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【礼拝ノート】「わたしには証しがある」

  これは2023.12.10、おもに子どもとその保護者が参加する礼拝で、教会員奉仕者S.M(女性)がお話されたものを書き留めて、話の流れに沿ってまとめたものです。

【 聖書箇所 】

  しかし、わたしにはヨハネの証しにまさる証しがある。父がわたしに成し遂げるようにお与えになった業、つまり、わたしが行っている業そのものが、父がわたしをお遣わしになったことを証ししている。  また、わたしをお遣わしになった父が、わたしについて証しをしてくださる。あなたたちは、まだ父のお声を聞いたこともなければ、お姿を見たこともない。  また、あなたたちは、自分の内に父のお言葉をとどめていない。父がお遣わしになった者を、あなたたちは信じないからである。  あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。  それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。

ヨハネによる福音書 5章36-40節

【 説教要約 】
  ユダヤ人は、イエスさまが律法を守らないことと、神さまをご自身の父と呼んでいることから迫害し始めます。

  私たちは、神さまにもイエスさまにも直接お会いしたことはありませんね。イエスさまは、神さまの独り子であり、救い主であると言われていますが、なぜそのことを私たちは当たり前のように信じているのでしょうか…。聖書によってです。そして聖書には、イエスさまとはいったい誰であるのかを私たちに証ししてくださる方のことも書かれています。イエスさまのことを一番よくご存知である父なる神さまからの証しです。

  しかし、信じることができずにいた人々もいました。永遠の命を聖書の中に求めていたのです。聖書が私たちに罪人を救い主であるイエスさまのところへと導いてくださる道標となって明るく照らしてくださいます。だから、迷わないで信じて歩いていくことができます。


【 説教まとめ 】
  「あなたは、誰ですか?」と、尋ねられたら、あなたには、あなたのことを証明してくれる人はいますか。

  家族は、あなたのことを証明してくれますね。家族以外だと、『母子手帳』などを見ると、あなたの生まれた病院やそのときの身長・体重などの記録もあるかもしれませんね。

  そういったあなたを知っている人の前で、「私は〇〇です」と言うと、みんなは認めてくれます。でも、全然知らない人の中で、「私は〇〇です」といっても、誰も信じてくれませんよね。

  たとえば、警察なんかに身分証明を求められ、家族を呼んでもそれだけでは認めてくれませんよね。必ず保険証や免許証、マイナンバーカードなどの公的な書類を求められます。

  今日はイエスさまは、ご自身をどのように証しされるのかというお話です。

  天地創造の際に、神は7日目に休まれ、それが十戒では『安息日』として示されました。その安息日に、イエスさまは病人を癒やし、また「神をご自身の父である」と言ったためにユダヤ人から命を狙われるようになります。

  わたしについて証しをなさる方は別におられる。そして、その方がわたしについてなさる証しは真実であることを、わたしは知っている。

ヨハネによる福音書 5章32節

  イエスさまはご自身について証しされる方は別におられると言われました。この ” 証し ” とは裁判用語です。証明するためには、証人や証拠など複数のものを求められます。

  ヨハネは、水の洗礼をイエスに授けたときに、天からの声を聞き、神の子であるとわかりました。そして、弟子たちに「世の罪を取り除く小羊」と証ししたのです。

  しかしイエスさまは、「ヨハネの証しにまさる証しがある」と言われます。それは、➀癒やしや奇蹟の業、そして②父が成し遂げるように告げられた十字架の業、③聖書の証しです。

  これらのことによって、イエスさまが天から遣わされた神の子であることがわかるのです。

  初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。  この言は、初めに神と共にあった。

ヨハネによる福音書 1章1-2節

  ” 言 ” とは、イエスさまのことです。イエスという言葉を用いずに、イエスさまのことを表しています。そのイエスさまのことは、天の父である神しか知りません。

  けれども私たちはイエスを知らないはずなのに、どんな人か、何をされた方かを知っています。私たちは、なぜそれを知ることができるのでしょうか。

  それは聖書があるからです。私たちは、この聖書を信じています。

  あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。

ヨハネによる福音書 5章39節

  ユダヤ人たちは、モーセを信じて聖書を研究していました。しかし、聖書は、イエスさまを証しするもので、聖なる民をイエスさまのもとに集めるためのものです。

  ユダヤ人たちが研究していた旧約聖書には、待ち望んでいたイエスさまのことが記されていましたが、ユダヤ人たちはイエスさまのもとに来ようとはしません。

  イエスさまは、ご自身のことをキリストであると信じる者のもとに来られます。信じることで永遠の命と共にあることができます。

  聖書は、道標です。

  今日はアドベントの2本目のろうそくに火が灯りました。これまでも、これからについても、罪の赦しを求めて、神さまの方に目を向けていきましょう。

  イエスさまが誕生された日が近づいて来ました。喜びをもってクリスマスを待ち望みましょう。

  お祈りをします。

【 お祈り 】
  天の父なる神さま、新しい朝をありがとうございます。

  クリスマスが近づいて来ましたが、イエスさまが私たち罪人の罪をお赦しくださるために、この世に生まれたというクリスマスの本当の意味を忘れないように、アドベントのときを過ごさせてください。そのことをまだ知らない人やお友だちに伝え、世界中が喜びと平和の中でクリスマスが迎えられますようにお願いします。

  この祈りをイエスさまのお名前によってお祈りいたします。

  アーメン。


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