽさては詮議を逃れんため、おのれが内に預けて置いたな。にっくい晴明、ゑいは、しばらくがうちきゃつを人質、その間に早く片付けい。腕回せ晴明」と、〈地〉権威の声も高手の縄、かゝる恥辱は君がため、宙に引っ立て「ヤァ下郎、〈詞〉必ずいぬると思ふな。裏口を取り巻いて控へてゐる。うぢうぢしても焼け石を這ふ蟻同然」と、〈地〉肩肘斑鳩生まれつき、〈中ヲクリ〉縄付き「押し立て出でゝゆく。
短き命、秋の日と、ともに傾く額の内、種々の思案を寄せけるが、胸を極めて表に出、「竹童々々」と呼ぶ声に、「アイ」と内より何の気も、つかつかと駆け出づる。「〈詞〉つっとこい、〈地〉こゝへこゝへ」と膝元に引き寄せ、「〈詞〉幼けれども聞き分けよ。十善天子の御身にかはって、未来成仏疑ひなし」と、〈地〉思ひ切って抜かんとする、柄に縋るは女房お際、「ヤァ大事の場所にをなごの差し出、そこのけ女房」「〈詞〉イヤイヤイヤ、大切な義理のある、この子はなんぼでも殺されぬ。コレこなさんは気が違ふたか。アレ隣の歌占さんは、本の子でさへ命をかばふて、かげ隠してぢゃないかいの。ましてこの子を殺さして、どふ義理が済むものぞいな」「サァその義理を立つれば、与五作が晴明様へ、この顔が合はされぬ。〈地〉放せ」「放さぬ」女の力、命の際が一念力、せり合ふ始終奥の間に、聞こし召されし三の君、帝を供奉し出で給へば、「ハッハッ」と思はず飛びしさり、〈フシ〉恐れ敬ひ奉る。
「〈詞〉さてもさてもしほらしや。〈地〉住み慣れ給ひし雲の上は、虎臥す野辺と成り果てしに、かゝる葎の住居にも、天照神の御恩を忘れず、一人子を捨つる志、岩の狭間の花とやいはん。さりながら罪なき人を殺さんより、とてもかくまで傾く御運、物憂き世を捨て自らが、未来へ供奉し参らせん。仏の御名を唱へさせましませ」と、仰せ捨てゝぞ泣き給ふ。「〈詞〉アヽこれはこれは、御もったいない。今のうちの御難儀は、笠召したお月様。雲が晴れると元の位にお帰りなさるゝ。大切なお命と、きりうぢ同然の倅が命、天子様になって死ぬるは蚯蚓の天上。〈地〉サァ今が最期」と抜く刀、「イヤイヤならぬ」と支ふる女房、小腕取って膝に引っ敷き、「〈詞〉サァかう根性が定まるからは、あなたが御得心なふても、倅めは殺します。役に立てふと犬死させふとお心次第」「〈地〉ヱヽ頼もしい。さほどに思ふてたもる上は、いたはしながらそんならお役に立ってたも。〈詞〉帝の御身にかはるからは、もはやその子はこれまでの竹童ならず、只今一条の院といふ御名を譲り、御装束をもくださるゝ。〈地〉せめてはそれを思ひ出に」と、召させ給ひし御衣・冠、とくとく脱がせ奉り、「忝くも竹童が、出世は母の涙の種。妨げひろぐ女め」と、早縄かけて門柱、締め付けしめつけ戸をびっしゃり、門に気をもむ、内も気を、木綿袷のその上に、山鳩色の御装束、誰かはつゐに金巾子こじの、初冠の大君姿、見かはすばかり見えければ、その手を取って三の君、遥か上座に押し直し、「いざとよさらば帝様、今死ぬる子に暇乞ひあそばしませ」と勧められ、立ち寄り給ふを与五作が、〈フシ〉足下にはったと蹴落としたり。
はっと驚く三の君、ともに駆け下り縋りつき、「お怪我はないか帝様、気が違ふたか与五作」と、心迷ひの御気色に、からからと打ち笑ひ、「〈詞〉ホヽゥ合点が行くまい、最前からいふたは皆嘘ぢゃ。蚤にも食はさぬ大事の竹童、身替りに立つると偽ったを誠と思ひ、天子の名を譲ったれば、今日より六十六代の天皇はこの竹童、今蹴落としたは天子の抜け殻。御衣・冠を引っ剥いだれば、無位無官の平人、天子の御座近く慮外千万、〈地〉すされやっ」と睨めつくる、眼中骨柄世の常ならず、不審立ち聞く女房も、〈フシ〉戸口に耳を寄せゐたり。
「〈詞〉ヱヽ口惜しや、さては我が子を世に立てんとの欲心であったよな」「〈地〉ヤァ欲心とはけがらはし。竹童といふは我が子でない、〈詞〉清和天皇の御孫、多田満仲の三男、美女御前とはこの幼な子。かくいふ我は仲光が弟、主馬蔵人仲時といふ者。この若君六歳まで、女房が乳房をもって、やんごとなく育てしに、天子御幸の車先、下馬せざりし咎とあって、首討てとの父の難題拠なく、兄仲光が忠義にて、やうやうに命を助け、それがし伴ひ立ち退きしが、つくづく思ふに、頼光・頼信はてかけ腹、この美女御前は御台の腹に出生。種腹共に正しき血脈、〈地〉いかに遅れて生まるればとて、将軍職を越えられ、山奥に追ひ退け、〈詞〉伴ふ者は賤しき商人、牛飼童、見るを見真似に自づから、〈地〉清水の月と濁り江の、月に二つはなけれども、移ればうつるならはしに、大将の威も失せて、深山の鹿猿しゝさる同然に、次第に下賤に生ひ育つ、いたはしさ奇怪さ。〈詞〉父満仲のつれなきも、元の恨みは天子にあり。所詮将軍の望みは叶はず。〈地〉元より間近き王孫なれば、一飛びに天子となし、頼光・頼信、六十余州の、諸武士を残らず幕下につけんと、思ひ立ったる忠臣の、魂天に通じてや、図らず隣へ来たりし晴明。スハ時節到来と、無二の性根を見せかくれば、〈詞〉陰陽道に名を得しきゃつも、この仲時が胸中は、いっかな得知らず。まして浅はかなる女ばら。ヤァ女房あれを見よ、〈地〉御衣・冠を召し給へば、今日十善万乗の、御即位の大礼、謹んで拝聴仕れ。ハッア忝や嬉しやな、そもいかなる吉日なれば、この日頃、夜に増し日に増し無念々々の我が蟄懐、たちまちに開きしは、あら快や本望や。〈詞〉これこそ関白が館にて、盗み取ったる神璽の宝。〈地〉これをもって国々の軍勢催促まのあたり、我将軍と押し成って、武名を天下に輝かさんこと、方寸に徹したり」と、躍り上がり飛び上がる、〈フシ〉大勇の気象ぞ逞しき。
女房外より声をかけ、「コレコレ仲時殿。〈詞〉美女御前のお命が助かるは嬉しいが、天皇様のお身の上は」「ヲヽ問ふまでもなし、首ぶって渡すはい」「イヽヤそりゃ非道でござんせう。神の御末を手にかけて、お主に罰が報はいでならふか」「〈地〉ヤァあまちこい、大丈夫に報いがあらふか。〈詞〉時刻が移る、サァ天皇、覚悟めされ」と立ち上がる。「〈地〉ヱヽ天命知らず」と三の君、思ひ切って突っかくる、守り刀をひったくり、帝をめがけひらめく刃、後ろに囲ふ三の君、じりゝじりゝとつけ回す、危ふさひやいさ門口に、焦る体に簀戸めりめり、すぐにこけ込み縄付きながら、〈中コハリ〉白刃の中に我が身の隔て、隣の店を踏み破り、熊鷹眼の斑鳩修理、「渡せ渡せ」とせり立つる、〈ナヲス〉声もろともに斬り込む刃先、縄切りほどけあへなくも、御首はっしと打ち落とす。ハァハァはっと女房が、思案とむねに美女御前の、〈フシ〉手を引っ立てゝ駆け入ったり。
「〈詞〉サァ帝の首受け取られよ」と〈地〉差し出せば奥の間より、「〈詞〉ハヽヽヽヽ。我が計略違はず、今上皇帝玉体恙なく、これに渡らせ給ふぞ」と、〈地〉御手を取って安倍晴明、錦の茵うづ高く、その身も装束凛然と、夫婦前後を守護の体。仲時きっと見、「ヤァ心得ず。〈詞〉おのれが倅を敬ふといひ、最前縄ぶって連れていた、斑鳩修理は」「ホヽゥ、幼少より武者修行に出で、友傍輩の交はりなき、独武者保昌ほうしゃうとは我がこと。主君頼光の命によって、よそながら帝の御守護、〈地〉匹夫の身として天子に敵する、神罰思ひ知ったるか」と、てうど睨めばゑせ笑ひ、「〈詞〉神罰があるかないか、ぶち斬った天皇、対面せい」と〈地〉投げ出す首にしがみつき、「こらへてくだされ、晴明殿」と、わっと叫んで泣く歌占、さしもの仲時呆然と、〈フシ〉大息ついで詞なし。
「憚りあり」と晴明は、三の君を上座に移し、「〈詞〉当春、この茨木の里へ御供せしより、与五作が心底その意得ず、恐れ多くも顔ばせの、似奉りし我が倅、童子を天子と取り替へおき、もったいなや玉体を、晴明が子と呼ぶたびたび、〈地〉夜昼口より炎を吐く、大焦熱の苦しみの、その甲斐あって今日只今、〈詞〉仲時が陰謀の、害を免れ給ふといひ、邪智深き彼が眼さへ、誠の天子と欺きおふせし上からは、いはんや生き顔と死に顔、関白方へ遣はさんに、よも偽りと思ふまじ。〈地〉さすれば一つの首をもって、二人の朝敵欺くこと、ひとへに天津神徳の、未だ地に落ちざるところ、ハヽァありがたし、ありがたし。喜べ女房、〈詞〉倅が命はわづかなれども、〈地〉一天四海を安んずる、忠臣の鑑となるは、〈詞〉嬉しうないか」「アイアイ嬉しうござんする。上様になったあやかり者、〈地〉でかしゃったのふ。コレ童子、春から同じ内にゐても、我が子といはれぬ主あしらひ、側に寝ることさへならず、今といふ今とっくりと抱くはいの。〈詞〉とてものことに、どうぞ一言かゝ様と、〈地〉いふて甘へてたもいの」と、死骸を肌に抱きしめ、返らぬ悔み、晴明も、我は泣かぬと思へども、〈ノル〉襟に隠れはなかりけり。
保昌いらって、「ヤァヤァ仲時、源家の禄を食みながら、頼光に弓引く極悪人、〈詞〉御前へ引っ立て面縛させん。〈フシ〉腕を廻せ」と詰めかくれば、「〈詞〉ハヽヽヽヽ。この仲時が主人と呼ぶは先君まで。頼光に仕へねば、飛び火ほども恩は受けぬ。〈地〉美女御前を守り立てゝ、清和天皇の昔に返し、腰抜けの源氏ばらに目を覚まさする我が大望、〈詞〉顕れたからはなほもって、天皇始めおのれら一々首切り並べ、軍神の血祭り、観念せよ」「〈地〉ヤァうぬが首を血祭り」と、双方一度に詰め寄るところに、いつの間にかは隣の内、懐剣逆手に美女御前、その手に縋るお乳の人、「〈詞〉コレコレコレ仲時殿、養ひ君が始終を聞いて、『二人の争ひも我ある故、兄頼光への言ひ訳に自害する』とてコレこの通り。子心でさへ聞き分けあるに、情ないその片意地。帝様に刃向かはしゃんすと、この手を放すがサァなんと」と、〈地〉差し当たったる刃の難儀、「アヽ聊爾すな女房」と、〈スヱ〉刀もなまる無念の歯噛み。
引っ立て行かんと駆け寄る保昌、晴明押し止め、「アヽまづ待たれよ。〈詞〉いかに仲時、我陰陽に妙を得て、柑子は柑子、鼠は鼠と、箱の中を察するそれがし、まして汝が胸中、一目見て知ったれば、とっく討ち取るは安けれども、日本武士の宗廟たる、満仲の御子美女御前、〈地〉悪人の塵に埋もれて、身を果たされんいたはしさ。〈詞〉ことに汝が兄仲光、一子香寿丸を身替りに立て、一旦助け申せし命、〈地〉その時の仲光が胸のうちも、今日晴明が童子を殺す悲しみも、恩愛節義の涙の色に、勝り劣りのあるべきか。仲時心を改めなば、美女の命は助けんと、底意を探る計略は、〈詞〉情の術と知らざるか」と、〈フシ〉理非明らかなる詞の縄。
それと解いたる歌占が、「我が子の敵」と美女御前の、冠はたと打ち落とし、「〈詞〉サァ朝敵の首討ったれば、君の御身に気遣ひなし。〈地〉めでたふもとの帝様」と、御衣・冠を捧ぐれば、散り残ったる白菊の、一もとすっぱとお乳の人、「〈詞〉コレ見給へ仲時殿。天子になぞらふ菊の首、切り取ったれば勝負は五分々々。〈地〉これで互に了簡して、この場の恨みを散らして」と、捨つるは隣の香花と、双方無事に納むる機転も〈フシ〉菊の切首。
「ヲヽいしくもしたり、吉相々々。〈詞〉ヤァヤァ保昌、端武者は相手にせぬ仲時、日本国を引き受けて、都の根城に立て籠り、心静かに戦をせんぞ。立ち帰って頼光に、首を預けておいたと言へ」「〈地〉シヤしゃらくさい広言かな。〈詞〉戦の法も得知らぬ盗賊、旗揚げまでに汝が首、保昌が手に提げるは追っつけ追っ付け」「〈地〉イヤちょこざいな、見事おのれが」「イヤおのれが」と、劣らず負けず勇者の情、〈フシ〉中を制する仁智の徳。
三の君は幼子の、帝にかはる命の恩、「童子とな思し召されそよ、御身の守り本尊ぞや」と、首を御髪みぐしに乗せ給へば、「ハッアこは恐れあり、冥加なや。〈詞〉晴明朝家に連なれども、昇殿さへもゆりざるに、〈地〉父に勝りし果報者」未来は九品、蓮の露、夕べは玉の子と見えて、けさは草葉に消え果つる、身はかげらふにたぐへても、名は秋津洲の孝行と、なるは暮六つ、修羅の声、「〈詞〉帰れ保昌」「立ち去れ仲時」〈地〉美女を伴ひ立ち出づれば、君を守護して警蹕を、唱ふる虫の声々も、泣かれぬ身には羨まれ、包む死に顔今一目、都へ急ぐ晴明が、のちの童子の涙の跡、睨んで左右へ別れゆく。


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