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【 礼拝ノート 】「知恵が巷で呼ばわる」

  2023.9.24のお話は、ね羊さんが担当しました。説教全文は、別にあげておりますので、教会員に配布している礼拝プログラムの『説教要約』と『お祈りのことば』をあげます。

【 聖書箇所 】

  一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「道で何を論じ合っていたのか」とお尋ねになった。  彼らは黙っていた。道々、誰がいちばん偉いかと言い合っていたからである。  イエスは座って、12人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」  そして、一人の子どもを連れて来て、彼らの真ん中に立たせ、抱き寄せて言われた。  「私の名のためにこのような子どもの一人を受け入れる者は、私を受け入れるのである。私を受け入れる者は、私ではなくて、私をお遣わしになった方を受け入れるのである。」

マルコによる福音書 9章33-37節

【 タイトル 】
  「知恵が巷で呼ばわる」

【 説教要約 】 ※ 最期に聖書引用版もあり
  イエスさまは、神の国の王の姿を言い表されました(マタイ10:25-28)。それは神と共に生きる幸いへと導く羊飼いの姿です(詩23章)。

  私たちは聖霊を通して9つの贈り物を受け取り(Ⅰコリ12:8-10)、神が与えてくださった一人一人の特性を生かしていろんな働きを担います(Ⅰコリ12:27-28、エフェソ4:11)。

  そうしてお互いに導き、導かれ合いながら(ヨハネ13:14、15:12)、イエスに向かって成長していきます(エフェソ4:12-16)。

  私たちの幸いは、神と共に歩む喜びを知っていることです。

  私たちに与えられる祝福は、それがどういうことかわからなくても、イエスを求めていることです。


【 お祈り 】
  天の愛するお父さん、あなたの導きにより今日もまたあなたを賛美できることを嬉しく思います。

  世の中には、いろんな楽しいことがありますけれども、あなたの言葉を聞き、あなたの思いに至る喜びにまさるものはない、そのことを私に教えてください。

  私の頭にあることが、心にも降りてきますように。

  この祈りを私たちの救い主であり、主であるイエスさまの御名によってお献げいたします。

  アーメン。


【 説教要約:聖書引用版 】

  そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、諸民族の支配者たちはその上に君臨し、また、偉い人たちが権力を振るっている。  しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者となり、  あなたがたの中で頭になりたい者は、皆の僕になりなさい。  人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」

マタイによる福音書 20章25-28節

  イエスさまは、神の国の王の姿を言い表されました(マタイ20:25-28)。

  讃歌。ダビデの詩。
  主は私の羊飼い。私は乏しいことがない。  主は私を緑の野に伏させ / 憩いの汀(みぎわ)に伴われる。  主は私の魂を生き返らせ / 御名にふさわしく、正しい道へと導かれる。
  たとえ死の陰の谷を歩むとも / 私は災いを恐れない。あなたは私と共におられ / あなたの鞭と杖が私を慰める。
  私を苦しめる者の前で / あなたは私に食卓を整えられる。私の頭に油を注ぎ / 私の杯を満たされる。
  命あるかぎり / 恵みと慈しみが私を追う。私は主の家に住もう / 日の続くかぎり。

詩編 23章

  それは神と共に生きる幸いへと導く羊飼いの姿です(詩23章)。

  一人一人に霊の働きが現れるのは、全体の益となるためです。  ある人には、霊によって知恵の言葉、ある人には同じ霊に応じて知識の言葉が与えられ、  ある人には同じ霊によって信仰、ある人にはこの唯一の霊によって癒やしの賜物、  ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。  しかし、これらすべてのことは、同じ一つの霊の働きであって、霊は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。

コリントの信徒への手紙 Ⅰ 12章7-11節

  私たちは聖霊を通して9つの贈り物を受け取り(Ⅰコリ12:7-11)、


  あなたがたはキリストの体であり、一人一人はその部分です。  神はご自身のために、教会の中でいろいろな人をお立てになりました。第1に使徒、第2に預言者、第3に教師、次に奇跡を行う者、その次に癒やしの賜物を持つ者、援助する者、管理する者、種々の異言を語る者などです。

コリントの信徒への手紙 Ⅰ 12章27-28節

  この降りて来られた方ご自身が、すべてのものを満たすために、あらゆる天よりもさらに高く昇られたのです。  そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師としてお与えになりました。

エフェソ 4章10-11節

  神が与えてくださった一人一人の特性を生かしていろんな働きを担います(Ⅰコリ12:27-28、エフェソ4:10-11)。

  あなたがたは、私を『先生』とか『主』とか呼ぶ。そう言うのは正しい。私はそうである。  それで、主であり、師である私があなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合うべきである。  私があなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのだ。

ヨハネによる福音書 13章13-15節

  これらのことを話したのは、私の喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。  私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私の戒めである。  友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。  私の命じることを行うならば、あなたがたは私の友である。  私はもはや、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。私はあなたがたを友と呼んだ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。

ヨハネによる福音書 15章11-15節

  そうしてお互いに導き、導かれ合いながら(ヨハネ13:13-15、15:11-15
)、

  こうして、聖なる者たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストの体を造り上げ、  ついには、私たちをすべてが、信仰と神の子の知識において一つとなり、完全な者となって、キリストの満ち溢れる成熟した年齢に達するのです。  こうして、私たちはもはや子どもではなくなり、人の悪だくみや、だまし惑わす策略によるどのようなお添えの風にも弄ばれたり、振り回されたりすることなく、  愛をもって真理を語り、頭であるキリストへとあらゆる点で成長していくのです。  キリストによって、体全体は、支えとなるすべての節々でつなぎ合わされ、一つに結び合わされて、それぞれの部分は分に応じて働いて、体を成長させ、愛の内に造り上げられてゆくのです。

エフェソ 4章12-16節

  イエスに向かって成長していきます(エフェソ4:12-16)。

  私たちの幸いは、神と共に歩む喜びを知っていることです。

  私たちに与えられる祝福は、それがどういうことかわからなくても、イエスを求めていることです。


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