「崇徳院讃岐伝記」翻刻 初段

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金毘羅御本地 崇徳院讃岐伝記
〈序詞〉保元物語の序に曰く、天文を観て時変を察し、人文を観て天下を化成す。これをもって政道理に当たるときは、風雨時に順ひ国家豊饒ぶにゃうなる、豊秋津洲の百姓おゝんたから、慈しみまします徳をたっとび給ひければ、崇徳院しゅとくいんと尊号し〈ヲロシ〉天祚あまつひつぎしろし召されけり。
〈地〉かほどの賢君なりけれども、濁世じょくせのならひ力なく、執柄しっぺいの沙汰として、御弟親王みこに御位を譲りかへ、無体にこの君を押し下ろし奉れば、心ならずも大内山を下居の宮に入り給ひ、新院と申し奉り、布衣始めの儀式とて、禁裏よりは在番の武士六条判官源為義、六位蔵人平長盛ら、警衛のために伺候すれば、公卿衣紋の色目さへ、うつろひ菊の狩衣や、烏帽子をけふの晴れ着にて、〈フシ〉院参のさまつきづきし。
遥か時移って、執柄富家禅閤ぶがのぜんかう忠実公、薙髪入道のさまながら、なほ禁中の権を執り、四海を蝿虫と見下す我慢、院中を踏み散らし、上座にどっかと座し給へば、勅使中納言雅頼卿、玉座に向ひ謹んで、「〈詞〉今上詔候は、君御在位の間天が下おふどかに、国民喜び申すところ、思はずも禅閤の計らひにて、不徳の我が身十善の位を受け継ぐこと、その恐れ少なからず。せうとの御恵みには、たとへ位は去り給ふとも、万機の政は院より御沙汰賜るべしとの〈地〉御事なり」と述べらるれば、叡感ことに浅からず、「いしくも勅諚あるものかな。〈詞〉兄弟は手足のごとし。我が国の始め、大日霊おほひるめ・月読尊、月と日と相照らさば、など暗からん天が下。宸襟安く思されよと、勅答申せ」と〈地〉詔。勅使もはっと喜悦に開く右眉の烏帽子恭しく、御冠と召させ替へ奉れば、布衣始めの御寿、〈フシ〉各拝し申さるゝ。
禅閤忠実礼儀もなく、簾中につっと入り、玉座の左にむんづと座す。雅頼驚き「コハ恐れあり何事」と聞きもあへず「〈詞〉何の恐れ。天子にこそ恐れあれ、弟宮に位を譲れば、天に二つの日なく、地に二人の王なし。烏帽子を着るが平人のしるし、臣下には官位あり、天皇が位を下りれば無位無官の下郎。当今後白河院はまだ子供上り、乳の味忘れるまで天下の政道それがしが執り行へば、今日より天皇はこの禅閤。百官我を拝せよ」と〈地〉面に顕す逆意の相、諸卿の面々興醒めて、頭は下げねどおのづから〈フシ〉さしうつむいたるばかりなり。
平長盛したり顔、「〈詞〉崇徳院位を下り給ふは天下泰平の瑞相。総じてこのごろもの騒がしきは、上一人の暗きによる。いつぞやより三種の神器の一つ、十握とつかの宝剣行方知れず。御位極まる上は、この御詮議肝要に候」と、〈地〉申す詞も終はらぬところへ、禁中の御番に候ひける、千葉庄司常重、息を切って馳せ参じ、「〈詞ノリ〉夜前何者とも知らず、内侍所の御鏡を奪ひ取りて立ち退き候。御番にありし我らが誤り拠なし。上の御政道を相待ち候はんずれども、武士の作法を守りたき老人の願ひ、まっぴら御免下さるべし」と申しもあへず押し肌脱ぎ、〈地〉差添を腹に突き立て引き回し、玉座の方へ居直って、うつぶしに伏したりし、〈フシ〉武士の最後ぞ潔き。
禅閤突っ立ち、「〈詞〉宝剣紛失の上、内侍所を奪ひしは尋常よのつねの盗賊ならず、詳しく詮議もすべかっしに、是非の沙汰なくくたばったか。馬鹿親父めが死に体、築地に捨ておき烏の餌食。〈地〉よしよし二品あらずとも第一の宝、神璽はとくより我が預かり、肌身を離さず。〈詞〉この印さへある時は、軍勢催促に不足なき、禅閤が治むる天下は万々歳。〈地〉いざ大内へ還幸せん」と、のっさのっさと立ち帰れば、御簾ぎょれんもさっと下居の御所、〈ヲクリ〉皆々「打ち連れ退出ある。
為義も御座を拝し立ち出でんとするところに、「〈詞〉しばししばし、な帰りそ為義」と、院宣高く聞こゆれば、「ハァはっ」と立ち帰り〈フシ〉平伏す。
君しづしづと庭上に出御なり、錦の袋に納めし御太刀一振り携へ給ひ、「〈詞〉神代には天忍日尊あまおしひのみこと、人の代に物部氏、武士ものゝふの名起こってより、文武の二つは国の柱。なかんづく満仲まんぢう頼光らいくゎうより相続いて、忠臣の心中を見届けし故、この太刀は鵜丸うのまるとて、我が秘蔵なれども汝に与へ、朕が頼むべき仔細あり。違背すまじきや」と宣へば、〈地〉為義横手をてうど打って、「〈詞〉ハァあっぱれ明君の御詞や。綸言は汗のごとし、背く者なきは申すに及ばず、賤しき武士のそれがしに、御頼みの印に賜る鵜丸の御太刀は、四海を呑んだる逆臣の、〈地〉喉を貫く御太刀候な」「〈詞〉ヲヽ早くも悟ったり。玉座の元を離れぬ朝敵、今上の御命危ふしあやふし。これこそ征夷将軍の節刀、しきみの外は武将の下知。〈地〉今日よりの大将軍」と手を取って上座に勧め、しさって拝し給ひければ、「コハ憚りあり、もったいなし」と謙るを、「イヤイヤイヤ、〈詞〉天下のため君のため、為義を拝すと思ふべからず。〈地〉我が日の本を守護し給ふ、天神地祇宗廟に下る額ぞ」と、烏帽子を庭につけ給ふは、すなはちこゝに天神地祇の影向ますかとありがたさ、老いの肌骨にしみ通り、すり込む頭も破るゝばかり、かたじけ涙を絞りしが、「〈詞〉御心安かれ。軍の勝負は天にあり。〈地〉為義が皺腕の続かん限り、たとひ討死仕るとも、一天の御主に頼まれ申す果報者、〈詞〉生き過ぎて益なき命と我が身を悔やみし六十年、我ながらかしこふぞ長生きせし。長居せば人や見ん。早御暇賜るべし、〈地〉入御なり給へ」と座を改め、さあらぬ体にて退出す。頼むは天下に一人の君、受くるは坂東一人の勇者、武士の水上源氏みなもとうぢ、臣は水なり君は船、船路陸路くがぢの願までも、守らせ給ふ御誓、さてこそ金毘羅権現と、讃岐の波の音に聞く〈三重〉神の恵みぞ「ありがたき。
初秋や、月に六日の御斎日、利生を壬生の地蔵尊、〈半太夫〉まふで廓の風俗は、人目にそれと賤花とて、九条の里の年も明き、身儘になれど儘ならぬ、〈本フシ〉二世とかねたる恋仲の、千葉助常胤が、父の勘気も我故に、どふぞ詫びして添ひたやと、〈フシ〉歩みを運ぶぞ殊勝なる。
禿の弁弥が不審顔、「〈詞〉申し太夫さん、けふは千葉助様に逢ひに行くとおしゃんして、来て見たりゃ地蔵さんのところぢゃあった。ヱヽそれで読めた。千葉助様が常々おまへを借りんす故、〈地〉借る時の地蔵さん、それでこゝへお出でたか」と言へばにっこと打ち笑ひ、「〈詞〉サイノ、久しう頼りも遠ざかり、〈地〉案じも新たな地蔵様、大そふな願参り、近いと思へどしんどかろ。アレアレ向ふに綺麗な茶屋。しばしが間あそこへ」と、並ぶ床几の足休め、おろせが下げるたばこ盆、細ききせるの煙より、勘当の身は世も狭く、いつを月とも星の紋、千葉助常胤は、父が最期もいさ知らず、色にぞ縁の深編笠、それとはすいの賤花が、「ナフ千葉助さんぢゃないかいな」と言ふにびっくり「〈詞〉これはこれは賤花か、思ひがけなや久しや」と、〈地〉笠を取る手をじっと取り、「〈詞〉コレ久しいどころぢゃござんすまい。ほんにほんにおまへはどうよくな気にならしゃんした」と〈地〉言はせも立てず、「〈詞〉アヽぐちなぐちな。請け出すは世上のうは気、年の明くのを待ったうちにこのざま。〈地〉親将監の勘当ゆりるまでは、崇徳院の若宮、千里の宮様にかくまはれてゐる身の上なれば、〈詞〉文もやられず行かれもせず、ところにけふかの宮様、中納言雅頼卿の息女浮寝の姫と、人知れず文のやりくり。その媒は姫君の御内の娘、桜木といふて鎮西八郎がいひなづけ。〈地〉地蔵参りをかこつけ、高はお二人に枕かはさす忍びの出合ひ。我らも宮の御供して、この茶屋が奥座敷。〈詞〉首尾してからいこと思ふほど遅い姫君、待ちかねて出たところ、そなたに逢ふたも地蔵菩薩の引き合はせ。〈地〉幸いそなた俺に替はって、お二人を媒して寝さしてたも。頼む頼む」と言ひければ、「そんなことなりゃ皆もっとも。わしに任せておかしゃんせ。ことに下地は濡れた袖、なんの手管もいるまいぞへ。気遣ひなされな、受け込んだ」「そりゃ嬉しい、さりながら、なんのかので隙もいらふが、里の守備は大事ないかや」「〈詞〉ホヽヽ身儘になった一徳、〈地〉おまへに任せたわたしが身、とふから女房ぢゃないかいな。したが弁弥は先へいにや」「あい」と返事も長畷、おろせが連れて九条の里、見送る空も恋の昼。約束の時移り香に、心ときつく初恋路、けふの逢瀬を嬉しくも、また恥しのもりの露、浮寝の姫を誘ひて、あとに立木の桜木が、同じ振袖振り分けて、これも殿御はありそ海、底意はとけぬ独り寝の〈フシ〉思ひを包み歩みくる。
「テモ待ち兼ねた」と千葉助、千里の宮を守り奉り、めまぜ仕方を賤花が、会釈もさすが人馴れて、姫君のそばに手をつかへ、「〈詞〉私は賤花とて、千葉助が隠し妻。こんなことの取り持ちは殿たちではいかぬ故、ぬしに替はって私が差配。桜木様にも初対面、〈地〉何かはあとでゆるゆると。マァ差し当たるは肝心の新枕、打ち揃ふた御器量よし。定めてお文も美しう、歌は源氏に伊勢小町、業平勝りの千里の宮様、お文のお礼をつゐ一口おっしゃれいの」と勧められ、たゞ「よい様に」とばかりにて、恥しぶりのお顔ばせ。姫も何とか石橋の文の詞のほかよりは、直に磯打つ胸の波、立ち寄る袖もおぼこ育ち。桜木はもどかしく、「〈詞〉さってもしたり。その様にはもじがり、これがマァ済むものか。いたらかういを、どふいふてと、道々もおっしゃった詞と違ふてわたしらまで、つきほがなふてしんきなこと。ちゃっといて抱きついて」と、〈地〉押してやしほの下紅葉、顔も照り葉の初時雨。互の袖を賤花が、「その手を背中へコレかう」と、抱き合せたる妹と背の、〈中フシ〉わりなき仲とぞなり給ふ。
「サァこれからが肝心要。ぱっちり扇の具合と具合、サァサァ早ふ」と勧めても、互に見る目恥らひの、中を汲み取る賤花が、「辞儀も遠慮もことによる。首尾も葦簀」の内と外、千葉助が目遣ひに、〈ヲクリ〉打ち連れ「てこそ入りにけれ。
六条判官為義の八男、鎮西八郎為朝は、その生まれつき荒々しく、成長を見ることは父にしかず、旧里も遠く追ひ下され、鎮西に育ちしが、このごろ都につき弓の、矢束は誰に劣らねど、父が不興に世を忍ぶ、〈フシ〉人めせき笠床几の前。
それと見るより千葉助、「〈詞〉よくぞ尋ねて八郎殿。〈地〉幸いあたりに人もなし、笠取ってしばらく」と、勧むる床几にしりこたげ、「〈詞〉きのふ御室で物語った、互の親へ詫びの筋、貴殿がことはこの八郎、将監殿へ申す所存。それがしが詫び言は、いよいよ貴殿を頼み申す。〈地〉幸いかな父為義、この壬生寺へ詣での由、願ふところの幸い幸い。途中ながらも訴訟を頼む」「〈詞〉なるほどなるほど、互に詫びをしあふからは、そっちの詫びはこっちの手がゝり、待ち合して申す所存。〈地〉こっちのこともぬかりなふ、頼み入る」とは言ひけれど、詫びする親は腹切って、この世にないとは露知らぬ、二人が談合とくよりも、後ろに立って桜木が、いひなづけの我が殿御、初めて顔見る八郎様、飛び立つ思ひに気はもたもた、こけるふりして抱き付けば、八郎ぎょっと「コリャ何だ、人違ひか」と振り放せば、「〈詞〉ホヽヽヽ鎮西八郎為朝様、人違ひで良いものか。親々たちの許しの出た、おまへの女房桜木でござんする。待ちかねてゐた年月も、隔たる住居は是非もない。けふはお登りあることか、明日は都へお帰りかと、烏の鳴かぬ日はあれど、思ひ出さぬ日とてはなし。〈地〉お顔を見たりゃ祝言して、夫婦にせうとの御契約。姉様は常盤とておまへの兄御の」「〈詞〉アヽやかまし。このごろやうやう戻った八郎、をなごに近づき持たぬもたぬ。〈地〉とっとゝ退いた」と七里けんばい。「〈詞〉テモお気の短いお方。わたしが言ふが嘘ならば、千葉助様が良い証拠。ほんに宮仕へしてゐるうちも、〈地〉指を折り日を数へ、片時忘るゝ」「ハテめんどい。〈詞〉忘れうがどふせうが、俺は何にも覚えがない。幼少から筑紫へいて、弓矢軍術手練のほか、生ぬるいこと大嫌ひ。油くさいその頭、首引き抜けなら何時でも。田舎武士は気が短い、親父が勘当した八郎、むしゃくしゃ腹の立つどふ中、そばへ寄ったら踏み殺す」と、〈地〉無法無徹に取りあへねば、千葉助も気の毒さ、「〈詞〉コレサ八郎そふでない。親と親とが言ひ約束、いやと言ふも大不孝。桜木殿に詫びさすれば、嫁が不憫で効き目が格別」「それでも女房はおりゃいやぢゃ」「ムヽ嫌なら勘当ゆりぬ気か。そんなら我らも挨拶せぬ」と、〈地〉ゆすりかけられ「ヱヽどんな。〈詞〉ひょんなことが起こってきた。どふなろふとでも肝心の、力の落つるこたならぬ」と、〈地〉ぶつゝく無骨も恋路には、おぼこな花聟、桜木が喜ぶ向ふへ「アレアレアレ、あれは確かに為義様、舅御さんでござんする」「そんなら俺はちっとの間、影を隠さゞなるまい」と、おくれを見せぬ八郎も、親に逢ふては後ろ堂、〈フシ〉身を忍ぶこそいぢらしき。
六条判官為義、家来は表に残しおき、しづしづと立ち出づる。待ち設けたる千葉助、桜木も出で迎へば、為義老眼打ちしはめ、「〈詞〉ヲヽ珍しゝ千葉助。貴殿身を寄せ奉る千里の宮、今日これへお出でのはづ。いづくにまします、存ぜずや」と尋ぬれば、「ハァしばらく御休息のため、これなる茶屋が一間に」「それは重畳。あとは桜木何と思ふて」「アイちと御訴訟がござりまして」「ムヽこの為義に訴訟とは気遣ひ、何でおぢゃる」「イヤ別にお気遣ひ遊ばすことでもござりませぬ。御勘当のお願ひでござります」「ムヽ勘当の願ひとは」「アイおまへのお子の八郎様の御勘当、どふぞ許しておやり遊ばすやうのお願ひ」「アこれこれ、その八郎心あくまで猛き故、成人の後を思ひ、遥か幼少の時、西国へ追ひやり申した」「サァ左様ではござりませうが、私が親々とも御契約なされたげな。八郎様がお帰りあらば、夫婦にせうととゝ様が」「ヲヽサヲヽサ、一旦の契約覚えはあれど、都におかぬは彼が不憫さ。無骨の仕落ちなき様にと、子を思ふ親心。我が君崇徳院の御大事、御用に立つ時節もあらば、そっちから願はずとも、こっちから勘当許す。〈地〉それまでは無益の訴訟、打ち捨てめさ」と取りあへねば、千葉助さし寄って、「〈詞〉八郎殿とははからず出合ひ、御子息の勘当は、たってそれがし詫びする所存も我が身の勘当、詫び言してもらひたさ」「アこれこれ、倅がことは折もあらん。その方の勘当は、誰に願ふて誰が許す」「コハ仰せとも覚えず。父将監常重に」と〈地〉言ふ顔じっと打ち守り、老いのまなこに涙を浮かめ、「〈詞〉今にもあれこの判官、もしものことがあるならば、八郎めもそのごとく、親の忌日も知るまいかと、〈地〉不憫におぢゃる」と声曇れば、「〈詞〉ムヽ心得ぬ御嘆き。親の忌日を知るまいとは」「ヲヽそなたの父将監は、内侍所の御鏡を、何者ともなく奪ひ取られ、禁庭にて腹切った」「〈地〉ヤァヤァそれは」と顛倒はいもう、あまりのことに涙も出ず。「〈詞〉シテその盗賊は何者とも」「知れぬしれぬ」「ムヽその盗人こそ親の敵。宝を詮議し父が恥辱、すゝぐは追っ付け。これこれ桜木、千里の宮を預けおく。心知ったる女房なれども、宝の噂は壁に耳。敵の詮議とばかり言はれよ。ともども宮の御事頼む。〈地〉判官殿にもよそながら、御心添へ頼み入る。桜木殿良い様に、この通り伝へてたべ。心もせけばもふ参る」と〈フシ〉行き方知らず出でゝ行く。
あと見送りて「なふ桜木。〈詞〉千葉助が御供せし、千里の宮の御供あれ」と追っ立てやり、「〈地〉乗り物これへ」と小手招く。「はっ」と答へて六尺中間、後備へは鎌田兵衛正清、下馬先に舁き据ゑさせ、家来を遠ざけ謹んで、「〈詞〉乗り物もさぞ御窮屈。出御ぞふ」と戸を開けば、〈地〉今ぞ下居の位山、昔に変はる崇徳院、布衣の括りの袖狭き、賤が床几を儲けの御座、〈フシ〉御腰を休め奉る。
かくと案内に賤花が、伴ひ出づる千里の宮、「なふ父君にてましますか」と、喜び給へば上皇も、ともに竜顔うるはしく、「ヤヨ懐かしの宮なるか。おとなしくも生ひ育ちしな。〈詞〉誠や七珍万宝より、子ほど宝はなきと聞く。〈地〉ましてほかに兄もなく、弟とても一人子を、分けて御室へ預けしも、たゞ入学に心を染め、出家堅固に勤めなば、お身が孝行、二つには〈詞〉大悪無道の富家禅閤、お身に位は譲らじと疑ひを晴らさせんためぞかし。〈地〉一子出家の功力にて、われも栄華のこのみを結ばん喜ばし。別れて程経る宮が顔、見もし見するも為義が、今の情けの嬉しさよ。けふ別れてまたいつか、逢ふも不定の世の中は、飛鳥川の瀬に似たり」と、思ひを述べし御言の葉、「瀬をはやみ岩にせかるゝ滝川の、割れても末に逢はんとぞ思ふ、思ひ子こち寄れ」とおぐしかき上げ撫で下ろし、見上げ見下ろす御目にも、涙はらはら落ち滝津、雲井に叫ぶ夜の鶴、子を思ふ親の心根は、〈中フシ〉天子も同じ涙なり。
浮寝の姫は思ひ草「あの美しい黒髪を、剃って出家になされんとは、なんぼ父御の仰せでも、こちゃいやいや」と物陰より、見交はす目元下行く水。千里の宮手をつかへ、「〈詞〉世にありがたき御仰せ、なるほど得道仕り、重ねてお目にかゝらん」と、〈地〉宣ふ口と心の内、けふ初恋に紐解いた、姫の情けにやる方も〈スヱテ〉さしうつぶいておはします。
為義四方よもに心付け「還御もや」と奏すれば、「げにもとくとく帰らん」と、御衣の袂を繕ひ給ひ、「得道ののちまたもや」と、御乗り物に入御なれば、鎌田兵衛が御供に、還御の逸足はいはいはい、茶屋が庭から舁いて出る、千里の宮の乗り物に、こゝ帰るさの道までは、浮寝の姫も相輿に、のりの御室や花の御所、恋の重荷を賤花が、夫に預かる宮の供、お主の供に桜木が、夫の訴訟も脇道へ、〈フシ〉ぜひなく急ぎ帰りけり。
為義も両君の、御心根を思ひやり、茫然としてゐるところに、嫡子左馬頭源義朝、腹巻に身を固め父の前に馳せ参じ、「〈詞〉さても上皇崇徳院御謀反の企てありと、富家禅閤しきりに官軍催促によって、それがしを総大将たるべしとの勅諚、正しく父は新院の御方人かたうど、たっての辞退も返らぬ宣旨、只今出陣仕る」と大息ついで述べらるゝ。〈地〉為義ほくほく「さもそふず。〈詞〉禅閤が日頃のしはざ、先帝を追ひ下したるそもそもより、己天下を呑まんずこと、鏡にかけて顕れたり。よしよし一院に捧げたる我が一命、討死の時ごさんなれ。ヤァヤァ八郎はなきか、鎮西八郎為朝、参れやっ」との声の内、〈地〉「はっ」と答へて立ち出でしが、さすが勘気の見すぼらしく、〈フシ〉遥か下がってうづくまる。
「〈詞〉珍しゝ八郎。つっと参れ」と膝元近く、「最前桜木に言ひつるごとく、崇徳院御大事の今この時、年来の勘当許す。為義が子の八郎為朝」「〈地〉ハァありがたしかたじけなし」と、額を土に擦り付けすりつけ、「〈詞〉喜んでくだされ兄者人」「弟でかしたでかした」と、〈地〉兄弟そばへ立ち寄って、「〈詞〉兄は都で人となり、弟は田舎で成長する。同じ父の恵でも、その身の果報と不果報は、これほどにまで違ふものか。ノウ弟」「兄者人、〈地〉嬉しうござる」と手を合せ、〈中フシ〉喜ぶもまた涙なり。
為義ももろともに、目の内うるんでゐたりしが、しほるゝ兄を取って突きのけ、「〈詞〉ヤァ未練なり義朝。今日より勘当ぢゃ」「〈地〉コハコハいかに何故に」と、言はせも立てずぐっとねめ、「〈詞〉何故とは馬鹿者、院の御所方、内裏方と、兄弟親子引き分かれ、敵味方となるからは容赦はならぬ、勘当すれば他人の為義、白髪首討ちよからふが。親を討っても両帝の、御仲直すが親への孝行。敵味方の問答無益、〈地〉我も軍の用意忙し。八郎来れ」と一徹老人。「〈詞〉然らば今日只今より親子でなし、八郎とも敵と敵」「ヲヽサ言ふにや及ぶ、戦場の習ひ、兄者人とて容赦はせぬ。こなたの首はこの八郎」「ヲヽ見事取れよ」「ヲヽ討たいでは」と、〈地コハリ〉睨み合ひたる勇者と勇者、〈ナヲス〉表は色立つ敵味方、心は親子兄弟が〈三重〉引き分かれてぞ「攻め寄する。
官軍の総大将、左馬頭義朝が軍配によって、新院の御所を夜討にし、凱歌かちどき三度響きしは、〈フシ〉内裏の勝利と聞こえけり。
御痛はしや崇徳院、参り仕ふる者までも、秋の木の葉と散りぢりに、行方いづくと白河御所、虎口を逃れおちこちの、人目を賤の菅蓑や、市女が笠に漏る雨の、〈フシ〉御室をさして出で給ふ。
外には供奉も荒武者の、鎮西八郎たゞ一人、追手来たらば射止めんと、弓弦をしめし征矢負ひなし、静かに随ひ〈ウフシ〉奉る。
蔵人長盛が郎等山田三郎伊貫これつら、この体を見るよりも、「落人返せ」と支へたり。〈詞ノリ〉八郎きっと見「ヤァ落人とは案外なり。忝くも崇徳院の御供申す、路次に向かって無礼の雑言、道を開け」と呼ばゝったり。「ヤァ崇徳院とは謀反の張本、搦め捕って手柄にする」と〈地〉駆け寄る首筋引っ掴み、手毬のごとく振り回し、素っ首抜かんと手をかくる。「〈詞〉ヤレ待て八郎、粗忽すな。荒気なせそ」ととゞめ給ひ、「彼が命を取ったりとて、朕が謀反企てなき由、言ひ訳にもなるまじいぞ。〈地〉とにもかくにも禅閤が、悪しきしはざのなす故に、かゝる憂き目に逢ふことよ。罪な作りそ、助けよ」と、人を恵の御詞。八郎はほゐなげに、「〈詞〉鷲が掴んだ土くれ鳩、助けにくいやつなれど、院宣が重い故一度は許す。重ねては用心せい。命がはりは腰骨」と、〈地〉砕くるばかり踏み飛ばされ、〈フシ〉命からがら逃げ帰る。
「もはや邪魔は払ふたり。静かに御歩行候へ」と〈ヲクリ〉後に「随ひ落ちて行く。
隙もあらせずはためく刃音、六条判官為義、今を最期の一騎打ち、八方微塵に斬りまくれば、寄り付く者もなきところに「ヲヽイヲヽイ」と打ち招き、出で来る敵は我が子の義朝、間近く寄ればにっこと笑ひ、「〈詞〉ヲヽ待ちもふけたる我がさす敵、サァ討ち取って高名せよ」とどっかと座す。〈地〉義朝は両手をつき、「〈詞〉ハァアこは仰せとも覚えず。禅閤がしはざとは言ひながら、御手の味方敗北の上からは、御命は義朝が所領に代へて申し受け、両君和睦の時をせん。〈地〉早御開き候へや」と勧むるところに、鎌田兵衛正清、鎧櫃舁き担はせ、御前に畏まり、「〈詞〉さても鎮西八郎殿、新院を御室へ御供の道を遮る味方の武士、一矢に十騎射通し給ふ弓勢恐ろし。流れ矢油断なりがたく、御肌薄く候へば、御着背長の鎧三領重ねて召せ」と語るうち、〈地〉馳せ違ふ味方の勢。怪しめられては一大事と、真紅の下げ縄手ばしかく、かくるも老のしめ括り、「ぜひ御命は申し受くる。ソレ鎌田」「心得たり」と櫃の蓋、いぢばる為義無理矢理に、ねぢ込み押し込み「ヤァヤァ家来ども」「承る」と、〈フシ〉舁き上ぐる折こそあれ、
蔵人長盛駆け来り、「〈詞〉ヤァヤァ義朝、為義を搦め捕ったる由物見の注進、入道殿御感斜めならず、すなはち長盛検使として、首打ち落とせとの勅諚なり」と〈地〉聞くより主従はっととむね、「〈詞〉イヤこれ義朝何を猶予。早く斬って渡さぬか」「コハ長盛の御意とも覚えず。主君のためには御父為義、降参あらば御命は」「ヤァならぬならぬ、禅閤の綸言汗。サいやと言へば、隠したところ見つけておいた、二心の義朝主従」「スリャどふでも主君を」「ヲヽサくどいくどい、ぶち放さねば二心に違ひはない。サァ討たぬか、〈地〉サァサァサァ」と長盛が、〈フシ〉かさにかゝって決めつくれば、
義朝はせん方なく「〈詞〉コリャコリャ鎌田、一旦助け参らせても、父の命は只今限り。汝御首賜るべし」と仰せの内、〈地〉涙とともに鎧櫃、蓋は開くとも目は開かぬ、内に称名弥陀仏の、声もろともに差し出だす、首は前にぞ落ちにける。義朝主従顔見合せ、涙を呑み込む歯茎の血潮、朱に染みたる為義の、首を目先へ差しつけて「〈詞〉コレサ長盛殿、親を討っても忠義を立つる、これでも主人が二心か、サァサァ何と」としっぺい返し。「ヲヽでかいたでかいた、よく討った。よもやと思へどあっぱれ忠義。この通り奏聞する、〈地〉ゆるりと休んで寝られい」と〈フシ〉首引っ抱へかけり行く。
義理に迫りし親の首、現か夢か夢の世に、報いは野間の内海にて、長田をさだがためになり果つる、後の哀れを今こヽに、〈フシ〉打ち連れてこそ帰らるゝ。
折もこそあれ父の最期と聞くよりも、〈詞〉韋駄天走りに八郎為朝、「南無三宝遅かりしな。御室へいても千里の宮、早御行方も知ればこそ、〈地〉無念無念」にさしもの荒者茫然と、弓杖ついて立ったるところへ、りんりんしゃんしゃん轡の音、二騎相連れて乗りくるは、蔵人長盛・山田三郎、御室をさして行く足の、向ふにすっくと仁王立ち。「〈詞ノリ〉シヤ良いところに鎮西八郎、きゃつは聞こゆる力強、蹄にかけてかけ悩まし、生捕りにしてくれん。〈地〉三郎続け」と勇みの鞭、手綱かいくり駆け立つれば、鎮西八郎ゑせ笑ひ、「〈詞〉筑紫育ちの八郎為朝、手取りにせんとはしほらしゝ。周の八匹・騅・赤兎馬、鬼鹿毛を合せばとて、シヤ何ほどのことあらん。まづさかさまに打ち倒し、泡吹かせて腹癒ん」と、〈地〉なぐり立てたる弓の鉾、〈コハリ〉両馬は後へたぢたぢたぢ、乗り手は落ちじと腰手綱、鞭を片手にかくを入れ、輪乗りにかくればくるくるくる、〈ハルキン〉うづ巻き立つる波の紋、くるりくるりくるくるくる。馬を悩ます馬櫪神ばれきじん、馬の立髪角前髪、振り乱したる大童、もとより弓手は手だれの勇者、馬手に外して平首掴み、ゑいゑい揉み合ひ根比べ、大地はさくりの砂煙、いさごを飛ばす鼻嵐、蹄の音はどうどうどう、泥障はぽんぱかひたひたひた、太腹裂けよと蹴上ぐれば、轡はちりゝん松風に、いばへる馬の汗雫、「叶はぬ許せ」と長盛が、〈フシ〉捨て鞭打って逃げ帰る。
負けじと駆ける三郎が、馬の尾筒を引き戻し、「〈詞〉一度で懲りぬぢゃぢゃ馬め、今度は冥途へ早追ぞ」と、〈地〉四足を両手に「コリャコリャコリャ」、ぐっとさしもの駿足ぐるめ、どふと投げたるその勢ひ、馬に敷かれて三郎が〈フシ〉体は砕けて死してげり。
「イデ長盛めぼっかけん」と、追ひ行く向ふへばらばらばら、「〈詞〉主の敵」と支へる軍兵。「ヤァ面倒なる木端ども」〈地〉片手なぐりに弓の弦、取り付き縋るを「まっかせ」と、一度に五人十人づゝ、打綿なんどの散るごとく、微塵になって塵埃、〈フシ〉種も残らずみなごろし
「ヲヽヲヽ心地よし心地良し、〈詞〉父が敵はまた重ねて、千里の宮の御ありか、尋ね逢はでは叶はじ」と、〈地〉分け行く草鹿くさじゝ、笠懸の、弓は羿げいにも養由やうゆうにも、日本無双類なき、神変備はる勇猛力、古今独歩の弓勢やと、感ぜぬ者こそなかりけれ。


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