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【CS礼拝】2024.3.17「神さまのお言葉をおこなった人」

  これは2024.3.17、おもに子どもとその保護者が参加する礼拝で、教会員奉仕者K.K(女性)さんがお話されたものを書き留めて、話の流れに沿ってまとめたものです。
  本文では、『聖書協会 新共同訳』を引用しています。


【 聖書箇所 】

 「このたとえの意味はこうである。種は神の言葉である。  道端のものとは、御言葉を聞くが、信じて救われることのないように、後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たちである。  石地のものとは、御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じても、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである。  そして、茨の中に落ちたのは、御言葉を聞くが、途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、実が熟すまでに至らない人たちである。  良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。」

ルカによる福音書 8章11-15節


【 説教要約 】

1. 自己紹介

2. ある伝道師との出会い ⇒ 教会へ行こう!

3. 羽仁もと子先生との出会い ⇒ 婦人の友、自由学園、友の会について

4. 羽仁もと子先生の思想・考え方

5. 「友の会」の活動
  衣食住の家事全般と育児、介護のことを勉強し、よりよい生活を家庭から社会へと働きかけています。家事の中でも、一番力を入れているのは家計簿をつけることです。子どもたちに、お小遣い帳のつけ方も教えています。みなさんともいつか一緒にお小遣い帳のつけ方について勉強できたら嬉しいです。


【 説教まとめ 】

  なぜ、あなたはここにいますか。

  家がクリスチャンホームだから、学校で教会に行くように言われたから、友だちに会いたいから、などなどいろんな理由があると思います。

  私も教会に来ていますが、私は家がクリスチャンホームではありません。キリスト教関係の学校に通っていたわけでもありません。その私が教会に通うようになったのは、ある伝道師と出会ったからです。

  その伝道師がこの教会でお話をされたとき、「聖書を一人で読むのは自家発電のようなものです。そして教会に来ることはコンセントにつながるようなものです」とお話しされました。

  あなたにとって自家発電のイメージは、どのようなものでしょうか。

  私にとっては、一生懸命に自転車をこいで発電しても、小さな豆電球が少し光るだけ…そのようなイメージがあります。

  私は、このたとえを聞いてから、「聖書を自宅で読んでいても、神さまの言葉がほんの少しわかるだけ、得られるものはわずかなんだな」と思いました。

  では、私は、この伝道師とどうして出会うことができたのか。

  それは同じ、『婦人の友』に所属していたからです。そこで伝道師と出会い、キリスト教に興味をもって教会に通うようになりました。

  この婦人の友は、羽仁もと子さんがつくられたものです。そのはじまりは、小さな出来事でした。

  羽仁さんが結婚して家庭に入られたとき、家事ができなくて困ったそうです。そこで、「知っている人に聞こう」と教えを受けて、とても感激しました。そのことから、「これを自分だけのものにしておくのはよくない」と、120年ほど前に雑誌を発行して、人々と共有したのが始まりだそうです。

  婦人の友とは、この雑誌をもとに集まった人々なのです。

  その中で一番力を入れていることは、家計簿です。一般的に家計簿は、お金の出入りを管理して、欲しいものを買ったり、貯金して将来のことを考えたり、というものでしょう。

  しかし、婦人の友の目的は、少し違います。羽仁さんはクリスチャンです。ですから、「神の御心に従ったお金の遣い方をしよう」というのが、婦人の友の家計簿の目的なのです。

  私は、この羽仁さんの信仰にふれ、伝道師の言葉に支えられて教会に行こうと思いました。

  今日の聖書箇所でもあるように、種は御言葉です。羽仁さんの発行された本によって、私は神の言葉を受け、伝道師の言葉によって水をそそがれて、私の信仰は育てられました。

  お祈りをします。


【 お祈り 】

  天の父なる神さま、新しい朝をありがとうございます。

  イースターが近づいています。イエスさまが復活される喜びを胸に抱き、多くの友とわかち合えますようにお願いします。

  この祈りをイエスさまのお名前によってお献げします。

  アーメン。

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