「平惟茂凱陣紅葉」翻刻 四段目

「〈詞〉お立ち合ひの中にも、お江戸へお下りの方には御存じあること。拙者親方は武州東叡山池の端、勧学屋大助と申して、さる宮様家より御許しくだされ、売り広めまする万病錦袋円きんたいゑんと申すは、男女に限らず積聚しゃくじゅ・つかへ・目まひ立ちぐらみ、あるひは霍乱・暑気・寝冷、一切の難病を退けますこと神のごとし。代物はわづか八銭、十二銭より段々三十二銭、〈地〉お求めなされてござれい」と、三十ばかりの大男、鰭と髭との江戸育ち、〈フシ〉声も立田のお宮前。
参詣目当ての休み床、見せ一ぱいに群集の老若、「〈詞〉アレ見さい、結構な薬売り。練り物か俄を見る様な薬荷の金物、かねの入った商売。紋所は真鍮の矢車、ヱヽ聞こえた、何が当たっても廻りが良いといふこと」「イヤイヤ真鍮でしたからは、若衆に廻りの良い薬」と、〈地〉あだ口々に巾着から茶の銭払ふ薬買ひ、「こゝへも三粒、こゝへも五粒添へさっしゃれ」と、病気のない民百姓、〈中ヲクリ〉我が家「我が家へ帰りけり。
薬荷脇へ片付けさせ、「まづ一服致すべい」と、胴金作りの髭男、茶店にどっかり腰打ちかけ、簾囲ひの内までも、うさんらしげに打ち守り、「〈詞〉これの亭主もの問はふ。立田の町は今日初めてまかった。これほどの繁昌とは聞かなんだが来てみてびっくり、〈地〉いつとてもこの通りの繁昌か」と尋ぬれば、茶店の親父「さればそのこと。〈詞〉いつぞやから都より、諸任様とやら申す大身なお方が、この立田へお下屋敷を建てられ、何がそのお見舞ひやら、お出入りの衆で混ぜまする。けふもその妹御が、御参詣とてお触れが廻った。モウ追っ付けでござりませう。〈地〉ドリャ店掃除せざ大きなぼく、片付いて貰ひましょ」と蓙まくるやらせん敷くやら、ほこり立つれば「〈詞〉これはしたり、早追ひ出すか。コリャ荷持ちども、茶の銭払ふて行くべいか」「イヤ申し親方、荷持ち仲間が一人、暑気が入ったか、腹を痛がってゐまする」「ハヽヽヽ、薬売りが病起こすとは正真の箕売り笠。良いはさ、この薬一服呑んで、しっかりと気をつけて、ナ合点か。後から追っ付けと言ふてくだはれ御亭主、荷物一荷とその野郎め、〈地〉頼む頼む」と言ひ捨てゝ、残りの荷持ち打ち連れ立ち、のっさ野袴薬売り、〈フシ〉立田の町へ売りに行く。
簾囲ひの内よりも、人立ちよけて立ち出づるは、都の武家の奥方と、人目にしるき取りなりも、お供に付き添ふ帯刀太郎、「〈詞〉申し申し世継様、今の亭主が噂お聞きあそばしたか。諸任が妹、けふこの立田明神へ参詣とは究竟一、何とぞ便って奉公願ひ、平国くにむけの御剣さへ取り返さば、惟茂公の御喜び」「アヽこれ高い高い。自らもその心。この度お上より夫惟茂殿へ勅定下り、阿曇諸任、平国の御剣を無体に預かり奉り、この立田へ館を構へしも心得ず、詮議せよとの御仰せ。〈地〉それ故に心を痛むる夫の心底。『たくみの深き諸任なれば、うかつに都は開けられず。〈詞〉諸任が妹に、そちが顔見知られぬも幸ひ。奉公に入り込み、何とぞ御剣を奪ひ取って奉れ。もし顕れても天子のため、合点か』と詞詰め。ハテ命を捨てるも夫のため、天子のため、心得ましたと請け合ふて来りしぞや。この立田の神主にしるべあれば、諸任の妹へ奉公の手掛かりもよし、気遣ひなし。〈地〉こゝからそなたもいんでたも」と、語れば帯刀手を打って、「〈詞〉御もっとも千万。主人柏木左衛門殿も同じお心。御太刀を奪ひ取り、惟茂公のお気助けと姿をやつし、このところへ二、三日以前来られしが、今に廻り逢はず。しかし御存じの好色人、〈地〉一度ならず二度ならず、諸任が妹も器量人と聞いたれば、何事がでけふやら、鳥もち売りに止まる蝿、危なふてなりませぬ」とひそひそ話す真ん中へ、「片寄れ片寄れ、姫君のお通りだ。茶店綺麗に片付けよ、慮外あらば斬り捨てぞ」と、そこら辺りを睨みつけ、〈フシ〉神主方へ走り行く。
茶店の親父とっぱかは、片手に箒水打つやら、「〈詞〉サァサァ薬売りの荷持ち殿も気色がよくばいて貰はふ。おまへ方もお宮へなりとお参り」と〈地〉言ふに両人「なるほどなるほど、〈詞〉明神様へ参詣せん。〈地〉道々談合々々」と、旅は気さんじ気の薬、薬荷かたげし暑気病み、さっぱり治りし錦袋円と、荷を引っかたげ二人の顔を、見廻し見廻し、何聞いたやらすり抜けて、道を急げば両人は〈ヲクリ〉何心「なく行く後へ、
花を飾りしお供先、〈道具屋〉おかち手を振る長羽織、対の六尺対のお道具やっこらさ、振り込め振り込めお長刀、〈ナヲス〉おこしもと中取り巻いて、うづ高蒔絵のお乗り物、茶店のこなたへ立てさせて、〈フシ〉皆々木陰へたまりゐる。
乗り物出づる爪はづれ、琴鶴姫はしづしづと、都のふりの花紅葉、立田詣でのかはいらし、お腰をしばしと水茶屋の床几にせゝくる妼中、何さゝやくやら笑ふやら、〈中フシ〉こそぐりあふもなまめかし。
琴鶴御寮はしとやかに、「〈詞〉何をざはざは騒がしい。面白さふな話なら、自らにも聞かせてたも」と、〈地〉尋ねに差し出るぐるり高の、お丸がそばへ差し寄って、「〈詞〉イヤ申し琴鶴様、この間たびたびこの明神様へ、御参詣あそばします、そのおかげで男の見飽き致しましたが、都と違ふてさすが田舎と思ひのほか、今道で見た千歳飴とやら何やら早い口上で、二十四、五な器量良し、弁舌ならなりふりなら、都にもまたない男。それ故わしが一番帳文つけふと申したりゃ、あの小菊が、イヤ俺がのぢゃ、イヤわしがのぢゃと、〈地〉皆せりあふておりまする」と、語れば琴鶴袖覆ひ、「〈詞〉ヲヽ遅まきな皆の衆。けふ初めて目にかゝりしとや。いつぞやから自らが、度々の神参りもその男の顔見たさ。けふも物見よりちらりと見たが良い男。〈地〉そなた衆の才覚で、呼びにやらふぢゃあるまいか」と、仰せに皆々手を打って、「〈詞〉我折れ都にござるその時は、一生殿御はおりゃ持たぬ、尼になる、出家になるのとおっしゃったが、立田へお越しあそばしてから、めっきりと殿選みはどふした因縁、コリャ聞きたい」と〈地〉言へば小菊の小ませ者、「〈詞〉ハテ知れたこと、この明神様はの、好色の神様ぢゃと、噂に違はぬお色好み。何にもせよその飴売り呼びにやろ。コレ角助殿、今来た道の飴売り男、姫君の召しますると、早ふいて呼んでおぢゃ、サァサァ早ふ」「ナイ」「サァ早ふ」「ないないないない、甘たるいお使ひより、〈地〉上燗酒ならよかんべい」と〈フシ〉つぶやいてこそ走り行く。
あとは俄かに騒ぎ出し、「サァお丸殿嬉しいか」「〈詞〉わしよりはイヤこなた」「イヤわしよりはよそよそに」と、〈地〉髩《つと》押さへ合ひ襟繕ひ、めいめい嗜むのべ鏡、〈フシ〉角助遅しと待ちゐたり。
主命慣れば奴の角助、迷惑そふな顔つきに、飴の荷箱を引っかたげ、「〈詞〉まっと歩めさ。遅なはるとおらが迷惑、〈地〉歩めあゆめ」に左衛門は、やつす姿も袖なし羽織、先に進んで声張り上げ、「〈詞〉サァサァ召しませ召しませ、これなる奴殿に持たせしこの飴は、町中色里御評判の千歳飴。歯につかず、にちゃつかず、さくさくとして長く楽しむ、松の千歳の緑飴。お子様方へのお土産に、〈フシ〉サァ召しませ」と売りにけり。
角助は荷箱どっさりほふりつけ、「〈詞〉ヤイサ二才め。首切れ推参にっくいやつ、武士の扶持取りに荷を持たし廻っておのが商売。今一度売ってみよ、元首さらへ落としてくれふぞ」と〈地〉反り打ちかくれば、「〈詞〉これはしたり、悪い合点。武士の御家来二言はあるまい。商ひ致してゐる我らに、『早く参れ、御主人がお召しなさるゝ、早く早く』とあった故、『それならば大儀ながら、この荷を持ってくだされ』と、この鼻が言ふたぢゃないか」「ヲヽ言ふた」「そこで貴様が言ふには、『荷は持ってやるほどに、飴おくれんか』と言ふたぢゃないか」「ヲヽゆった」「ソレその時に二本の飴、その髭口へ食ふたでないか」「ヲヽ食ふた」「それなら言ひ分はないはづ」「イヤ言ひ分がある」「とはどふして」「駄賃が安い、増しよこせ」「〈地〉ヱヽいやしいわろ」と荷箱より、竹の皮の包み飴、「〈詞〉コレ三十本これではどふぢゃ」「どふでもない、これでずってぢゃ。早く歩めさ、ハァハァ御前様がソリャそこに、天窓あたまが高い頭が高い、下がりませいさがりませい。〈地〉イヤ俺も下がろ」と言ひ捨てゝ、〈フシ〉こそこそこそと入りにけり。
妼お丸が一端立ち、「〈詞〉コレ飴屋殿、何やら面白そふなつらねごと、〈地〉お姫様へのお慰み、早ふ早ふ」とせつかれて、「〈詞〉なるほど申し上げませう。上々様には飴の味はひ、飴の由来御存じないはづ。飴も元は異色の道より起こったもの。改まって申しにくいが、〈地〉てんぽの皮」と扇を開き立ち上がり、「〈詞〉そもそも飴の由来を委しく尋ね奉るに、天地あめつちと分かって、天神七代いさ飴いさなめの尊、あめの浮橋より飴の逆鉾にて探り求めし飴の下、軽く澄めるを天となし、重く濁るを土となし、地神五代のその中に飴てる御神を産み給ふ。コレ妹背飴の始めとかや。まった信田の森の白狐、この飴をなめし故、飴の安名と契りを込め、一人の子を設く。その名を飴の童子と名づく、成人ののち飴の晴明と改め、飴が下の博士となるも、コレこの飴の徳とかや。そののち小野小町といへる女、平生飴を好かれしが、ある時百日ばかり飴切せしかば、帝これを嘆かせ給ひ、飴乞ひせよと宣旨下って、皆々飴装束にて神泉苑に立ち出で、ことはりや日の本なればなめもせめ、さりとてはまた飴が下とはと詠ぜしこの歌を、飴色の短冊に書きつけ、かの池に浮かべしかば、天も感応ありけるにや、黒雲一むら立ち覆ひ、飴龍下ってかの短冊をなめければ、飴の降ること三日三夜。帝御喜びの余り、突き倒し銭三貫文賜ったり。これによって三貫飴と、ホヽ敬って申す」と〈フシ〉しゃべりけり。
姫君始め妼衆、顔とせりふに聞き入って、うっかり見とれる折からに、お供先の若党一人手をつかへ、「〈詞〉只今御願成就の御神楽、始め申さんと神子かんなぎ、御前様を待ちかね申す。〈地〉早御参詣」と申し上ぐれば、「ヲヽせはしない。神楽の鈴よりこっちの胸、ときときとして気が揉める。〈詞〉コレ千歳屋、必ずこゝに待ってゐや。その約束のその扇、こっちの扇はまたそもじ」と、取り替へしなに手をじっとしめる要の具合良き、左衛門は気もそゞろ、御剣手に入る心の喜びいっそいそ、神楽太鼓の潔き、拍子せはしく姫君は〈フシ〉是非なく宮居に詣でけり。
跡に左衛門小躍りし、「サァしてやった、天の与へのこの飴売り、飴の一徳飴売って、地固まる我が分別」と一人笑みして待つところへ、いきせき走る妼お丸、「〈詞〉ヲヽ飴屋殿、よふ待ってぢゃ。お姫様きついお案じ、もしいにはせぬか、早ふ見てこい、早行けいけとおっしゃれど、俺は一つも心が浮かぬ。どふやら姫君様へ札が落ちそふで、頼母子のからかける様なれど、真実思ふわしが心、コレ見てくだされ。座敷に出てあるお菓子の御所柿、三つ盗んできた。コレこなたに進ぜる。ハテ殿御故桃を盗みし女もあり、それよりまだ食ひかけある、〈地〉わしも合間に頼みます」と御所柿顔のお丸女郎、〈フシ〉ころころ走り行くところへ、
「お下向ぞふ」と呼ばゝりて、乗り物しとしと下ろし置き、気を通したる下部ども、妼一人つけもせず、皆々打ち連れ行くあとは、むまい仕掛けの物見より、以前の扇差し出だし、「こゝへこゝへ」の小手招き。「〈詞〉ヱヽ聞こえた、先ほどの扇かへかへなさるゝお招きか」と、〈地〉姫の扇取り出だし、差し出す手先をぐっと上げ、戸を蹴放し現れ出づる勧学屋、「者ども来れ」と声より早く捕手の人数、おっ取り廻せし籠の鳥。左衛門は一期の大事、かひな絡みに腕もぎ放し飛びしさり、せなに用意の一腰ぼっこみ〈フシ〉待ちかけたり。
「〈詞〉イヤ小癪者、ソレ搦めよ」「〈地〉承る」と家来ども、「捕った」とかゝるを身をかはし、〈詞〉ぐるりと廻ってさそくの得手物、腰骨ぽんと七八間、高足なんどのごとくにて、落つるとそのまゝ息絶えたり。かなはじものとつばなの穂、一度にはらりと抜き放せば、「〈詞〉待てまて待て、傷をつけては土産にならぬ。ヤイ柏木左衛門、我をまことの薬売りと思ふか。諸任公の御内、鬼薊軍藤太といふお気に入り。勧学屋の薬売るも、諸任殿の大望の思ひ立ちある故、諸国の味方催促の隠し目付。荷持ちめが暑気と言ひしも、犬になってうぬらが耳掻きにいっぱいの知恵の算用、ぐゎらりともくが割れてある、覚悟ひろげ」と睨めつくれば、「〈地〉さては女わらべをゑばに飼ふたる卑怯者、一人も逃さじ」と斬ってかゝるをかい沈み、首筋掴んで「〈詞〉ソレ乗り物縄網かけよ」〈地〉畏まって無理無体、追っ立て行かんとするところへ、韋駄天走りに帯刀太郎、乗り物すり抜け棒端掴んで「コリャコリャコリャ、そふはさせぬ」と押し戻せば、「〈詞〉構はずとやれ、急げ」と、〈地〉跡端取って軍藤太、〈フシ〉乗り物追っ立て急ぎ行く。
残りし捕手抜き合せ、斬ってかゝるを右左、どっさりころりは手練の帯刀、手先へ廻るをかひな車肩車、ころころ転びし若侍、「叶はぬ許せ」と逃げ失せたり。なほもやらじと追っかけ行く、「コレコレ待った、長追ひ無用」と物陰より世継御前走り出で、「〈詞〉顔見知られたその上に、こっちのてだてを聞き抜いてゐる館へ、うかつに斬りこめば左衛門の命がない。そなたはひとまづ都へ帰り、夫の心底知らせの便り。わしはこゝにとゞまって、何とぞ御剣を奪ひ取るか、左衛門を助けるものか、二つに一つは胸にある」「イヤイヤイヤ、根深ふ仕込んだ館の内へ、おまへ一人はあぶなもの、御無用々々々」「ハテ顕れてから女のこと、〈地〉言ひ抜け様はわしが才覚。琴鶴姫が左衛門に、恋の道筋良い手がゝり。色で丸めて口車言ふていふて言ひ廻し、一寸逃れはその座の機転。二寸三寸富楼那の弁舌、後構はずとサァサァ早ふ」「然らばお別れ、さりながら、あとも気遣ひ、コレこの一腰」と我が差し添へ、魂分けて主命に、駆け出す足は三里五里、〈三重〉飛ぶがごとくに「駆けり行く。
足引の大和国に名も立田、太宰大弐阿曇諸任が一構へ、驕り十分に増長し、謀叛の根ざし日々に栄へ、新たに建てし館の結構、ことさら今日はさいつころ戸隠山にて、惟茂・諸任両人の切先に、悪鬼退治の日をすぐに家の吉事を錦着る、〈フシ〉紅葉の御殿と時めきけり。
曲がれるも、すぐなる枝も同じ木に、花の姿の琴鶴姫、きのふのことの気がゝりに、心も浮かぬお顔持ち、側から気の毒、付き付きが、「〈詞〉イヤお心悪いはお道理。飴の由来のむまい最中へ、意地悪の軍藤太が戻りかゝり、神主方へぬっと来て、『その飴売り後より連れ立ち帰りましょ、姫君には先へお帰り」と口先のぬっぺり、いつにないこと言ひ出してから、今に戻らぬ大きな嘘つき、憎いやつ。〈地〉ほんに長の留守で気が晴れたに、鬼の来ぬ間の洗濯も、日和が落ちた」とそしる口々勝手口、鬼薊軍藤太、衣服大小上下も、さはやかに打ち通り、縄網かけし囚人乗り物御庭に舁き据へさせ、「〈詞〉琴鶴様さぞお待ちかね。まづもって今日は嘉例の吉日おめでたし。殿諸任公も追っ付け都より御帰宅と知らせのお使ひ、それ故お迎ひの用意何かに暇取りやうやう只今。さて昨日、立田の神主方にて、家来が噂承れば、飴売り男め、姫君のお目に止まりし故、連れ帰らんなぞとの噂、隠し目付のそれがしが耳へ入りし故、イヤ後より拙者が連れ帰らんと、〈地〉憚りながらそれがし、姫君の乗り物に忍び、琴鶴様と思はせ詮議を遂ぐれば、紛れもない柏木左衛門。早速生け捕り、このごとく網かけしは正真の飴の鳥。〈詞〉ハヽヽヽヽ、姫君に飴ねぶらせ、平国の御剣奪ひ取らん巧みの段々、犬を入れてとく知ったり。まだほかに女一人、これも館を目当てゝ奉公に来るか、忍び入るか、一つ穴の狐ども。〈地〉それ故番人に申しつけ、わざと用心ゆるがせにして忍び込ませよ、心安しと思はせ、おびき入れ袋の鼠、打ち殺すに手間暇入らず。〈詞〉コリャ妼ども、わいらもこの鼻を手本にして、とかく御主人へ御奉公がその身のため」と、〈地〉うぬが手柄の鼻高々、勇み切ったる面憎さ、琴鶴さあらぬ風情にて、「〈詞〉ヲヽそれはきつい働き。勧学屋の薬売りにその身をやつすも、主人への忠義、さりながらこの網乗り物ばかりは、主人へ忠義にはなるまいぞや」「ハテ異なことを御意なさるゝ。なぜなりませぬ」「さればいの、たった今そなたの噂、自らが乗り物をてだてにして、琴鶴と思はせ生け捕りしとあるからは、その方が手柄ではない、自らが手柄ではあるまいか。但し兄諸任様ばかりが御主人で、琴鶴は主でないか。イヤこゝな慮外者めが、誰そ参れ、長刀持て」といつにかはりし御気色。〈地〉事がなふゑの妼ども、そのまゝ長刀持って出で、「御勝手の良い様に」と鞘をはづせし目のさやは、〈フシ〉家に仕はる德ぞかし。
打掛ひらりと琴鶴姫、長刀かい込み「〈詞〉サァその乗り物この方へ渡せば良し、否と言はゞ手は見せぬ。サァサァ返答聞かん」と〈地〉決めつけられて軍藤太飛びしさり、「〈詞〉アヽ申し申し、これは一番御もっとも。コリャ家来ども何をうっかり、その乗り物座敷へ早く舁き上げよ。コレ妼中、御大儀ながら奥へ奥へ」に〈地〉「あいあい」と受け取る女中、渡す六尺下部ども、謝り入りししょげ鳥や、皆部屋々々に〈フシ〉入る折から、
「お帰りぞふ」と知らせの声に琴鶴姫、「〈詞〉コリャ妼ども、その乗り物大事にかけて御馳走申せ。諸任様は言ふに及ばず、誰にもせよ手柄らしう取り沙汰致さばその身の不運。ノフ軍藤太そふではないか」「いかにもさやう。口も腐れ、誰が何と申しませう」「ヲヽそのはづ、そのはづ。〈地〉兄様には後にゆるりと御対面。乗り物部屋へ舁き入れよ」と、〈フシ〉奥深くこそ入り給ふ。
時も移さず立ち帰る、阿曇諸任、一天四海を一呑みに、見下す我慢の大広袖、大広間に打ち通り、「〈詞〉ヲヽ軍藤太帰りしな。改め言ふには及ばねども、譜代にもあらず、新参同然のその方なれども魂に見どころあって、我が大望の片羽交ひ。定めてこの度の使ひしおほせつらん、サヽヽヽ何となんと」「ハッ仰せのごとく御大望の御使ひしおほせ帰りし上首尾、〈地〉御覧に入れん」と懐中より一巻を取り出だし手に渡し、「〈詞〉そのごとく近国の大名小名ことごとく、一味の血判さぞ御安堵。と申すも平国の御剣の一徳、〈詞〉めでたく存じ奉る」と同気同性ゑつぼに入りし味方の一巻、読みも終らずにこにこと打ちうなづき「〈詞ノリ〉ホヽあっぱれ手柄よくしたりな。我この立田に館を構へしその謂れ、大和国とは日本の総名、人皇帝都の始めなれば、古例に任する我が大望、天子となるはまたゝくうち。〈地〉アレ見よ庭の樹木の紅葉は天下一統、〈詞ノリ〉我に従ふ一味の血判、何不足なく旗上げせん。さりながら、心がゝりは惟茂一人。我が一味とは口先ばかり、ことにこの頃病気と言ひ立て、昼夜を分かたず大酒を好み酔ひつぶれ、今に至って血判せず。今宵戸隠山の吉例を幸ひ、首筋掴んで引っ立て来れと、〈地〉追々使ひを立てたれば早来らん。〈詞ノリ〉往生ずくめに味方させなば、諸任が諸羽交ひ、〈地〉須弥山を礫に打つも心のまゝ。喜べよろこべ」と勇み立つればにっこと笑ひ、「〈詞〉この鬼薊は片羽交ひにもなるべきが、惟茂を羽交ひにせんとの御心願はいすかの嘴。その仔細は〈地〉コレこふ」と耳に口、「〈詞〉ナ、ナ」「ムヽさては惟茂が女房、館へ忍び来る」「何とお肝がつぶれるか。裏の裏行く拙者めが分別はまた〈地〉かうかう」と囁けば打ちうなづき、「〈詞〉ムヽ然らば惟茂を今宵のうちに。ハテ酒狂しゅきゃうとは幸ひ。女ばらに酌とらせ。盛ってもって盛りつぶし、酔ひ伏すところをずっぱり。戸隠山の料理塩梅、ヲヽむまいむまい。〈地〉家中の銘々にもその通り示し合はさん。今宵の祝儀の折良し時よし。宝蔵に納め置きし御剣の前にて固めの盃、〈詞〉イザまづ奥へ来れ」「まづお出で」と〈地〉うなづき合ひ、〈ヲクリ〉打ち連れ「てこそ歩み行く。
すでにその日も暮れ過ぎて、座敷々々の燭台に、輝く美麗家中の銘々、顔は見えねど密事の相談、座敷も静まる庭の面、早しんしんと秋の夜の、月の出ぬ間の築山を、見廻し見透かし世継御前、裏の高塀、案内も女心の一筋に、一こし腰にかいがいしく、見越の枝は忍びの梯子、裾に掛かって引きまくるやら何ぢゃやら、脛もあらはに恥紅葉、木伝ふ山雀四十雀、まだうら若き指先も、枯れ木の小枝あいたしこ、手を突く足突く切り傷に、痛む手元のきりきりきり、きりはたりてふ轡虫、ひらりと飛んで広庭に、おりしも木の葉の露雫、顔にひいやり鈴虫や、〈フシ〉鳴く音やさしき息づかひ。
「サァこゝまではしおほせし」と心飛び立つ飛び石に、けつまづかじと植ゑ込みの、虎の尾を踏む差し足抜き足、縁側伝ふかけ作り、上る心を押し鎮め、押し鎮めたる女の念力、ずっと通って窺へば、人音遠き座敷々々、左衛門はいかゞぞや、御剣のありかはいづくぞと、一間の障子閉め開けに、さし覗けばこはいかに、思ひがけなき槍の穂先、目先へずっと突っかくる。はっとたまぎる肩先へ、こなたの一間かしこの隙間、突き出す槍先三方四方剣の山、ぞっと身の毛も立ち止まり、身動きならぬ館の用心、途方に暮れし後ろより、いつの間にかは琴鶴姫、「御剣望むはそもじか」と声かけられてびっくりはいもう、「ハイよう御存じ、よくこそお出で」とばかりにて、〈フシ〉膝もわなわな震ひ声。
「〈詞〉ヲヽ驚きは道理々々。自らは諸任が妹、琴鶴といふ者。御剣のほとりの一間へは、女とても油断せぬ館のしつらひ。そこを女の智恵才覚、そもじと自らが心を合せ、盗み出す仕様は、これも智恵のありそなもの、ノ惟茂への、ノ合点か」と、〈地〉詞の謎々聞き取って、「〈詞〉ムヽ何とおっしゃる。これも智恵、惟茂へとおっしゃるおまへは、諸任殿の妹御。その妹御が御剣を盗むお心は」と〈地〉尋ねにはっと赤らむ顔。「恥しいことながら、仔細言はねば御不審はもっとも。〈詞〉去年こぞの文月、都にて七夕の鞠の折から、ふっと見初めし左衛門様、〈地〉夢幻にもお顔ばせ、忘られぬ女の因果、胸に迫りし我が思ひ、〈詞〉思ひちらせどお姿が、ちらちら世上の噂を聞けば、女三の宮様と深い恋路の御仲故、御難儀ありとの様子を聞き、ハァ先越されし我が思ひ、所詮叶はぬ恋の闇、諦めて尼にもと色々のもの案じ、イヤイヤたとへ尼になったりとも、同じ都の内にゐればなほも罪ぞと、この立田を幸ひに来りしところに、御剣を奪ひ取らんため姿をやつせし左衛門様、思ひがけなく見参らせ、〈地〉初めの輪廻のきたなくて、何とぞ御剣を盗み取り、お手に入れなばせめてもの心ゆかしとこの部屋に忍ばせ申し、今宵のうち、御剣を渡さん我が心。〈詞〉良いところへ良ふお忍び、そのかはりおまへのお世話で、左衛門様にたった一夜」「おっと皆までおっしゃるな。ハテ七夕の鞠からお前の恋、年に一度はお定まり。今宵の橋は鵲のわたしが後は呑み込んだが、御剣の側へはどふしてお忍び」「ヲヽそれは少しも気遣ひなし。奥へ通路の鈴の綱、知らせば槍の恐れもなし。さりながら御番の役は、鬼薊軍藤太といふ悪者、だまし様はあるまいか」「さればなァ、恋の噂のおついでに、色で仕掛けて御らうじませ」「イヤイヤそれではだまされまい。〈地〉わたしが思案」と裲襠の、下に隠せし平国の御剣、袋とともに取り出だし、「〈詞〉コレこのごとく偽御剣をこしらへ置き、真の御剣と取り替へる了簡は」「ア智恵かな智恵かな。それならばわたしはおまへ様のお妼、お側にきっと付き添ふて」「イヤ待たしゃんせ。今宵忍びの女ありと、知ってゐる鬼薊に、見咎められてはし損じのもと。やはりおまへは自らが部屋に忍び、今のお人にもお逢ひあそばし、頼んだことを、ナ首尾良ふ」「なるほどこっちの首尾は心安いが、とかく大事はその御剣。真の御剣と取り替へて、そのまた真とこちらの御剣と、かへかへはおまへの働き。悟られぬが肝心かんもん、〈地〉のちにのちに」と奥と部屋〈フシ〉立ち別れてぞ忍び入る。
琴鶴姫はしとやかに、奥の一間の鈴の綱引き鳴らし、「〈詞〉たそゐぬか、〈地〉たそ頼まん」とありければ、御番役目の軍藤太、立て切る障子押し開けば、上段の間に注連引きはへ、恭しくも平国の御剣を飾るその装ひ、〈フシ〉あたり美々しく見えにけり。
軍藤太両手をつき、「〈詞〉これはこれは、夜陰に及びたゞお一人。御用あらばお部屋へお召しなさるゝはづ。ことに今宵は館の御祝儀、一家中の女房たち、残らず奥座敷のざゞんざ。男ばかりのこの一間へ何御用」と、〈地〉四角四面に二面混ぜたる十面顔。「〈詞〉ホヽヽヽヽ堅くろしい。イヤ軍藤太、最前は心もなう言ひ散らせし自ら、定めて心に障りもあらんが、かねがね兄上の思ひ立ち、妹の身として御意見申したとて、聞き入れはよもあるまじ。京と大和と隔つれど悪事千里、お上へ聞こえばお身の大事と女の身で思ふから、先ほどの飴売りも沙汰なしに追い返せしも、とかく穏便が第一、その訳も知らせたさ。二つには今宵の祝儀の御剣、自らに戴かしてたもらぬか」と、〈地〉ときつく胸を押し鎮め、まことしやかにのたまへば、「〈詞〉ハァこれはこれは。何事故御越しと存ぜしに、その飴売りとやらんが義は、お姫様の御はからひ、軍藤太が存ぜぬこと。また御剣の御番は拙者が役、御頂戴あそばさるべし」と、〈地〉縁先に立ちかゝり、唐銅龍からかねりゃうの口手水、身を清めて上段より、御剣取り上げ奉れば、押し頂き押しいただき、「〈詞〉コレ軍藤太、宵にそなたの噂には、今宵のうち御剣を奪ひ取らんため、女一人忍び入るとの物語はうそか誠か。今宵も四つ半、大方忍びの者も来る時分。随分外へ目を配り、用心が大事。暗ふて物のあいろは見えねども、アレアレ向ふの枝を伝ふて、誰やら来るではないか、よう見や」と、〈地〉袖の御剣と真の御剣、すり替へるとは夢にも知らず、「〈詞〉ハヽヽヽヽ、それは女義のお心に、何者ぞ来るであらふと思し召す心が迷ふて、庭の植ゑ込み樹木などが人に見ゆる。そのためのこの軍藤太、八寸まな板見抜いてをります。もはや夜も更ける、おまへにもお部屋へお入り。御剣こなたへお渡し」と、〈地〉受け取って押し頂き、もとのところへ直し置く、〈フシ〉上段油断と見えにけり。
折からお庭へ早使、息を切って馳せ帰り、「〈詞〉只今やうやう都より、惟茂引っ立て参上仕るところ。何分大酒に酔ひ伏し、正体なく候が、御対面あるべきや」と〈地〉聞くより勇む鬼薊、「〈詞〉何惟茂が来りしとや。これへ通せ、殿へも知らせん、こと忙し。サァ姫君もお入りお入り」と、〈地〉勧め嬉しく立ち上がり、「〈詞〉ヲヽ俄かに忙し、せはしない。自らはほんの暇人、いざ部屋へ」と、〈地〉盗人の隙はあれども守り手は、盗まれながら「サァサァ早ふ」と追っ立つる、〈フシ〉心の内こそ危ふけれ。
また改まる座敷の賑はひ、障子に映る女中の遊び、上調子、実は惟茂おびき入れ、今宵絶体絶命の、謀反の手配り気配りに、勝手座敷の大騒ぎ、〈詞〉三味引き小鼓大鼓、たっぽっぽちっぽゝ、太鼓の音つつてんつつてんつつてんてん、〈フシ〉空遊びこそ恐ろしき。
かくとは夢にも現にも、二日酔ひをば呑み越して、三日四日の盃に、目は据はれども千鳥足、引っ掛けついでに烏帽子引っ掛け、素袍は気づい気任せや、羽織脱ぎかけ刀の下緒に結びつけ樽銚子鍋、ぶらりと肩に振りかたげ、廻らぬ舌を廻り縁、「〈サシ〉面白や頃は長月二日酔ひ、四方の障子の影法師、〈ナヲス詞〉ハヽア皆色ぢゃ、ナ色か、ヨウ色様め。〈謡〉色々に錦を色どる夕酒宴、〈ナヲス詞〉間致さふ、間してなりとも助なりとも、濡れになりたい、濡れてみたい。〈謡〉濡れてや鹿のひとり鳴く、げに面白き〈ナヲス〉座敷かな。酒の司のこの花や、名酒揃への若緑、相生住の江宿の露、たゞしっかりとかんせうじゃう、御愛酒なりし白梅や、花の台の水上に、加茂川清き流れこそ、白菊匂ふ菊の葉に、命ことぶく寿量品、すぐなる小泉竹の葉に、千年延ぶると人や汲むらんと、朱買臣とは酒売る人、読みとこゑとによるとかや。それは諸白富士見酒、これは新酒で上す酒。今惟茂が呑み競べ、再び向ふへおさへんと、やたけ心のもつれ酒。あらあら面白やナ、呑むも君たち、おさへはお敵、〈詞〉おさへるか、〈地〉ちょっと手元と銚子酒、樽口から出したい、烏帽子にざらり羽織にざらり、ざらりざらりざらざらぢょろり」と、下戸の悲しさ、酒の雫に酔ふも理。「〈詞〉ハァア聞きしに勝って美麗のお客、拳高く情深く、屏風のほしき体なるに、障子の陰の盃事、お酌に立ちし女中のお名はいかに、〈フシ〉林間に、酒の心を移せしは、〈詞〉おさへか間か拳酒か、ハマヤ、スムユ、五ウ、りう、六ではないは、〈地〉劉伯倫がもてあそび、今こゝで汲めや呑め。〈謡詞〉よし誰にもせよ上臈の、小座敷隠れの楽しみは、かたがた粋め〈地〉許しをれ」と、〈フシ〉ころりとこけて正体なし。
やゝ更け渡る夜嵐と、ともに館は〈ウコハリ〉もの騒がしく、あふつ灯火障子の内、女と見えしその姿、とりどり捕手の形を現し、門脇九郎、丸岡伴内、荒川団八、栗柄兵内、小手脛当に身を固め、銘々十手腰にきりゝと、裾はせ折ってばらばらばら、酒に酔ひ伏す惟茂を、〈ナヲス〉真ん中におっ取り廻し大音上げ、「〈詞〉ヤァヤァ惟茂、汝味方と偽って、平国の御剣を奪ひ取らんため、女房を館へ忍ばせしこと、諸任公の上聞に達せしところ明白たり。サァ起き上がって血判するか、〈地〉返答いかに」と反り打ちかけて詰め寄りしは、逃れがたなき鰐の口、〈フシ〉恐ろしなんどもおろかなり。
惟茂茫然として、「アヽラ浅ましや我ながら、無明の酒の酔ひ心地、まどろむ暇もなきうちに、さて仰山な亭主ぶり。我らはこゝで酔ひ醒し」と、座敷にころころ、ありあふ鼓引き寄せて、幸ひの枕二つ、「〈詞〉イヤァ、小鼓は女房、大鼓は男、二人寝させて上から夜着をぽんぽんぽん」「ヤァ酒の酔ひ本性を忘れず、空とぼけ食はぬくはぬ。サァ御前へ参って血判」と、〈地〉両人一度に両方より、引っ立つれども動きもせず、腕骨てうど打ち払ひ、「〈詞〉こりゃもふ取るかおさへるか。イヤサ立ち上がれ、ハテ理不尽。李夫人は美女、〈謡〉李夫人の面影を、しばらくこゝに招くべしとて、九花帳の内にして、反魂香を焚き給ふ。〈ナヲス詞〉ハヽヽヽヽ面白い。〈フシ〉鼓の矢声、〈詞〉も一つたべう。サァサァ盃」「ヲヽ合点」と〈地〉十手振り上げ、「捕った」と声かけ打ちかくる。〈詞〉身をかい沈んでのひねり、裾を払へば飛び上がり、〈地〉四人が十手入れかへいれかへ、真っ向目掛け鼓のあしらひ、「〈狂言歌〉大原木大原木、大原木かはいかはい、苦労めさんな頭の鉢を鼓でちょんと、だんごばしかふな、松の荒川ころりと投げて、そのまゝ団八を蹴飛ばかすけとばかす、まんまん丸岡がまん丸げな顔で月見よとおしゃる」と〈地〉目より高く差し上げて、どうど投ぐれば叶はじと、門脇九郎がかはって打ち込む腕首掴み、「〈詞〉門脇九郎が真四角な顔で、炬燵にあたれ」と〈地〉炉縁の角、腰骨ぽんぽん鼓の調べ胴失ひ、一度に抜き連れ斬って入る。「〈詞〉ハテ短いお気の。お気の短い小てんご、しっこのばいこのけちけち」こゝを払へばかしこの刃先、「抜いたる太刀がつゆ命つゆ命、くゎんこやくゎんこや、しったんにたっぽゝ」〈地〉ヱイと付け入る刀を奪ひ、「〈詞〉ヱイはらはらにはらはらは、きりきりきりしっちょんちょん」〈地〉張良孫呉が秘術を尽くせば、こっぱいひゃろらりつろゝ、「〈フシ〉叶はぬ許せ」と逃げ去りけり。
「〈詞〉ハァおくたびれ。どりゃ酔ひ醒しに薄茶々々、〈地〉ちゃうらにひょ」よろりよろりとよろぼひ伏したる空鼾、〈ヲクリ〉そらさぬ「体ぞ不敵なる。
奥の一間の障子蹴放し、阿曇諸任かけり出で、「〈詞〉ヤァ惟茂、おのれいかほど働くとも、首抜けならぬ館のてだて、詰まり詰まりに組子の多勢込め置けば、死にほたへも瞬く内。平国の御剣の御罰受けてみよ」と、〈地〉上段にさしかゝれば、「〈詞〉のふのふその太刀な取り給ひそ」と、〈地〉呼ばゝる声は軍藤太、姫の部屋より世継・柏木両人に縄をかけたる猿縛り、猿轡はめ引っ立て出で、「〈詞〉その御剣は偽物、真の御剣の出どころ御目にかけん」と、〈地〉二人を白洲へどうど蹴飛ばし、腰に帯せし真の御剣取り出だし、「コレ御目覚え」と手に渡せば、紐をとくとく改めて押し頂き、「〈詞〉ムヽ今宵初めてその方に預け置きたるこの御剣、奪ひ取られしとは言語道断。きゃつらが仕業か、サ何となんと」「イヤその詮議は血で血を洗ふ後の祭り。高が女童のほでてんがう、どふすることとともかくも、食ふた顔にて窺ひし故、きゃつら両人がかゞみどころも見つけ出す。何にもせよ真の御剣御手にあるからは、あと構はずとイザまづ奥へ。こゝは拙者に任されよ。〈地〉惟茂が返答次第、ハテいやと言ったら首にして御酒宴の御肴」「ヲヽ今に始めぬ汝が働き、さりながら惟茂一人は烏滸の者。油断なく計らふべし。〈詞〉その左衛門めは恋の仇、女めも重罪人。〈地〉汝に預ける、引っ立てよ」と睨みつけ、〈フシ〉奥をさして行く後に、
軍藤太声荒らげ、「〈詞〉ヤァヤァ家来ども、参れ参れ」に〈地〉兼ねて用意の組子ども、ばらばらと駆け出づれば、「〈詞〉この両人を身が屋敷へ連れ帰れ。こゝに置けば大きな邪魔、何時殺すも安いこと。引っ立て行け」「〈地〉承る」と家来ども、「サァサァうせふ」と左衛門もろとも、裏門口〈フシ〉追っ立てゝこそ急ぎ行く。
琴鶴姫は走り出で、「モウこれまで」とありあふ刀、喉にがはと突き込み、軍藤太を睨みつけ「〈詞〉ヤイ悪人め、最前からおのれをたった一と刀と駆け出しを、妼乳母に止められ、今死にざま。なまなかおのれが様な畜生の、手にかゝるよりましなれども、せっかく盗みし御太刀を、また兄様へ手渡しして、悪の上の上塗りは、極悪人といはふか、〈地〉鬼め鬼め、鬼薊め、〈詞〉今死んだりとおのれを取り殺さいでおくものか。〈地〉とにもかくにも自らほど、殿御に縁なき者はなし。この世で添はれぬ左衛門様、せめて未来で夫婦の約束。その約束の堅めの御剣は水の泡、その上に縄目のお恥辱も皆わし故。許してたべ左衛門様、許さぬは軍藤太め。〈詞〉ヱヽ憎やいとをしや、〈地〉いとしや憎や」と泣きつ恨みつ身をあせり、流るゝ涙立田川、刀を抜けば唐紅、〈フシ〉この世の中や絶えぬらん。
軍藤太せゝら笑ひ、「〈詞〉ヲヽ良い死にざま。諸任公の妹故、まんざら我が手でも殺されぬ。邪魔なわろたち片付けたれば、心にかゝる山の端もなし。これからは酒浸ての惟茂め、〈地〉取り肴の一と料理。鬼薊が刀の切れ味見てくたばれ」と抜き打つを、ひらりむっくと飛びしさり、抜き合せし惟茂の腰刀、目釘穴よりほっきと折れて飛び散ったり。「南無三宝」とためらふうち、畳み掛けて打ちかくる。「さしったり」と畳蹴上ぐるさそくの惟茂、受けつ払ふつ秘術を尽くし、軍藤太が刀ぐるめに腕首捻ぢ上げ、どうど踏みつけ刀奪ひ取り、鍔元切先きっと見上げ、「〈詞〉ムヽ我この館へ入り込むより、心覚えの腰刀、今軍藤太が打ち物に刃向へば、何の苦もなく鍔元よりほっきと折れしは、これぞ不思議の第一、ムゥムゥ」と〈地〉とっくと見定め、軍藤太を取って引っ立て、「〈詞〉最前我酔ひ伏したるうち、軍藤太と聞くより眼を開きよく見れば、〈地〉幼な顔覚えあり」と次の間奥の間、心を配り、「〈詞〉今日只今より上総介平惟茂が郎等、茨菰おもだか次郎勝秀、勘当許し元の主従」「ハァアさては〈地〉勘当御許しくださるか」「〈詞〉ヲヽ一つの功あらば、勘当御赦免くだされよと、その方が親、茨菰兵衛が願ひといひ、今また平国の御剣再び天子の御手に入るは、汝が忠心、我が高名」「イヤ御勘当御赦免は、死したる父がさぞ大慶。〈地〉ハッアありがたき君の御恵み」「いやとよ、良き家来を持ったる故我が手柄」と、御剣を戴く真の主人、頭を下ぐるは真の忠義、真々のありがた涙、一時にハッアハッアハッアと主従が、〈フシ〉嬉しさたとへん方もなし。
惟茂重ねて、「〈詞〉その方が忠義は顕れしが、諸国の血判といひこの御剣、〈地〉やすやすと手に入ったる仔細ぞあらん」「〈詞〉さればされば、それがし諸国の血判と諸任へ渡せしは真っかいなてだての偽物。世継様・左衛門様の御身の上も、犬を入れ置き聞き出だし、ありのまゝに知らせし故、今宵始めて御剣の御番申し付けしは我が喜び。サァ古主へ立つる一つの功はこゝこそと、〈地〉胸は早鐘、心の切羽、忠義の鍔際我が腰刀と、コレコレコレこの御剣と、すり替ふる折も折、琴鶴姫御剣を取らんと、忍び来る足音、南無三宝と心もせき、地獄の釜の一足飛び、念なふしおほせ我が手に入れしはその御剣。最前部屋にて御両人に縄をかくるを幸ひにこの噂、〈詞〉八町三所さゝやき知らせ、縄つきを我が屋敷へ引っ立てさせしも、すぐに都へ御供仕れと、〈地〉家来にとっくと申し付け置いたれば、気遣ひの気の字もなし」と、忠義武道を立板に〈フシ〉水を流せし物語。
「〈詞〉ヲヽ手柄々々。御剣手に入るこの上は、諸任が首提げて立ち帰らん。〈地〉案内せよ」と血気の惟茂、奥をめがけて入らんとするを、「ハッアしばらく御待ちくださるべし」と押し止め、「〈詞〉それがしこの館に入り込みしより、今日まで様々に心を砕く。諸任が腰打ち抜きし故、今宵初めて御剣の番申し付けたればこそ、御剣手に入り、御勘当も御赦免くだされしは、諸任が禄を食んだるしばしの主人。取り分けて琴鶴姫、御剣を盗んで左衛門様へ渡さんと、心ざせしは天晴れの貞女。それ知りながらそれがしが一つの功を立てんため、おとなげなくもたばかりしは、ヱヽ女に劣りし我が魂。せめてもの恩返し、我この館にあるうちは、恐れながら御敵対申しなば、琴鶴姫の修羅の妄執少しは晴れ、諸任へのしばしの恩、〈地〉報ぜんための我が寸志、御聞き届けくださるべし」と、ことを分けたる詞に惟茂横手を打ち、「〈詞〉あっぱれあっぱれ。我また数万の中なりとも、やはか切り抜け都に帰り、天子へ捧ぐるこの御剣、再会は重ねて重ねて。いざや帰らん、ヤァ我と思ふ軍兵ばら、出合へやっ」と仰せのうち、〈地ウコハリ〉早くも聞ゆる攻め太鼓攻め鼓、法螺吹き立つる館の内、こゝの眠籠めんらう〈ナヲス〉かしこの詰り、〈フシ〉一度にどっと鯨波ときのこゑ
数多の伏せ勢抜き刀、中に取り巻く惟茂一人、軍藤太声をかけ、「ヤァ方々、〈詞〉惟茂は我が手に合はぬぞ。広庭へおびき出し、八方より打ち殺せ」「〈地〉承る」と右往左往に斬ってかゝれば、「心得たり」と眉間真っ向、当るを幸ひ手を尽くし、〈三重〉大庭さして「追ふて行く。
庭の樹木は紅葉の照葉、捕手の手傷の唐紅、滝の水音どうどうどう、渦巻く敵を追ふつまくっつ平惟茂、身軽の姿大童、せなに背負ひし平国の御剣大事と身を放さず、〈ウコハリ〉血に染まったる打ち物の、いきりを冷ます滝の水、口にそゝぎて一息つぎ、「〈詞〉シヤ何万騎寄せたりとも、討って捨てん」と〈フシ〉待ちかけたり。
〈道具屋〉門脇・丸岡真っ先に、続いて荒川・栗柄なんどゝいへる剛気の健男はやりを、血気の槍先真一文字十文字、突っかくるをことともせず、「まっかせ合点」と払ひ退け、つけ入りつけ込む上段下段、結べば開く身のひねり、躍り上がり飛び違ひ、小鳥むら鳥むらむらむら、提灯松明星のごとく、「捕ったとった」と数多の雑兵、掴んで投げ込むゑつぼ滝壺、流れて死するは阿鼻大地獄、剣の山、〈三重〉上を下へと「騒ぎ立つ。
鬼神をにかみならぬ惟茂一人、敵は大勢おめく声。しばらくこゝぞと紅葉の枝、登る山道枯木の股、踏み分け踏み分け大木に腰打ちかけ、〈フシ〉悠々として控へゐる。
下には口々声々に、「〈詞ノリ〉惟茂が落ち失せしぞ。但し大木に逃げ屈むか。火をかけて焼き打ちせよ」と〈地〉下知に任する大松明、すでにかうよと見えしところへ、阿修羅王の荒れたる勢ひ、無二無三に駆け来るは、金剛兵衛・帯刀太郎、飛んで入るより雑兵ばら、張り退けぶち据へ人礫、仁王のごとき勢ひに、恐れて近づく者もなく〈フシ〉皆散り散りに逃げ散ったり。
茨菰次郎躍り出で、「〈詞ノリ〉ヤァ命知らずのうづ虫めら、〈地〉軍藤太がたゞ一討ち」と斬りかくれば、両人打ち連れ二打ち三打ち打ち合ひしが、三人目と目見合せて、辺りに気配り見廻し見廻し、金剛兵衛・帯刀太郎詞を揃へ、「〈詞ノリ〉我々両人、惟茂公の御迎ひと馳せ来るところに途中にて、左衛門様・世継様に御目にかゝり、貴殿の様子残らず聞いて安堵せり。いよいよ我が君に」「ヲヽサ勘当も御赦免、元の御主人。さりながら」「イヤその訳は惟茂が物語らん」と、〈地〉木の間漏れくる主人の声、はっといふより両人が用意の御馬、「イザ凱陣」と勧むれば、梢をそのまゝ馬上の達人、ひらりと乗ったるその骨柄。「〈詞ノリ〉茨菰が働きは、趙雲が阿斗を助けし武勇の鑑。金剛兵衛・帯刀が加勢は、関羽・張飛に劣るまじ。〈地〉諸任この館にあるうちは、我もひとまづこの場を開き、やがて朝敵討ち亡し、主従三人鼎の盃。〈詞〉軍藤太は敵、ナ、ナ、〈ノリ〉追っ付け味方」と慈愛の詞。「ハッア、ハッ」と喜び引き返す、〈地〉茨菰次郎が忠心に、再び手に入る御剣の威徳、弓矢の徳、紅葉の枝は時の鞭、紅すなはち平氏たいらうぢ、乗り入れ乗り込む轡の音はりんりんりん、踏み轟かす駒の足並み金剛力、金剛兵衛が忠義の誉れ、帯刀太郎が武勇の働き、負けず劣らぬ勇者ども、義心はためしあらかねの、草木も靡く大将やと、その名は今に聞こえけり。




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