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【CS礼拝】2024.3.3「イエスさまは命のパン」

  これは2024.3.3、おもに子どもとその保護者が参加する礼拝で、教会員奉仕者R.I(男性)さんがお話されたものを書き留めて、話の流れに沿ってまとめたものです。
  本文では、『聖書協会 新共同訳』を引用しています。

【 聖書箇所 】

  ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」  イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。  それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば……  命を与えるのは ” 霊 ” である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。  しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。  そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」
  このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。  そこでイエスは12人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。  シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。  あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」

ヨハネによる福音書 6章60-69節


【 説教要約 】

  イエスさまのお話の中には、私たちがなかなか理解しにくい言葉があります。時にきびしい言葉となって伝わることもあります。しかし、それはイエスさまが特別な意味を込めて、登場する人や民やわたしたちに伝えたいと、イエスさまが思われている時です。

  今朝のお話もその一つかもしれません。その深い意味を理解して受け入れるとき、心からの喜びもまた特別なものとなります。それはイエスさまが私たちを愛していてくださるからです。

  しかし、私たちの周りにはその大切なことの理解と信じることを邪魔する悪魔の存在もいます。イエスさまの言葉はそれらからも私たちを守ってくださいます。目に見えなくても私たちにとって大切なイエスさまを信じ受け入れて、これからも進むことができますように。


【 説教まとめ 】

  私は中・高生の頃に、「変わらないものはあるのかな」、「それが知りたいな」と思っていました。その思いが、イエスさまの十字架を信じて、洗礼を受けるきっかけとなりました。

  私も求めていることですが、「目に見えないものを聖書の言葉の中から読み取ってもらいたい」と思っています。

  イエスさまはカファルナウムで5000人にパンを裂いて与える奇跡を起こされました。これによって、人々はイエスに従うようになりましたが、「こういうイエスなら信じてもよい」と思う人たちもいました。

  わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。

ヨハネによる福音書 6章54節

  こういった言葉によって、ユダヤ人たちは「ヨセフの子ではないか」、「父も母も知っているのに、天から下って来たなどと」と、つまずき、イエスのもとを去っていきました。

  イエスさまが言いたかったことは、「私の言葉は霊であり、命である」ということです。このイエスさまの伝えたかったことを知ることができたなら、信じたことでしょう。

  しかし、この弟子たちの目はふさがれていました。イエスさまを信じるということは、イエスと一体となることです。

  そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」

ヨハネによる福音書 6章65節

  イエスさまは、「パンを食べたいだけなら離れなさい」と突き放されます。それでも後から戻って来た弟子たちは、いろんな迫害を受けることとなります。イエスさまは、それを試すためにあえて厳しい言葉をかけられるのです。

  今の日本では、日本国憲法によって信仰の自由が保障されていますので、信仰による迫害を受けることはありません。けれども、イエスさまを信じる人は少ないですね。

  それは暗い思いに流れがちだからです。お金、食べ物、病気、いろんな自分にとっての利益となる神の方に寄って行くからです。

  心から自分の後ろ暗い思いではなく、光の方、神の方に向くなら、天の父から招かれます。

  さて、12弟子はどうなったでしょうか。

  そこでイエスは12人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。  シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。  あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」

ヨハネによる福音書 6章68-69節

  それでも12弟子は、イエスさまのもとにとどまりました。しかし、ユダは裏切ることになります。

  ユダは、お金の管理を任されるほど信頼されていました。けれども、誘惑されて、自殺につながっていきます。

  ペトロも、「イエスのことなど知らない」と3回も言います。ほかの弟子たちも、イエスが捕らえられるとき逃げだしました。

  けれども、新たにイエスさまから招かれて救いに至ります。

  悪魔は、その人その人の弱いところを狙ってきて、イエスさまから私たちを引き離そうとします。この力に、私たちは自分たちの力ではどうにもできません。

  悪魔は、御言葉も利用します。

  命を与えるのは ” 霊 ” である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。

ヨハネによる福音書 6章63節

  イエスさまのもとにとどまって、霊であり、命である御言葉に守り、導いてもらい、イエスさまと共に歩んでいきましょう。

  お祈りをします。


【 お祈り 】

  天の父なる神さま、今日も私たちが共にあなたに礼拝をお献げするために集めてくださり、ありがとうございます。

  イースターが近づいているレントのことの時、イエスさまからの大切なメッセージをきちんと一人ひとりが理解し、心にとどめることができますように導きお守りください。

  このお祈りを、私たちの主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

  アーメン。

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